第7章 色々な転機

(1)困ったアプローチ

 日曜の朝。朝食を食べ終えた沙織が外出の支度をしていると、ドアをノックする音に続いて友之が現れ、機嫌よく声をかけてきた。


「沙織、あと三十分位で出掛けるか」

「そうね。色々買いたい物があるし、付き合ってね」

「任せろ。女性の買い物に時間がかかるのは、母さんで散々経験済みだ」

「それは頼もしい……、あ、ちょっと待ってね。……あれ? 誰だっけ、この番号」

 着信音が鳴り響いた自分のスマホを取り上げ、表示された発信者番号を見て、沙織は首を傾げた。それを見た友之が無言で眉根を寄せる中、彼女は取り合えず応答してみた。


「はい、関本ですが?」

「吉村だけど。ひょっとしてまだ寝ていたか?」

「え? 吉村さん!?」

「…………」

 予想外の人物からの電話に、沙織は反射的に友之を見上げながら声を裏返らせ、対する友之は無言のまま眉間の皺を増やした。


「あの、勿論起きていましたけど、どういう意味ですか?」

「インターフォンの調子が悪いのか? 部屋番号を押しても、全然反応が無かったから」

「部屋番号って……、え!? まさか今、マンションのエントランスにいるんですか!?」

 益々予想外の事態に沙織が本気で焦り始める中、上機嫌な声での話が続く。


「そうだが。天気も良いし、暇ならどこか一緒に出掛けないかと思って」

「そういう話は、できれば事前にして欲しいんですが!?」

「何か、朝起きたら思い立ってな。連絡なしに行ったら驚くだろうなと。緊急連絡先のこの番号は名簿にあったし」

「驚きましたよ! それ以上に非常識なので、止めて貰えませんか!?」

 どう見ても機嫌を悪くしている友之の様子を気にしながら、沙織が狼狽しながら相手を叱り付けたが、吉村はマイペースに話を進めた。


「分かった。今後は事前に誘う事にしよう。取り敢えず今日は暇だろう? 一緒に出掛けないか?」

「いえ、生憎暇では無いので」

「随分のんびりしている感じだったが? ここの応答も無かったし」

「それはそれですっ! あのですね!」

 マンションにいない事が露見したら、それならどこにいるのだという話になるのは確実であり、狼狽のあまり本気で声を荒げた沙織だったが、ここで予想外の声が割り込んできた。


「きゃあっ! 吉村さんじゃないですか! こんな所で奇遇ですね!」

「え? げっ!? 何でここに!?」

「……この声、まさか」

「凄い偶然! なんだか久しぶりに沙織と一緒に、日曜ご褒美ランチに繰り出そうと思ったら、吉村さんと遭遇するなんて! これは奇跡!? もはや運命!? やっぱり私達って、引かれあっているんですね!!」

「いや、絶対単なる偶然だから!!」

「やっぱり由良……」

 電話ごしに微かに聞こえるハイテンションな声の主が判明し、沙織は唖然としながら呟いた。そんな彼女には構わず、向こう側では歓喜の声を上げている由良と、明らかに動揺している吉村との間で会話が交わされる。


「吉村さん、ここで遭遇したからには、今日は一日ご一緒しましょうね!」

「い、いや! 俺は今、関本と話を」

「あ、お話し中だったんですか? それなら益々好都合。ちょっとお借りしまね」

「ちょっと待て! 人の物を勝手に!」

「沙織、おはよう! 本当は沙織を誘いに来たんだけど、吉村さんと偶然会っちゃったから、彼と二人で出かけて良いよね?」

 そんな上機嫌での願っても無い申し出に対して、色々な意味で助かる沙織は即答した。


「うん、私は構わないけど」

「ありがとう、沙織。じゃあ吉村さん、どこに行きますか? 私はどこでもお付き合い」

「断る! それを返せ!」

「あ、吉村さん!」

 そんな声が聞こえたと思った瞬間に無音になり、一応呼びかけてみた沙織は諦めて通話を終わらせた。


「ええと……、もしも~し? 切れた……」

「沙織。吉村の他に、新川さんもあのマンションに来ていたのか?」

 この間のやり取りを聞いていた友之が訝しげに確認を入れてきた為、沙織は安堵の溜め息を吐いてから答える。


「由良が来たのは、本当に偶然みたい。いつもだったら来る時は事前に連絡してくるのに、偶々思い立って来たら偶々吉村さんと出くわすなんて、凄い偶然よね……。でもそのお陰で、私があのマンションに居ない事がバレなくて助かったわ」

「それで、吉村は新川さんと帰ったのか?」

「あの雰囲気からすると、迫る由良から逃げ出したと言った方が正しいかも。でも由良を振り切るのは、至難の技だけど」

「どうしてだ?」

 徐々に苦笑を深めた沙織に友之が再度尋ねると、彼女は笑いながら理由を説明した。


「由良は中学高校と陸上部で、中距離走の選手だったの。以前、県大会で入賞した時の写真を見せて貰ったわ。友之さんは吉村さんに、陸上の経験があるとか聞いている?」

「その手の話は皆無だな。吉村の健闘を祈ろう。これに懲りて、休日にあのマンションに押し掛けるのを諦めれば良いんだがな。ああ、手っ取り早く、奴の住所を新川さんに教えるか」

「もう教えているけど」

「え? そうなのか? それなら新川さんは、吉村の自宅に押し掛けたりはしないのか?」

 意外そうな顔になった友之に、沙織は少々気分を害したように応じる。

「由良の名誉の為に言っておくけど、彼女はそういうタイプじゃないから。ストーカー行為を期待しないで貰える?」

 それを聞いた友之は、即座に頭を下げた。


「すまん。確かにそういうタイプと、沙織が仲が良い筈がないな」

「分かって貰えたなら良いけど。だからあのマンションのエントランスで吉村さんと鉢合わせして、余計に狂喜したと思うし。自分から積極的にアピールしなくても、愛でる会会長の肩書きが、自分と吉村さんを結び付けてくれると益々思い込みそう。友之さんが社内ですれ違う度、由良に拝まれるかもね」

「……それはそれで、ちょっと怖いな」

「本当に友之さんったら、何をやっているんだか」

「おい! 俺は何もしていないぞ!?」

 呆れ気味に言ってから、沙織はすぐに笑いを堪える表情で提案する。


「冗談よ。そんなにムキにならないで。ところで一段落したし、そろそろ出ない?」

「そうだな。気分直しに出掛けるか」

 そこで友之も気持ちを切り替え、二人で予定通り出かけていった。

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