(2)ちょっとした罪悪感
「おはようございます」
「おはよう、関本」
「おはようございます、先輩」
週明けの月曜日。いつも通りの挨拶を交わしていた沙織だったが、彼女の姿を見かけた途端、吉村が血相を変えて駆け寄って来た。
「関本! 何なんだ、あのお前の友達! 振り切ったと思った直後に、すぐに遭遇するんだぞ!? あの女、俺に何か発信器でも付けているのか!? それとも興信所に依頼して、尾行させているのか!?」
両手で自分の肩を掴みながら険しい表情で訴えてくる彼に、沙織は迷惑そうな顔になりながらも、口調だけは丁寧に言葉を返した。
「はぁ? 由良は元陸上部で足は速いですが、そんなえげつない事はしませんよ」
「だが、どう考えてもおかしいだろう!?」
「変な言いがかりは止めて貰えませんか? 由良の名誉の為に、ここはきっちり反論させて貰います」
「しかしだな!」
なおも言い募ろうとした吉村に、ここで先程から沙織の隣で一部始終を見ていた佐々木が、控え目に話に割り込んだ。
「あの……、吉村さん。ちょっと良いですか?」
「何だ?」
「いきなりそんな台詞が出てくるって事は、ひょっとして以前に興信所の人間に尾行されたり、発信器を仕込まれた事でもあるんですか?」
「…………」
「え? 本当に?」
途端に吉村が表情を消して無言になった事で、見事に言い当ててしまった佐々木は勿論、未だに肩を掴まれたままの沙織も驚いて目を見開いた。そんな彼らの様子を見た周囲が、吉村を気の毒そうに眺めながら囁き合う。
「それってまさか……」
「以前の勤務先で、言い寄られた女とか?」
「そういえば、何か言ってたよな……。関本の親父さんが、ここに乗り込んで来た時に」
「交際を断った腹いせに、社内にあることないこと言いふらす女だったら、それ位はやるか」
「女運が悪かったんだな……」
そこで微妙な空気が漂い始める中、沙織は語気強く吉村に言い聞かせた。
「とにかく、由良は多少思い込みが激しいところはあるかもしれませんが、十分に常識はありますし人並みに節度を弁えています。吉村さんが頻繁に彼女と遭遇すると言うなら、それは彼女の意思や目論見によるものでは無く、愛でる会会長の肩書き故の事です」
そう断言された吉村は、彼女の肩から両手を離してがっくりと項垂れる。
「……何なんだ、その『肩書き』って。下手すると呪いっぽいぞ」
「成就率から考えると、確かに祈願と言うより呪いっぽいですね」
考え込む風情でしみじみと沙織が告げると、吉村は思わず声を荒げた。
「そんな他人事みたいに言うなよ!?」
「他人事ですから。さあさあ吉村さん、安心して仕事をしてください。由良はどこかの傍迷惑な勘違い女とは違って、勤務時間内に所属部署に押し掛けたりはしませんから。それは保証しますから、仕事中は安心できますよ。良かったですね」
「仕事中は安心って、何なんだよ……」
そんな風に適当にあしらいながら吉村を彼の机の方に向かって押しやった沙織は、この間に出社して自分の席に着いていた友之に、無意識に目を向けた。
(確かにちょっと同情するけどね。質の悪い女にまとわり付かれる男の人を見るのは、吉村さんが初めてでは無いし)
(何となく、沙織が何を考えているのか分かる。吉村と一括りにして欲しくは無いが……)
沙織の視線を受けて、友之は朝から溜め息を吐く事となった。
「課長。こちらが大和機械工作と締結した、売買契約書になります」
「ご苦労。配属されて半年にもならないのに、新規契約締結とはさすがだな」
提出された書類を受け取った友之が本心からの褒め言葉を口にすると、吉村は真顔のまま軽く頭を下げた。
「ありがとうございます。前社の契約内容を漏らすのは退社時に交わした契約に抵触しますが、そこで培った人脈は俺自身の財産ですので。それをフル活用しているだけです」
「なるほど、頼もしいな」
「勿論、それだけで今後ずっとやっていけるとは思っていません。新たな人脈形成と、交渉スキルの向上に努めます」
「そうしてくれ。これからも期待している」
「はい、頑張ります。目に見える営業成績を上げて周囲に認めさせないと、関本にいつまでもスルーされかねませんので」
ここで吉村が、不敵な笑みを浮かべながらそんな事を言い出した為、友之は辛うじていつもの表情を崩さずに応じた。
「……ああ、そうだな。彼女は、優秀な人間には一目置くから」
「そうですよね! よし、益々やる気が出てきた! 絶対、俺の実力を認めさせてやるからな! いつまでも、女より好きじゃないとか真顔で言われてたまるか。それでは課長、失礼します」
「ああ、頑張ってくれ……」
自分に言い聞かせるように口にしてから、笑顔のまま離れて行く吉村の背中を見送りながら、友之は無言でその日、何度目かになるか分からない溜め息を吐いた。
(沙織狙いだと公言されてムカついているのは確かだが、見方を変えれば俺は沙織を餌に営業成績を上げるように掌で転がして発破をかけている、鬼畜上司と言われても文句は言えないかもしれない……。なるべく早く、沙織との事を公言したいものだな)
友之はその頃になると、吉村からの沙織へのアプローチに関して、当初から感じていた不快感と共に徐々に罪悪感も覚えるようになっていた。
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