(14)両親の愛

 友之が控え室でタキシードから手早く自分のスーツに着替え、会場付近に戻ると、披露宴終了後も沙織の家族と話し込んでいたのか、自分の家族達が大して移動せずに立ち話しているところに遭遇した。


「全く……、真由美。沙織さんが友之と結婚してくれて嬉しいのは分かるけど、あれは悪乗りしすぎでしょう。松原工業の変な噂が流れるかもしれなかったのよ?」

「向こうのお義母さんが、終始冷静で助かったな。本気で呆れられないように、これからは少し気を付けろ」

「……はい。分かりました」

 静江と孝男からきつく言い聞かされて肩を落としている母親と、その横で苦笑いしている父親を認めた友之は、(さすがに母さんも、お祖父さん達には頭が上がらないらしい)と笑いを堪えながら歩み寄った。


「皆、ここに居たんだな。向こうの人達は、まだそこら辺にいるかな?」

「ああ、ついさっきまでお話ししていたからな」

「俺達は先に帰るから、沙織さんとゆっくり帰ってきなさい。彼女の方が着替えに時間がかかるだろうし」

「そうするよ」

 祖父と父に言われた友之は、そこで彼らと別れて佳代子達を探して歩き出した。するとすぐに、同じフロアの庭園を見渡せる休憩スペースに、四人が固まっているのを発見する。しかし歩み寄りながら彼女達の話に耳を傾けると、姑からの指導中らしかった。


「柚希さん。あなたの頭が良いのは、重々承知していたつもりだけど……。いつもああいう、見当違いな事を喚き立てているわけではないでしょうね?」

「勿論、豊が後ろ指をさされるような事はしておりませんので、ご安心ください」

「その言葉、取り敢えず信じておくわ。ところで豊、何か言いたい事でもあるの?」

「いいや? 別に何も?」

 神妙に柚希が佳代子に向かって頭を下げる横で、豊が視線を逸らしながら肩を竦める。そんな微妙な空気を醸し出している集団に向かって友之は躊躇いなく歩み寄り、深々と頭を下げた。


「皆さん、今日はご出席いただき、ありがとうございました」

「別に……、あんたの為に、わざわざ出向いたわけじゃない」

「薫、止めないか」

 その日初めて言葉を発した薫を見て、どうやら今でも自分の事を認めた訳では無いらしいと友之は苦笑したが、その無遠慮な物言いに豊は渋面になって弟を諌めた。そこで相変わらず冷静な佳代子の台詞が続く。


「沙織には先程、控え室の方に出向いて着替え中に声をかけて来ましたので、これで失礼します」

「はい。お疲れ様でした」

 相変わらず淡々とした口調で述べた佳代子は、終始仏頂面だった薫を引き連れて立ち去った。すると豊が、面目無さそうに妻に向かって頭を下げる。


「柚希、すまないな。母さんには終わった後で、俺が嫌みの一つも言われておこうと考えていたんだが」

「率先して話を振ったのは私だし、別に気にしていないわ。あのふざけたメモリアルムービーを見たら、お義母さんがキレるのも当然だし。あれは幾ら何でも、ちょっとやりすぎだったわね」

 そんな事を話している二人に、友之は改めて頭を下げた。


「豊さん、柚希さん。今日はありがとうございました。やはりお義母さんを怒らせてしまったみたいで、お二人にまでご迷惑おかけしました」

「いえ、父が同席している事で、元々母の機嫌が良くないのは予想していましたし」

「でもあそこでお義母さんが猛然と松原家側に抗議したら、洒落にならないもの。私が見当違いな事を喚いてお義母さんの怒りの矛先をこちらに向けて、友之さんがちょっと笑い者になる位で事が収まるなら、御の字よね」

「お気を遣わせて、本当に申し訳ありませんでした」

 再度友之は頭を下げたが、頭を上げると柚希がそれまでの笑みを消し、真顔で言い聞かせてくる。


「沙織さんとお義母さんの仲が良さそうで結構ですけど、沙織さんはまだちょっとお姑さんとの距離感に戸惑っているみたいだし、友之さんとお義父さんはお母さんに妙に甘いみたいですが、お二人とももう少ししっかりしてください。二度目は無いですよ?」

「重々、肝に銘じておきます」

「柚希、その辺で。今日は祝いの席だから。それでは私達は、これで失礼します」

「はい。本日はありがとうございました」

 そんなこんなで、もう本当に目の前の二人に対して頭が上がらない気分になりながら、友之は義理の兄夫婦を見送った。



「あら? 友之さんはどこかしら?」

 場所が場所だけに周囲から浮かないようラフな格好ではなく、それなりにフォーマルなワンピースに着替えを済ませた沙織が、友之と待ち合わせをしていた場所に来たものの、相手が見当たらない為、周囲を見回した。すると背後から和洋が現れて声をかけてくる。


「沙織」

「あ、和洋さん。友之さんを見なかった?」

「あいつから、ここで沙織と待ち合わせていると聞いたから、俺の話が済むまで暫く寄り付くなと言っておいた」

 いかにも面白く無さそうな表情でそんな事を言われた沙織は、呆れ顔で問い返した。

「何を脅しているのよ。第一、何の話?」

 その途端、和洋は沙織の両肩を掴みながら、涙目で訴えてくる。


「だって沙織ちゃん! あのメモリアルムービーは、一体何事だい!? 沙織ちゃんは間違っても、あんな事を嬉々としてやる子じゃ無かったよね!?」

「ええ……。まあ、確かに……、私は今までも今現在も、そんなキャラじゃない事は確かね……」

 沙織が思わず遠い目をしてしまう中、和洋の切羽詰まった感の訴えが続いた。


「もう本当に、お父さん心配で心配で! でも披露宴の間は、騒いだら佳代子に叩き出されると思って、お父さんずっと我慢してて! 俺よりも先に佳代子が怒り出すかと思っていたが、先に柚希さんが爆笑しちゃったせいか、予想外に冷静だったし!」

「うん……、本当にびっくりだったわ。柚希さんの笑いっぷりと、お母さんの平常運転さには……」

「沙織ちゃん! あの男の両親に虐められたり、無理強いされているんじゃないのかい!? 何か変な写真を撮られて脅されているとか、嫌々ながら仕方なく結婚したとか」

「あのね、そういう心配は無用だから」

「だって! そもそも入籍しないで事実婚なんて!」

「それについては、ちゃんと説明したわよね! 今になって蒸し返さないでくれる!?」

 さすがに騒ぎ過ぎだと自覚し、徐々に周囲から向けられる訝しげな視線を感じた沙織が苛つきながら叱り付けたが、和洋のテンションは変わらなかった。


「沙織ちゃん! お父さんは、いつでも沙織ちゃんの味方だからねっ!! いつでも頼ってくれて良いんだからねっ!! あのマンションは沙織ちゃんがいつ帰ってもすぐに生活できるように、俺がきちんと掃除して必要な物を補充しておくからねっ!!」

「あのね、だから人の話を聞いて」

「それに沙織ちゃんを泣かせたら、手段を選ばず必ず松原工業を潰して、ろくでなし野郎を路頭に迷わせてやるから!!」

「ちょっと待ってよ! 松原工業は私の勤務先だし、CSCは松原工業とは業務が被ってもいないじゃない!! どうやって潰す潰さないの話になるのよ!?」

「……沙織はCSCに再就職すれば良いし、『蛇の道は蛇』という言葉は知っているよな?」

(うわ……。和洋さんの顔、完全に本気モード……。危険過ぎる。これ以上、下手に興奮させられないわ)

 そこで急に真顔になった和洋が、据わった目で不敵な笑みを浮かべながら口にした台詞で、沙織は一気に血の気が引いた。単なる親馬鹿男ではなく、さすがにCSCをゼロから一流優良企業まで成長させただけの事はあると改めて認識していると、そんな沙織に和洋が抑えた口調のまま言い聞かせる。


「とにかく、沙織ちゃん。成人して自活している人間が自分自身で決めた事なら、一々親が反対する事ではないと思っているけれど、困った事があったら本当に我慢しないで相談するんだよ? 変な事に巻き込まれたり巻き添えを喰わされそうで、お父さん心配で心配で」

「はいはい、分かりました。色々とご心配かけてしまっているみたいで、誠に申し訳ありません。これからは定期的に電話して、近況報告とかするようにしますし」

 反射的に相手を宥める言葉を口にした沙織だったが、その途端、それに和洋が嬉々として食い付いた。


「沙織ちゃん、本当かい!?」

 その反応に、沙織は正直しまったと思ったものの、今さら撤回できずに頷く。

「……女に二言はないわ」

「そうかそうか、沙織ちゃんから電話してくれるのか! うん、分かった。じゃあお父さん、沙織ちゃんからのラブコールを、指折り数えながら待ってるからねっ!! 毎日電話してくれるのかなっ!?」

「……週一位ならね」

 父親のハイテンションぶりに軽く引きながら言葉を返すと、そんな沙織に和洋は感極まったように勢い良く抱き付く。


「うんうん、それでも良いよ! じゃあ沙織ちゃん。身体にだけは気を付けて、頑張るんだよ?」

「ええ、今日は来てくれてありがとう。気を付けて帰ってね」

 取り敢えず宥めてさっさと帰って貰おうと、沙織も和洋の背中に両腕を回して、軽く背中を叩きながら声をかける。するとそれで十分に満足したらしく、和洋は彼女の身体から両腕を離し、踵を返して歩き始めた。と思ったら最後に振り返り、沙織に向かって手を振りつつ声を張り上げる。


「それじゃあ沙織ちゃん、愛してるよ!」

「そんな事を一々叫ばないで!」

 周囲からの好奇心に満ちた視線に、心底うんざりしながら叫び返した沙織は、和洋が少し先のエレベーターに吸い込まれるまで引き攣った笑顔で手を振り返し、扉でその姿が隠れてからがっくりと肩を落とした。

「最後の最後で疲れた……」

 そして持っていたハンドバッグからスマホを取り出し、半ば八つ当たり気味に友之に電話をかけ始めた。


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