(14)意外に良好だった、嫁姑関係

 週末の夕方。手土産持参で初めて兄の自宅マンションを訪れた沙織は、ダイニングテーブルを兄夫婦と囲みながら、神妙に頭を下げた。

「柚希さん、すみません。急にお邪魔する事になって」

 しかし兄の豊と職場結婚した柚希は、明るく笑い飛ばす。


「あら、本当に気にしなくて良いのよ! 前々から沙織さんの事は、家に招待したかったし! 無理に呼びつける形になってしまって、却ってごめんなさいね? もし私の耳に入れたくない話をしに来たのなら食後に席を外すから、遠慮なくそう言って?」

「ありがとうございます。でも冷静な第三者の意見も欲しかったので、柚希さんが同席してくれる事になって、ちょうど良かったかもしれません」

「それなら難しい話の前に、食べるだけ食べてしまいましょう」

「はい。美味しくいただいてます。柚希さん、このマリネ、美味しいですね」

「ありがとう。自分でもなかなかの出来だと思うの」

 女二人でそんな会話を交わしつつ、にこやかに食べ進めていると、ここで豊が不思議そうに沙織に尋ねた。


「沙織の方から『ちょっと相談があるから、時間を取って欲しい』なんて言うのは本当に珍しいし、しかも親父には『絶対内密に』だなんて凄い念押しをしてくるから、何事かと思ったぞ。お前の相談事って、一体何なんだ?」

 そこで沙織は本題には触れないまま、疑問の一つに答えた。


「口止めに関しては、和洋さんが絡むともの凄く面倒な事になるのが、火を見るより明らかだからよ」

「そうなると、その相談って言うのは、母さん絡みの話なのか?」

「ううん、純粋に私の話」

「ふぅん? それで? 食事が不味くなるような話なら、やっぱり食後に聞くか?」

 何気なく豊がそう問いかけてきた為、沙織は一瞬悩んだものの、さり気なく話を切り出した。


「そうね……。確かに少し驚くとは思うけど、食事が不味くなる類の話ではないと思うわ。実は今、付き合ってる人がいるんだけど」

 それを聞いた豊は、箸を動かしながら平然と頷く。


「それは居るだろうな。お前の性格のせいか、どの男も長続きしていないみたいだが」

「『長続きしていない』って言うのは余計よ」

「悪い。俺は正直者だからな。それで? まさか今の男と、結婚するとか言わないよな?」

「してくれって言われたの」

「え? 冗談のつもりで言ったんだが……」

 淡々と沙織が口にした内容を聞いて、軽口を叩いていた豊は箸からご飯を取り落とし、柚希はそんな夫を軽く睨みながら窘めた。


「豊。ここはまず、おめでとうって言うところよね?」

「それはそうだが、いきなりだったし。……うん、まずはめでたい。結婚式にはきちんと出るからな。祝儀も弾むぞ?」

 そんな取って付けたような祝いの言葉を口にした兄を無視して、沙織は柚希に軽く頭を下げた。

「すみません、柚希さん。結婚するかどうかは、まだ決まっていないんです」

 それを聞いた柚希が、忽ち怪訝な顔になる。


「あら、どうして? 相手は付き合っている人なのよね? 結婚するのに、何か問題でもあるの?」

「それが……、お互いに異動したくないから、事実婚をしようと提案されました」

「異動? 事実婚?」

「何なんだそれは。沙織、頼む。俺達にも分かるように、話をしてくれ」

 柚希に加え、豊も真顔で懇願してきた為、それから沙織は食事を中断して、順序立てて自分達の関係やプロポーズまでの経過について説明した。そして彼女が語り終えると、兄夫婦から溜め息が漏れる。


「そういう事情なのね。それは確かに、なかなか微妙な問題かもしれないわ」

「それでそんな条件……。しかも相手がよりによって、以前親父が散々悪態を吐いていた、『セクハラパワハラ野郎』だなんて……」

 本気で頭を抱えてしまった兄を見て、沙織も思わず溜め息を吐いた。


「和洋さんったら、友之さんの事を豊にも愚痴っていたのね……。多分そうじゃないかなと、薄々思ってはいたけど」

「それで沙織さんは、その課長さんと事実婚をするかどうかで迷っているのね?」

 そこで問いを発した柚希に、沙織は自分でもどう言って良いか迷っている風情で、微妙にずれた事を言い出した。


「迷っていると言うか、何と言うか……。そもそも私、結婚に向いているタイプに見えますか?」

「全然見えないな」

「豊には聞いてないから」

「あなたは黙ってて」

「……そんなに邪険にしなくても」

 すかさず口を挟んだ豊を女二人は一刀両断し、拗ねた彼を放置して話を進めた。


「結婚するのに、見た目が結婚に向いているタイプとかそうでないとか、全然関係ないと思うけど?」

「そうですか?」

「それなら逆に聞くけど、結婚しそう、または結婚に向いているタイプって言うのは、沙織さんのイメージだとどういう人なの?」

「それは、何というか……。やっぱり家庭的な人とか?」

「家庭的、ねぇ……。これはやっぱり、幼少期の影響かな?」

 柚希がそこで腕組みしながら、一人で納得したように頷いているのを見て、沙織は勿論、豊も不審に思った。


「柚希さん?」

「『幼少期の影響』って、お前、何を言ってるんだ?」

 その問いかけに、柚希は些か人の悪い笑みを浮かべながら、兄妹にとって予想外過ぎる事実を打ち明けた。

「実は、例の披露宴の出席に関しては散々拒否されたけど、私、あなたとの結婚が決まってから、お義母さんと膝を突き合わせて話した事があるのよ」

 その事実に豊は驚愕し、慌てて妻を問い詰めた。


「はぁ!? ちょっと待て! そんな事、俺は聞いてないぞ!?」

「だって女同士の話だから、内緒にしていたし」

「内緒って、一体何を話したんだ!?」

「そうね……。確か九割方は、『豊をまともに育てられた自信が無いから、何かあったらしっかり慰謝料をもぎ取った上できっちり別れさせてあげるから、遠慮せずに言いなさい』と言ってくれたわ。それで『いざという時の証拠固めの為に、常設しておきなさい』と言って、最新型の小型録音機材を軽く二桁貰ったの。それを全部屋に設置済みよ」

「は、はあぁあ!? え? そんな物がどこに!?」

「お母さん……。嫁姑問題が勃発していなかったのは良かったけど、気遣いの方向性が絶対に違うよね」

 豊は動揺のあまり、思わず立ち上がって周囲を見回し、今度は沙織が頭を抱えた。そんな二人を見た柚希は、笑いを堪えながら話を続ける。


「他にも色々話をしたんだけど、要するにお母さんって一途で真面目過ぎる人みたいね」

「それは、まあ……。職業柄、そう思わない事も無いですが……」

「社長と離婚した一連の事情も、包み隠さず話してくれたの。『もしかしたら豊もそっちの趣味があるかもしれないから、可能性として頭の片隅に留めておいて』って」

「そんな趣味、有るわけ無いだろうが!!」

「お母さん……」

 本気で憤慨した豊が立ったまま妻を叱り付け、沙織は益々項垂れた。そんな二人に対して、柚希が困ったように笑いかける。


「二人とも、ここからが本題なの。その時に、お義母さんが言っていたのよ。『別に夫自身が嫌になったわけでは無いけど、夫と一緒に居る自分が許せなくなったから別れた』って」

「はい?」

「柚希、どういう意味だ? 現に母さんは、今でも親父を毛嫌いしているんだが?」

 予想外の事を聞かされて目を丸くした夫と義妹に向かって、柚希は苦笑気味に話を続けた。

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