(13)ちょっとした松原工業の危機

「あっ、あはははははっ! ねっ、ねずみっ! 溺れていたねずみが、へっ、変身っ、お、面白過ぎるぅうぅぅっ! ぶはははははっ!」

 もう遠慮もへったくれもない、スクリーンを勢い良く指差しながらの妻の爆笑っぷりに、豊が顔色を変えて柚希を制止しようとした。


「柚希、ちょっと静かにしろ! 幾らなんでも笑い過ぎだ!」

「だっ、だってぇぇっ! 初っぱなから面白過ぎるぅっ! これはあれね! 呪いをかけられてねずみの姿に変えられていた友之さんが溺れていて、助けた沙織さんが人工呼吸したら、呪いが解けたってシチュエーションなのよねっ!」

「はぁ、まあ……」

「そんなところで……」

「ぶあっははははっ! なっ、なんつう、運命的な出会いぃぃぃっ!」

「だから柚希! 笑い過ぎだと言ってるだろうが!」

「……………………」

 テーブルを叩きながら笑い崩れる柚希を、悲鳴じみた声で叱責する豊。そんな二人を他の者達が何とも言えない表情で眺めていると、押し殺した声が沙織達の耳に届いた。


「……ホテルのプールに、ねずみを落として良いと思っているの? 衛生管理面で、問題が有りすぎるわ。ホテル側から訴えられる可能性があるわよ?」

 鋭い眼光での佳代子からの尤もな指摘に、友之と沙織が慌てて弁解する。


「それはご心配なく。実はあのねずみは、大きなタライ状の物に入っていまして」

「本当にそれを編集したのよ! 最近のCG処理って、本当に凄いわね!」

「……そう」

 取り敢えずそれで佳代子は再びスクリーンに視線を向けたが、すぐに再び柚希の楽しげな声が上がった。


「凄い! あの敵役の魔女! BGMだけで台詞が一切無いのに、迫力満点! 衣装も小道具も完璧よ! 本職の役者さんをグアムまで連れて行ったの!?」

「いえ、現地のブライダルコーディネーターの方が、学生時代演劇サークルに所属していたそうで……」

「打ち合わせから逸脱したアドリブとかも、結構ノリノリで……」

 次第に冷や汗が流れてきた主役二人に、再び佳代子の冷めきった視線が突き刺さる。


「あの撒き散らされている火花や糸とかは、どう見ても本当に散乱しているようにしか見えないけど。場所がホテルの敷地内にしか見えないし、ちゃんとホテル側の許可を取っているんでしょうね?」

「はい、勿論です」

「ホテルの従業員とは別の清掃スタッフがきちんとスタンバイして、終わり次第すぐに清掃、撤収したから!」

「……当然よ」

 佳代子に一刀両断されて沙織達は顔を強張らせたが、まだまだVTRは終わらなかった。


「うわぁ! 最後はこんな大人数での一糸乱れぬダンス! これ、現地のダンサーを集めたのよね!」

「そうみたいですね……」

「皆さん、プロですね……」

「ホテルの中庭みたいな所だけど、そんな所で大騒ぎして他のお客様の迷惑にならなかったの?」

「その……、チェックアウトとチェックインの間の時間帯に、撮影をすませましたので……」

「さすがプロと言うか……、一発OKで撮影が終了したから……」

 もうまともに佳代子の顔を見れず、控え目に弁解した二人を見て呆れ顔になりながら、彼女は淡々と続けた。


「残っていた宿泊客や従業員には、さぞかし変な目で見られたでしょうね。現地の方の日本人のイメージを、変に歪めていないか心配だわ。風評被害は本当に大丈夫なのかしら」

「…………」

 もう弁解もできずに二人が黙り込み、上映も終了して室内に微妙な沈黙が漂ったが、それを柚希の楽しげな声が切り裂いた。


「あっ、あははははっ! 最高! うけるぅぅっ! 松原工業って老舗の上場企業だから凄いお堅いイメージがあったんだけど、創業家の発想が柔軟だから、ここまで発展できたんですよね! こんな愉快なお家と親戚になれるなんて、楽しいし嬉しいわぁぁっ!」

「おい、柚希! 愉快ってなんだ! 幾らなんでも失礼だろうが!」

「だって! とことん面白い事を追求するのが、松原家の家風なのよね? 創業家がそうなら、社風だってそうに決まってるわよ。だから対外的には凄く真面目に見えても、社内での宴会では凄い一芸が披露されているとか、宴会芸に秀でていないと社内で出世できないとか! きっとそうよね!」

「……え?」

「いや、それは……」

 豊が慌てて制止する中、柚希が予想外の方向に曲解して妙に力強く断言してきた為、友之と沙織は咄嗟に言葉に詰まった。しかし彼女はそれを肯定と捉えたらしく、向かい側の松原家のテーブルに向かって軽く身を乗り出しながら、嬉々として尋ねてくる。


「ちなみに、友之さんの持ちネタは何ですか!? せっかくですから、ここで披露していただきたいわ!! あ、お父様とお祖父様も是非ご一緒に!!」

「あ、いや……、それは」

「その……、私はそれほど芸達者な方では」

 予想外の話の流れに義則と孝男が動揺しながら断ろうとしたが、それで柚希は更に曲解したらしくとんでもない事を口にした。


「まあ、皆様ご謙遜を。……あ、そうですか。普段の無礼講な酒宴ならともかく、こういう公の場で披露するには、多少差し障りがあるような芸なのですね。分かりました。とても残念ですが、潔く諦めます」

「いえ、決してそういう事では」

「あの、柚希さん。それは誤解」

「大丈夫です! 松原工業の社員と合コンをするときは、もれなくちょっと外聞を憚るえげつない爆笑ものの芸を披露して貰えると、松原工業のフレンドリーな面を強調して社内や周囲に吹聴しておきますから! その折には遠慮なくご披露ください!」

「ですから、それは誤解で」

「柚希さん」

「はい、お義母さん。どうかしましたか?」

 柚希が力強く宣言した内容を聞いた松原家の面々が、松原工業に関して変な噂が流れかねないと慌てて否定しようとしたところで、佳代子が鋭い声で会話に割り込んできた。それに対して柚希が笑顔で応じたが、佳代子は冷ややかな顔のまま嫁に向かって問いを発する。


「あら。あなた、私が一々懇切丁寧に説明しないと、私の言いたい事が分からないのかしら?」

 先程沙織達に向けた視線とは比較にならない冷え切った視線を向けた佳代子と、満面の笑みの柚希が見つめ合うこと数秒。柚希が困ったように笑いながら、軽く頭を下げた。


「申し訳ありません。以後は慎みます」

「そうした方が良いでしょうね」

 それ以降は柚希は姑同様黙ってVTRを鑑賞し、松原家の面々は安堵して胸を撫で下ろした。


(助かったけど……、本当に助かったと言えるのかしら?)

(何だか一気に微妙な空気になったが、取り敢えず松原工業に変な噂は立たないよな?)

 それから間もなく上映は終了し、気を取り直した司会が宴の終了を告げた後、全員で写真スタジオに移動した。そこで全員で記念写真を撮影して解散となり、主役二人は着替えに控室に出向き、他の者は荷物や引き出物を預けておいたその階のクロークへと向かった。

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