(11)思いがけない提案

「ただいま」

 自宅に帰り着いた友之がリビングに顔を出すと、真由美が掛け時計で時間を確認しながら、不思議そうに声をかけてきた。


「お帰りなさい。正彦君とお店を何軒か回って来たの? てっきり、もう少し早く帰って来ると思っていたわ」

「食べた後で正彦と一緒に、清人さんの所に寄って来たんだ。それから、ちょっと遅いけど、父さんと母さんに話したい事があるんだが……」

 それを聞いた真由美が、益々怪訝な顔になる。


「私は構わないけど……。それなら義則さんが部屋に居るから、呼んできて頂戴」

「分かった。ちょっと呼んでくる」

 そこで友之は義則の書斎に出向き、話がある旨を告げて、父と二人で再びリビングへと戻った。

「それで、俺達に話と言うのは何だ?」

 ソファーに向かい合って座った義則が促してきた為、友之は平常心を保つように心がけながら口を開いた。


「実は、沙織と結婚しようと思ったんだが、思わぬ事から本人にその気が無い事が分かった」

 その友之の微妙な言い回しに、義則達は揃って要領を得ない顔つきになる。


「どういう事だ?」

「結婚を申し込んで、沙織さんに断られたという事では無いの?」

「違うんだ。取り敢えず、俺の話を黙って最後まで聞いてくれ」

 そう言ってから友之は、先刻正彦が柏木邸で説明した内容と同様の事を繰り返した上で、清人に言われた内容も包み隠さず伝えた。


「そういう訳で、最後は清人さんに、発破をかけられてきた」

「…………」

 大真面目にそう話を締めくくった息子を見て、義則と真由美は何とも言えない顔を見合わせた。そんな二人に、友之が声をかける。


「それで、二人の考えを聞きたいんだけど」

「そう言われてもな……」

「この場で即答して貰わなくても構わない。こういう事を考えている事だけは、理解しておいて欲しい」

 すると義則が、難しい顔で考え込みながら、確認を入れてきた。


「その場合、お前が転職する事も選択肢に入っているのか?」

「そうなるが」

「それは親の立場からすると、あまり勧められないな。結婚するのに無職とか転職したばかりと言うのは、生活基盤が不安定だ。それで結婚したいと言っても、相手の親御さんに対して失礼だろう」

「それは分かっているが」

 真っ当な指摘に、友之が反論しようとしたところで、義則が唐突に条件を出してくる。


「それから、もしお前達が事実婚を選択するつもりなら、俺から条件を二つ出させて貰う」

「条件? どんな内容かな」

「結婚するならお前が男で年上だから、お前が沙織さんを養う事になる。当然、彼女の人生に対する責任が生じるが、それ位は理解しているだろうな?」

「それは勿論」

 どうしてわざわざそんな事を念押しされないといけないのかと、友之は憮然としながら言い返したが、次の義則の台詞を聞いて呆気に取られた。


「それなら彼女を受取人にして、それなりの額の生命保険に入れ。もし万が一、お前が早死にしても、彼女が不自由しないようにな」

「……ちょっと待ってくれ。俺は早死にする気は無いんだが」

「早死にするつもりで生きている人間がいるわけ無いだろう。馬鹿者」

「…………」

 思わず言い返したものの、父親にあっさり切り捨てられた友之は口を噤んだ。そんな息子を凝視しながら、義則が話を続ける。


「それから事実婚を選択した場合、沙織さんは戸籍上はお前と赤の他人のままだから、そんな纏まった額の保険金を沙織さんが受け取ったら、保険金殺人かと彼女が疑われるかもしれん。自分が死んだ後にそんな事になったら、お前だって不本意だろう?」

「今、話を聞いているだけで、不本意なんだが……」

 友之が不機嫌そうに呻いたが、義則は構わずに続けた。


「だから、沙織さんがここに住民票を移して、私達と一緒に生活するのが条件だ。そうすれば保険金目当てにお前を殺したと疑われても、家族同然に暮らしていた事実婚関係だと弁明できるし、その後で改めて私達が彼女と養子縁組しても良い」

「だから、どうして俺が早死にする想定で話をするのかな!?」

「生きている間の事は、その都度考えれば良いだろうが。お前は『備えあれば憂いなし』と言う言葉を知らんのか?」

「……もう良い」

 声を荒げて抗議した友之だったが、全く動じない義則に、友之が肩を落として項垂れた。しかしそんな彼とは対照的に、これまで黙って議論の行方を見守っていた真由美が、嬉々として叫ぶ。


「素敵! それなら沙織さんと、ここで一緒に暮らせるのね!?」

「そうなるな。だが友之達は当面子供は作らない筈だし、ずっと孫はできないかもしれないぞ? お前はそれでも良いのか?」

 まだ難しい顔のまま義則が言い聞かせたが、真由美は平然と明るく笑いながら続けた。


「それは確かにちょっと残念だけど、沙織さんがいてくれたら良いわ。義娘ができるだけで、私は嬉しいもの。それに最近は子供がいない夫婦の事を、あちこちで見聞きするものね。友達や知り合いには、『友之は高望みし過ぎて婚期を逃した』と言えば、納得してくれるだろうし」

 それを聞いた友之は頭を抱え、義則は難しい顔になる。


「母さん……。あっさり切り捨て過ぎだ」

「ただ、お前はともかく、お義父さん達が何と言うか……」

「あ、お父さんとお母さんには、私から電話しておくわ。でもこの前こっちに来た時に、沙織さんに何回か付き合って貰って、二人とも彼女の事は随分気に入っていたし、問題無いと思うけど」

 軽く言ってのける真由美に対して、さすがに男二人が冷静に今後について語り合う。


「いや、さすがにそういうデリケートな問題は、きちんと意見を聞かないと駄目だろう」

「それは俺が、明日の夜にでもお祖父さんに直接電話をして、意見を聞くよ」

「その方が良いだろうな。だが今の話は、あくまで沙織さんがお前との結婚を了承した上で、事実婚を望む場合の話だから。とにかく、本人の意向を確認しない事には」

「それは重々承知しているから」

 そこで再び、真由美が口を挟んでくる。


「あら、それじゃあ今から沙織さんに聞きましょうよ! えっと、沙織さんの連絡先は」

「ちょっと待て、真由美!」

「母さん! 俺がちゃんと話をするから、口を出さないで貰えるかな!?」

 さっさと自分のスマホを取り上げ、沙織に連絡を取ろうとしている彼女を見て、義則と友之は慌てて制止した。しかし彼女は不満そうに言い返す。


「えぇ? 私が聞いたって良いじゃない?」

「当人同士で話をさせろ。最初から親がしゃしゃり出て口を出すな。沙織さんに鬱陶しがられても良いのか?」

「……分かりました」

 軽く睨み付けながら言い聞かせた義則は、彼女が不承不承頷いたのを見て、安堵しながら友之に向かって囁いた。


「友之。とにかく、お義父さん達の意向を聞くのと、沙織さんとの話し合いを、なるべく早く済ませろよ? ぐずぐずしていると真由美が先走って、沙織さんのご家族の連絡先を調べて、勝手に接触するかもしれん。事がこじれると面倒だ」

「分かった。そうするよ」

 端から見ても母親がうずうずしているのが見て取れた為、友之は義則の忠告に素直に頷き、そこでその話はお開きになった。


「この時間なら、もう寝ているだろうな……。とにかく、明日以降の話だな。今日はもう、さっさと寝よう」

 自室に引き上げた友之は、一応時刻を確かめて沙織に連絡するのを諦め、気持ちを切り替えるべく寝る支度を始めた。

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