(2)不審な言動
「すみません、お役に立てそうにありません。今日の俺の分の支払いは後から課長に渡しますので、これで失礼させて貰います」
「吉村、ちょっと待ってくれ!」
「吉村さん。夏の風物詩、鱧がまだですよ?」
友之がすかさず吉村の右腕を捕らえ、沙織がのんびりと声をかけてくる。しかし突如発生した不安事項から逃れようと、吉村は必死の形相で言い返した。
「本当に勘弁してください! 何で女ばかりの集まりなのに、俺を指名してくるんですか!? よってたかって、俺への嫌がらせですか!?」
狼狽しまくる吉村とは対照的に、沙織は独り言っぽく冷静に告げる。
「それは単に、由良が吉村さんと、より一層お近づきになりたいだけじゃないですか? 全く由良ったら、そんな事で会長権限を行使しなくても……。リコールされても知らないわよ?」
「俺は不用意に、あの女とこれ以上お近づきになんかなりたくないんだが!?」
「失礼ですね。そんな力一杯拒否しなくても。由良のどこが不満だと言うんですか?」
「関本と同じでどことなく得体が知れなくて、押しが強いのか弱いのか今一つ分からない所だ!」
語気強く吉村が訴えてきた内容を聞いて、沙織は思わず確認を入れる。
「それならこれまで、由良とそれなりに接してはいるんですよね?」
「ああ、これまで何回か全く予定外のところで、殆ど予想外の事態に陥っているからな!」
「……これまでに、何があったんですか?」
「誰が言うか!」
「由良は何も言ってなかったけど……。今度聞いてみよう」
「とにかくそう言う訳だから、当日はよろしく頼む」
「課長……」
怪訝な顔で呟く沙織のよそに、友之が再び真摯に頭を下げる。さすがに吉村も無下には断れない空気に困惑していると、話が一区切りついたと判断したのか、新たな料理が三人の前に出される。
「次は鱧の天ぷらになります」
「ほら、吉村さん。ちゃんと座って食べてください」
素っ気なく沙織に促された吉村は、色々諦めて椅子に座り直した。そして自然に手を放した友之に向き直り、溜め息まじりに確認を入れる。
「分かりました。取り敢えず俺がその集まりに同席して、万が一不穏な気配が出てきた場合、関本を連れて引き上げれば良いんですよね?」
「ああ。本当に申し訳ない」
「いえ、俺は例の件で課長達にご迷惑をおかけしていますし。これ位、何でもありません」
完全に腹を括った吉村は、それからは微塵も遠慮せずに残りの天ぷらや刺身を堪能し、ミニトマトの土鍋の炊き込みご飯や最後のシャンパンゼリーまで食べ尽くしてから、三人は腰を上げた。そして店外に出てから吉村は奢って貰った礼を述べ、満足顔で立ち去る。友之と沙織はそんな彼を見送ってから、別方向に歩き出した。
「本当に、私一人で大丈夫なのに大袈裟な……」
まだ納得しかねる口調で呟く沙織に、友之は半ばうんざりしながら応じる。
「まだ言うのか……。だが、これで取り敢えず一安心だな」
「全く、私の交友関係を何だと思っているの。しかも同僚に過ぎない吉村さんを、課長権限で巻き込むなんて。公私混同で殆どパワハラよ?」
「その批判は甘んじて受ける」
「真顔で断言する自覚があるなら、踏み止まって欲しいかったわ。でも本当にあの襲撃事件が勃発した事で、状況が一変したわね。事実婚が発覚して、実際に入籍しちゃったし」
「沙織、それなんだが……」
「え? それって何の事?」
何やら重々しく友之が言いかけた内容が咄嗟に判断できなかった沙織は、反射的に尋ね返した。しかし何故か友之は迷うような素振りを見せてから、慎重に言葉を継いでくる。
「あ、いや……。沙織は入籍後も仕事上では『関本』で通しているが、何か不都合な事は無いかと思っただけだ」
「仕事上では特に無いわよ? 収入は扶養限度額なんかとっくに越えているし、これまで通りよね? さすがに社内で幾つか手続きはあったけど」
「そうだな」
「寧ろ、プライベートで煩わしい事が盛り沢山で。免許証や通帳の登録名を変更するのに、平日に出向いて手続きをしないといけないじゃない?」
「……ああ、確かにな。それでだな、沙織」
「何?」
「その……、最近、仕事の方はどうだ?」
その問いかけに対して沙織は呆れ返り、思わず足を止めて言い返した。
「はぁあ? 何を言ってるの? 私の仕事の進捗状況を、直属の上司である友之さんが知らないとでも言うつもり?」
「あ、いや……、そういう意味ではなくて……。最近は立て続けに沙織に新規の大きな取り引きを任せてきたし、負担になっていなかったかと思って」
「『大きな取り引き』って、柏倉工業やアドエアシステムズの事?」
「あ、ああ……。両社とも、無事に契約が締結しそうだよな?」
微妙に狼狽しながら友之が応じると、沙織は不穏な気配を醸し出しながら、いつもより若干低い声で問い返す。
「……何だか私、ものすごく見くびられているのかしら? それとも今後は大きな仕事は任せられないと、見切りをつけられているわけ?」
「誰もそんな事は言っていないだろうが! 変な邪推をするな!」
「それならどういう事よ?」
「それは……」
眼光鋭く睨み付けた沙織と対峙した友之だったが、すぐに彼女から視線を逸らして再び駅に向かって歩き出す。
「何でもない。帰るぞ」
「えぇ? 何でもないって、何よ?」
納得できない沙織は文句を言いながら食い下がったが、友之は全く口を割らず、その話は中途半端な状態で終わってしまった。
(何でもないって顔じゃないんだけど? 何なのよ、急に訳のわからない事を言い出した挙げ句に、一人で不機嫌になるなんて)
帰宅する間、時々隣の友之を盗み見ながら沙織は不思議に思ったが、その理由が判明するまで数日の時間を要した。
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