(18)沙織の本音

「待ち合わせの前にちょっと買い物もしたかったので、夕方の早めにマンションを出たんです。そうしたら偶々、飼い主の女性と一緒に散歩をしているジョニーと遭遇しました」

「へえ? それは凄い偶然だったな」

「本当にそうですね。日中にジョニーを見たのは初めてでしたが、日の光の中でもジョニーは抜群のイケネコでした……」

「お前の、ジョニーの魅力に関する主張は分かった。それで?」

 その時の情景を思い返しながら、しみじみと語る沙織を見て、友之は少々うんざりしながら話の先を促した。


「飼い主の方は、夜に猫用の出入口からジョニーが抜け出しているのを把握していましたが、ケージに入れようとすると怒って暴れるので、黙認していたそうです」

「しかし外に出るのが分かっていたのなら尚更、首輪は付けておいた方が良くはないのか?」

「どうもジョニーは、束縛されるのが嫌いみたいで。首輪とかは断固として、拒否しているそうです」

 それを聞いた友之が、グラスを傾けながら呆れ顔で感想を述べる。


「随分と気位が高い猫だな」

「ある意味、お貴族様ですから」

「え?」

「ジョニーの本名は、『アレクサンダー・ユーグリクス・ラスティネル・フローリドⅡ世』だそうです」

 それを聞いた友之は、飲んでいたウイスキーを噴き出しかけた。


「う、ぶはっ! ぐっ……。おい、それって、血統書付きって事だよな?」

「そういう事ですね」

「そっ、そうかっ……」

 そのまま笑い出したいのを堪えるように、片手で口元を覆って俯いた友之に向かって、沙織が説明を続けた。


「飼い主の女性が、如何にも上品な女性で……。あの女性なら、ジョニーを従えて歩いていても納得できます。まさに女王陛下と、それに付き従う騎士って感じで。あの二人を眺めていたら、なんとなく柏木さん達を思い出しました」

 沙織のその台詞を聞いて、友之は瞬時に笑いを消して項垂れる。


「……今ので、一気に笑えなくなった。洒落にならん」

「そんな素に戻って、呻かないでくださいよ」

 軽くそんな文句を言ってから、沙織は話を続けた。


「ジョニーと私が顔見知りな事を察した飼い主さんから話しかけられて、時々家に来ている事を話したら、『迷惑をかけて申し訳ありません』と謝られました。『こっちは好きで餌をあげたり構っていたので、気にしないでください』と言いましたが」

 それを聞いた友之が、さもありなんと言う表情で同意を示す。


「それはやっぱり、自分の知らないところで餌を貰っていたと知ったら、普通飼い主は気にするだろう。ジョニーの夜間外出が、今後禁止になるかもな」

「う~ん、でもジョニーなら、どうにかしてフラフラ出歩きそうな気がするんですよね。その方に外出の頻度を聞いたら、明らかに私の所に来る時以上の回数で、出かけているみたいですし」

 そこで友之は、眉間に軽くしわを寄せながら考え込んだ。


「そうなると……。まさか沙織の所以外にも、顔を出している可能性があるのか?」

「その可能性は濃厚ですね」

 沙織が頷いて同意すると、友之は途端に不機嫌な顔になって飲み始める。


「……猫の分際で許せん。あちこち渡り歩きやがって」

「猫に対して、そんな風に真顔で怒らなくても」

(本当に、時々意外な顔を見せる時があるのよね)

 そのままブチブチと小声でジョニーに対する悪態を吐いている友之に、沙織は笑いを堪えながら一口飲み、結論を述べた。


「そういうわけで、別に私が引っ越しても、ジョニーの事は心配無いのが判明しましたから」

「それなら取り敢えず、懸念が一つ減って良かったと言うべきか」

 そこで気分を直したらしい友之が、いつもの表情で飲み進めるのを横目で見た沙織は、改まった口調で声をかけた。


「友之さん?」

「うん? どうした?」

「ハンデ上乗せで、勝負してみても良いですよ? それで友之さんが勝ったら、この場でプロポーズの返事をしますけど。どうですか?」

 沙織がそんな賭けを持ち出すと、友之は即座にすこぶる真顔で反応してくる。


「受けて立つ。どういう条件だ?」

「そっちがマッカランをあと十杯飲んでから、私が三球で8番を落とせる条件です」

「却下」

 友之が微塵も迷わずにはねつけたのが予想外だった為、沙織は驚きながら問い返した。


「そこまで即答しますか……。お酒には強い方だから、それ位飲んでもふらつく程度で泥酔はしないでしょう? それならハンデとしては、ちょうど良いかと思ったんですけど」

 しかしその問いに、友之は渋面になりながら言い返す。


「あのな……。俺は明日の朝一番で部長と春日と一緒に、手越マテリアルに出向く予定があるんだ」

 それを聞いた沙織は、少し前から職場内で話題に上っていた商談の事を思い出した。


「ああ……、決まれば大口契約締結って言うあれは、明日だったんですか……。でも、一晩でお酒は抜けますよね?」

「冗談を言うな。万が一抜けなかったり、寝坊したり二日酔いで商談に支障をきたしたらどうする。お前は大事な商談の前夜に、平気で大酒をあおれるのか?」

 険しい表情で叱責されて、沙織はさすがに自分の非を認めた。


「すみません……。失言でした」

「分かれば良い。取り敢えず、結婚をかけた勝負はお預けだ。あと1、2回ゲームしたら出るぞ」

「そうですね」

 冷静に言い聞かせてくる友之に素直に頷き、沙織はグラスを舐めるように少しずつ飲み進めた。そして少ししてから、友之に声をかける。


「……友之さん」

「どうした?」

「どんな仕事に対しても決して手を抜かないところ、前から結構好きですよ?」

 微笑みながらそんな事を言ってみると、友之は驚いたように軽く目を見開いてから、盛大に溜め息を吐く。


「あのな……」

「はい。何ですか?」

「今の発言は、上司としてって事だよな?」

「勿論そうですが、一人の人間としても好きですよ?」

 すました顔で沙織が言ってのけると、友之はカウンターの上で両手を握り締めて俯きながら、かなり無念そうに呻いた。


「明日、あの商談が入っていたのが、本当に悔やまれる……」

「その悔しさを糧にして、何が何でも話を纏めてきてください」

「当たり前だ。上司としても一人の人間としても、惚れ直させてやる」

「吉報を待ってます」

 決意漲る表情で再びグラスを手にした友之に、沙織は明るく笑いながら応じた。

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