(12)予想外のプロポーズ
思いがけず松原家の先代夫婦との交流を深めると同時に、軽く振り回された夏も終わり、涼しさが戻ってきた頃、沙織は友之に誘われて休日に食事に出かけた。しかしそれは、いつもとはかなり雰囲気が異なっていた。
「その……。漸く、夏が終わった感じがするな」
「そうですね。残暑が厳しかったですし」
「…………」
普段なら上機嫌に話題を繰り出す友之が、この日は何故か口が重く、時折どうでも良い事を口にしては大して話が続かずに口を噤むという、微妙に気まずい空気のまま食べ進めていた。
(何だろう? 話があるって言うからてっきり家でかと思いきや、わざわざ個室を取っているし。それに今日は最初から、友之さんが変に緊張しているっぽいし。何かよほど、言いにくい事でもあるのかしら?)
ナイフとフォークを動かしながら、沙織が向かい側に座っている友之を観察していると、その視線を感じた彼が、また慎重に口を開いた。
「その……。先月はお祖母さん達に、色々付き合って貰って、本当にすまなかった」
「いえ、まあ、それ位は……。たかちゃんには社内で頑張って貰いましたし、そのお礼の気持ちを込めて、最大限お付き合いしただけですから」
「本当に……、すっかり仲良くなったな」
「ええ、なんだか妙に、気に入られてしまったみたいですね」
「…………そうだな」
そして再び黙り込んで食べ進めている友之を見て、沙織は僅かに眉根を寄せた。
(別に、自分の祖父母と仲良くなったのが、拙いって話じゃないわよね? それに仕事関係の話なら職場で済ませる筈だし、幾ら頼みにくてもきちんと話すと思うし。そうなると……、やっぱりあれかな?)
この間ずっと考えを巡らせていた沙織は、ある答えを導き出し、それを本人にぶつけてみる事にした。
「友之さん?」
「あ、ああ。どうした?」
「私と別れて後腐れ無く、従来の上司と部下の関係だけに戻りたいんですか?」
そんな爆弾発言を聞いた途端、友之ははっきりと顔を強張らせ、静かにカトラリーを皿に置いた。
「……どうしてそうなる?」
「ここに来た当初から、何かもの凄く言いにくそうにしていますから。思い当たる節が、それ位しかありません」
大真面目に沙織がそう告げると、友之は唖然とした表情になってから、自嘲気味に笑った。
「ははっ……、そうきたか。沙織が常識的に見えて変な所でぶっ飛んでいるのは、これまでに良く分かっていたつもりだったがな……。まだまだ考えが甘かったらしい」
「どうして貶される事になるんですか」
憮然としながら沙織は文句を口にしたが、友之はそれに答えないまま肩を落として項垂れた。
(理不尽だわ。これまでに別れ話を切り出された時と、状況が酷似していたから言ってみただけなのに)
面白くなかった沙織が内心で悪態を吐いていると、少しして気を取り直したらしい友之が顔を上げ、真剣極まりない顔で口を開いた。
「これ以上、変な誤解をされたくないから率直に言わせてもらうが、別れ話ではなくて、その逆だ」
「逆? と言うと、どういう事ですか?」
全くピンとこなかった沙織が尋ねると、友之が端的に告げる。
「俺と結婚してくれ」
「……え?」
「とは言っても、お前が『はい、結婚しましょう』なんて、即座に頷かないのは分かっている。寧ろ『何でそんな事をしないといけないんですか?』と、一刀両断するだろう。俺のロータス・エヴォーラを賭けても良い」
「いえ、あの、それは……」
それは確かにそうかもしれないが、自慢の愛車まで賭けてそこまで自信満々に主張する事だろうかと、沙織は内心で戸惑った。しかし彼女の困惑などお構いなしに、友之がどんどん話を進める。
「確かに普通に考えたら、お前が現時点で俺と結婚するメリットは無い。お前は確実に、俺より東京タワーやジョニーや仕事の方が好きだしな。それ以外にも俺が知らないだけで、俺より好きな無機物や動物が、もっと存在しているかもしれない」
真顔でのその台詞に、沙織は完全に呆れ顔になった。
「そこまで卑屈にならなくても……。もの凄く、自虐的な台詞になっている自覚はありますか?」
「こんな事で多少取り繕っても、仕方がないからな。それにお前は自分の仕事に誇りと情熱を持っているから、営業二課から異動する気は無いし、俺もさせる気は無い。立派な戦力のお前を、誰が好き好んで外に出すか」
「……どうも、ありがとうございます」
取り敢えず能力を認めて貰った事に対して、沙織が一応頭を下げると、友之は頷き返して主張を続けた。
「俺としてはお前と付き合い出してからも、それを職場に持ち込んだ事は無いつもりだし、支障をきたしたつもりも無い」
「それは私が一番、良く分かっていますけど」
「勿論、お前と結婚したとしても、職場の風紀を乱すつもりも、お前の評定に手心を加えるつもりも無い。だが言いがかりとしか思えない邪推をされたり、実際に口を出してくる連中はいると思う」
「……その可能性はありますね」
思わず渋面になった沙織だったが、ここで友之が完全に予想外の事を口にした。
「だから俺と、事実婚をして欲しい」
「…………はぁ?」
全く話の流れについていけず、呆けた口調で応じた沙織だったが、次の友之の台詞で瞬時に我に返った。
「俺の両親と祖父母には、既に説明して条件付きで了承して貰った。取り敢えずその条件の一つとして、沙織を受取人にした一億の生命保険に加入した」
「一億!? しかも『加入した』って、既に過去形!? 一体全体、どういう事ですか!?」
目を見開いて勢い良く立ち上がり、声を荒げて問い質した沙織だったが、友之は落ち着き払った様子で話を続けた。
「それから、俺が急死した時に保険金殺人等を疑われないように、沙織には俺の家で同居して欲しい。部屋は十分にあるから心配するな」
「間取りに関しては、以前お世話になった時に知っていますけど! 今、そういう事を問題にしていませんよね!?」
「それで、子供に関してだが」
「だから、さっきからベラベラベラベラ一人だけ喋っていないで、こっちにも喋らせろ!!」
テーブルを拳で力任せに叩きながら沙織が本気で叱りつけると、友之は瞬きしてから、軽く頭を下げて謝罪した。
「……悪かった。確かに俺が、一方的に喋り過ぎたな。これからは沙織が、好きなだけ喋ってくれて構わない。それが終わるまで待つから」
「好きなだけって言われても……」
神妙に促された沙織だったが、これまで友之から言われた事を思い返し、その場に立ち尽くしたまま困惑した。
(事実婚って……、入籍はしないって事よね? だって友之さんは、仮にも松原工業の創業家の人間なのに、構わないわけ?)
何をどう言えば良いのか全く分からなかった沙織が押し黙っていると、そんな彼女の様子を観察していた友之が、控え目に確認を入れてくる。
「そちらが特に話す事が無いなら、このまま俺がもう少し喋っても構わないか?」
「はい……。どうぞ」
特に反論できなかった沙織が頷き、元通り椅子に座ってから、友之は徐に話し出した。
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