(15)結婚観

「お義母さんがお義父さんを好きだったのは本当だし、結婚した以上、全力でお義父さんをサポートしたかったのよ。現に弁護士事務所も辞めて、専業主婦になっていたんでしょう?」

「確かに母さんは色々極端だし、思い込んだら一直線な所があるよな。普段冷静沈着に見えるから、周りからはそうは思われないが」

「それに、例の浮気がバレるまでは夫婦仲は良かったし、家庭円満だったのよね?」

「そうだな。確かに周りからは『一之瀬さんの所は、理想的なご夫婦ね』と言われていたし……」

 そこまで夫婦で語り合っていた豊は、突然何かに気付いたように、勢い良く沙織を振り返った。


「え? まさかひょっとして、お前の結婚生活のイメージって、当時の親父と母さんだとか言わないよな?」

「理想の夫婦とまで思っているかは不明だけど、劇的な別れ方をしてシングルマザーになったお義母さんに育てられた反動で、余計に深層心理にインプットされていないかしら?」

「…………」

 兄からの驚愕の視線を視線を受けつつ、義姉からの問いかけに沙織が微妙な顔で無言を貫いていると、柚希が真顔になって言い聞かせてきた。


「でもね、良く考えてみて? お義母さんは沙織さんに対して、『男なんかどいつも最低』とか、『結婚なんかろくなものじゃない』とか、『結婚するんじゃなかった』とか、結婚そのものに対する否定的な言葉を、これまでに一度でも口にした事があるかしら?」

 そう問われた沙織だけでは無く、豊も真顔になって考え込んでから、揃って同様の答えを導き出した。


「記憶にある限りでは、皆無です。仕事に関する愚痴を零された事はありますが」

「確かにそうだな。結果はともかく、結婚する事自体に否定的な事を口にしていた記憶はない」

 それを聞いた柚希は小さく頷いてから、話を続けた。


「お義母さんは例えあんな別れ方をしたとしても、結婚生活自体をマイナスだったと捉えていないわ。寧ろ、プラスだったと言っていたもの」

「はぁ? 冗談だろ!?」

「本当に、そんな事を言っていたんですか?」

 途端に懐疑的な表情になった兄妹に向かって、柚希は大真面目に事の次第を告げる。


「ええ。離婚してから恥を忍んで、結婚前に勤務していた法律事務所に、再雇用を頼みに行ったそうよ。そうしたらそこの所長さんに『離婚がどうした。寧ろ挫折を経験した事で、君は一回りも二回りも成長できた筈だ。それを糧に、今後は困難に直面しているクライアントを、親身になって助けてあげたまえ』と激励されたんですって。それで心機一転、離婚訴訟での代理人として働く事になったそうよ。それで『自分も離婚経験者です』とクライアントに言うと、より安心して任せて貰える事が多かったとか」

「あの所長さんなら、言いそうだよな……」

「うん……。面倒見良い人だよね」

 時折、母の職場を訪れたり、家族ぐるみで付き合いがあったりして、その人物の人となりを熟知していた二人は、深く納得して頷いた。


「それにお義母さんは浮気現場に踏み込んだ時、逆上してお義父さんと浮気相手に大怪我をさせてしまったでしょう?」

「頼むからあの修羅場を、思い出させないでくれ……」

「その後、我に返ってから、もの凄く反省したそうなの。『あのまま夫を殺していたら、母親が父親殺しの犯人だなんて、最低の状況に子供達を追い込むところだった。それを猛省して、以後は離婚調停やDV被害者の代理人として、全力を尽くす事を自分自身に誓った』とも言っていたわ」

 それを聞いた豊と沙織は、思わず遠い目をしながら呟く。


「確かに、『お母さんにお世話になりました』って、手土産持参で家に挨拶に来る人や信奉者が、昔から多かったよね……」

「特に男がな。『普通の弁護士さんだと『女から殴る蹴るや罵詈雑言を浴びた位で、訴えるとか情けないとは思わないのか?』と相手にもして貰えなかったり、更なる暴言を浴びる事さえあったのに、お母さんには親身に相談に乗って貰った上、自分の名誉を守って貰った』とか、涙ぐんで言われた事もあったよな……。女性から男性へのDVって、その逆に比べるとまだまだ認知度が低いし」

「お母さん、実際に浮気相手に暴行したし、和洋さんに罵詈雑言浴びせたものね……。浮気していた引け目や世間体があったから、相手から訴えられずに済んだけど」

 そこで二人揃って盛大に溜め息を吐くと、ここで柚希が微妙に話題を変えた。


「浮気されて離婚を考えた当時、周囲はこぞって思いとどまるように促したそうなの。勿論、対外的な事があるから、浮気相手が女だと取り繕っての事よ?」

「それはまあ……」

「そうでしょうね……」

「それで、じっくり考えてみたそうなの。この先一生、お義父さんと一緒に生きていけるかって」

「それで?」

「さっきの台詞に戻るけど『一時の過ちだと、いつかは笑い話にできそうだったら良かったけど、いつか必ず夫の息の根を止める自信があったの。その場合、殺人犯の親を持つ子供達が可哀想だから、別れる事にした』そうよ」

「……本当に、極端だよな」

「やっぱり、毛嫌いしていると思う」

 母親の考えを聞いた二人が、うんざりした様子で感想を述べると、柚希が疑問を口にする。


「う~ん、それはどうかな? 本当に心底嫌っていたら、殺したいとも思わずに精神的にすっぱり切り捨てると思うし、好きな事は好きなんじゃない? 弁護士としての誇りがあるから、犯罪者になるのはまっぴらで、それでお義父さんと関わり合うのを悉く拒否しているけど」

「相変わらず、母さんの考えは良く分からん」

「確かにちょっと、摩訶不思議よね」

「それでお義母さんは『夫婦の数だけ夫婦の形があるわけだから、別にあなた達がどんな夫婦になろうが、干渉するつもりはさらさら無いわ。だけどそれを維持するのが無理だと思ったら力になるから、遠慮無く言いなさい』という話から、私達の間で離婚訴訟に至った場合の、代理人の話に繋がるわけ」

「ちょっと良い話かと思ったら、結局それかよ!?」

 思わず豊が声を荒らげ、沙織が冷静にコメントする。


「一応お母さんなりに、柚希さんに気を遣った結果じゃない? それに豊は一之瀬姓になった裏切り者だし、本当に豊より、柚希さんの方が可愛いのかもしれないわ」

「理不尽だ……」

 本気で頭を抱えて呻いた夫を笑って眺めてから、柚希は沙織に向き直った。


「沙織さんはバリバリ働いているお母さんの背中を見て育って尊敬もしているから、そんな風に働くなら結婚は無理だし、結婚するならお義母さんが結婚していた時のように暮らすのが望ましいと無意識に考えているかもしれないけど、そういう考えは一度リセットしてみても良いんじゃないかしら?」

「リセット、ですか……」

「ええ。さっきのお義母さんの台詞のアレンジだけど、結婚したらこれまでの人生の何倍もの時間を、その人と一緒に過ごす事になるのよ? 今一緒に居て楽しいのは当然でしょうけど、三十年四十年経った頃に、一緒に楽しく暮らしている想像ができるかしら?」

「正直、想像するのは難しいですが……」

「因みに私は、豊が禿げても太ってもしわしわになっても、一緒にいると思うけど?」

 気負いなくさらりと口にした後は、にこにこと笑顔を向けてくる柚希に、沙織は苦笑いしかできなかった。


「……御馳走様です」

「そこでさらりと惚気をぶち込むな。恥ずかしいだろうが」

 沙織に続き、僅かに顔を赤くした豊が微妙に視線を逸らしながら告げると、柚希はおかしそうに笑いながら話を続けた。 


「別に良いじゃない。要は、私はどんな形になっても沙織さんの結婚を応援するし、きっとお義母さんもそれほどこだわりは無いわよって、言いたかったんだもの」

「ありがとうございます」

「どういたしまして。……それで? 沙織さんにプロポーズした人って、どんな人なの?」

 それからは興味津々で尋ねてくる兄嫁に苦笑しながらも、沙織は友之について、話せるだけの内容を兄夫婦に語って聞かせた。

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