第6章 陰謀、動揺、時々誤解

(1)新年早々の動揺

 年末年始休暇を終えた沙織と友之は新年早々、例の微妙に引っ掛かりのある中途採用社員と顔を合わせた。

 

「皆、明けましておめでとう。今日からこちらの吉村和史君が、営業二課の一員となる。色々教えてやってくれ」

「吉村和史です。宜しくお願いします」

 二課に吉村を引き連れてやって来た部長の工藤が新年の挨拶を済ませ、その隣で彼が神妙に頭を下げる。その時点で特に不審な点や問題を感じなかった友之は、周囲の歓迎の意の拍手が収まってから、彼に向かって右手を差し出した。

 

「二課課長の松原友之です。こちらこそ宜しく。期待しているよ」

「ご期待に沿えるよう頑張ります」

「それでは松原課長、後は宜しく」

「はい」

 友之達が握手しながら友好的な挨拶を交わしているのを見て、工藤は安心したようにその場を離れた。それに伴い、友之が新たな指示を出そうとしたところで、握手を済ませた吉村が周囲を見回して意外そうな声を上げる。


「あれ? ここに居るって事は、君も営業二課の所属だよね?」

 真正面から沙織を見据えながら吉村が挨拶抜きで問いかけた事で、周囲の視線が一斉に二人に集まった。

(何、この人? 初対面なのに、随分馴れ馴れしい人ね)

 沙織が呆れ、無言のまま友之も僅かに眉根を寄せる中、彼女は表面上は落ち着き払って軽く頭を下げた。


「はい、関本沙織です。宜しくお願いします」

「こちらこそ宜しく。上司の彼女とは仲良くしておかないと、色々やりにくいと思うしね」

「は? 彼女って、何の事ですか?」

「あれ? ひょっとして職場では、君と課長が付き合っているのは秘密だったのかな?」

「……え?」

 含み笑いでそんな事を言われた沙織は、動揺のあまり固まった。しかし傍目には単に困惑しているようにしか見えず、周囲の者達も「こいつ、何を言ってるんだ?」と言う訝しげな顔になる。


(えぇえぇぇっ!! なんで!? どうしてバレてるの!? でも付き合ってるんじゃなくて、結婚してるんだけど!! いやいや、そうじゃなくて!?)

 そんな微妙な空気の中、内心で動揺しまくっている沙織とは対照的に、友之は冷静に考えを巡らせた。


(何だ、こいつは……。さっきから目が笑っていない、微妙にいけ好かない奴だとは思っていたが、沙織と二人でいる所を見られたのか? グアムか、その前か……)

 そこで注意深く吉村の顔を観察した友之は、一秒もかからずに該当する記憶を探り当てた。


(そうか。どこかで見た顔だと思ったら、宿星のカウンターの男か。確かにあの時、何やら変な目で俺達の事を見ていたな)

 そこで友之は、相手が分かれば対応のしようもあるとばかりに、さりげなく会話に割り込んだ。


「最近、関本と二人で行った店となると……。ああ、そうか。思い出した。吉村君。先月俺達が宿星に行った時、カウンター席に男二人で座っていただろう?」

 その確信に満ちた問いかけに、まさか自分の事を覚えているとは思っていなかった吉村は、若干たじろぎながら応じる。


「……良く覚えていらっしゃいますね」

「チラッと見ただけだが、いかにも仕事ができそうな顔をしているなと、印象に残っていたから。できればヘッドハンティングしたいとも思ったが、偶然にもそんな人物が自分の部下になってくれて、とても嬉しいよ。君には期待している。頑張ってくれ」

「どうも……。微力を尽くします」

 手放しでの賛辞に、吉村は下手な事は言えずに頷き、珍しい物を見た周囲は怪訝な顔を見合わせる。


(どういう事だ? 課長らしくないな)

(課長は普段、こういう見え透いたお世辞は、口にしないタイプなんだが……)

(お世辞では無くて、嫌みなのか? こいつと何かあるのか?)

(何だ、驚いた。あそこで見られたわけか。だけど友之さん、良くこの人の事を覚えていたわね。私、全く記憶が無いわ)

 沙織だけは友之が自分が考える為の時間稼ぎと、相手のがどうしてこのような事を言い出したのかのヒントをくれたと理解し、早速その話に乗った。


「確かに先月、課長と二人であの店に行きましたね。それを吉村さんが目撃して、私達が付き合っていると推察したわけですか」

「どうやらそうらしいな。だが、俺達が付き合って見えたとは……」

「そんな事を言ったら、課長は課内の殆どの人間と、付き合っている事になりますよね?」

 クスクス笑いながら沙織が茶化すように述べると、友之がいかにも嫌そうに応じる。


「こら、付き合って貰っているのは呑みにだからな? 間違っても変な噂を流すなよ?」

「当たり前です。職場を離れたら課長とは呑み友、それ以上でもそれ以下でもありません」

「呑み友? 結構良い雰囲気に見えたけど?」

 ここで疑わしそうに吉村が口を挟んだが、沙織はそれを真顔で一刀両断した。


「それではお伺いしますが、吉村さんは本命の彼女を、宿星みたいなお店に連れて行くんですか? 確かに大衆的な居酒屋ではありませんが、ちょっと気の利いた小料理屋的なお店ですけど」

「確かに酒も料理も旨いが、一般女性受けはするかどうか……。現にあの時も、店内の客は殆ど男性だったと記憶しているが」

 友之も多少わざとらしく首を傾げると、朝永が確認を入れてくる。


「課長、宿星って新橋のあそこの事ですか?」

「ああ。以前、朝永に連れて行って貰った時、関本が好みそうな店だなと思ったから、偶々二人とも早く上がれた時に呑んで帰ったんだ」

 それを聞いた朝永は、明るく笑いながら頷いた。


「そうでしたか。まあ確かに、一般的な本命女性は連れて行かないでしょうね。ですが関本は、ある意味女の範疇に入りませんから」

「朝永先輩。ちょっと失礼じゃありません?」

「『ある意味』と言っただろうが。ここで絡むなよ」

(本当に、ただ一緒に飲みに行っただけか?)

 途端に周囲の者達が面白おかしく沙織を冷やかし始めたのを、吉村は憮然としながら眺めていたが、ここで友之が冷静に部下達に呼び掛ける。


「それでは皆、今日の仕事に取りかかってくれ」

 それを受けて、集まっていた者達は自分の席に戻り、友之はさくさくと話を進めた。


「吉村さんの机は、そこに準備してあります。業務の内容については、一通り杉田係長から説明して貰った後、朝永に付いて貰う事になります」

「それでは吉村さん、こちらに」

「はい。失礼します」

 側に控えていた杉田に促され、吉村は友之の前から一礼して離れた。それから友之は、(色々な意味で油断できない男かもしれないな)と思いつつも、取り敢えず吉村の事は一旦心の隅に置き、本来の業務に取りかかった。

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