(7)内助の功?

 ひとしきり楽しんでから、三人はプールサイドから直接上がれるレストランに移動し、そこで専用に貸し出している薄手のバスローブを羽織って、プールを見下ろすテラス席で遅めの夕飯を食べ始めた。すると殆ど食べ終わった所で、ホテル側の入口から入って来た孝男と義則が合流する。


「おう、待たせたな」

「楽しんでいたか?」

「ええ、楽しませて貰ったわ。お疲れ様。まだ食べていないの?」

「ああ、ここで軽く食べるか」

「あなた、友之はどうしたの?」

 一緒に来る筈の息子の姿が無かった為、真由美が不思議そうに尋ねると、義則が困惑顔で答えた。


「それが……。会議終了直後に、田宮さんと風見さんに捕まってな。そこに割って入ったらこちらまで引きずり込まれそうだったので、友之に任せてきた」

「あれ位あしらえんようでは、ものの役に立たん。若い頃の苦労は買ってでもしろと言うから、放ってきた」

「あらあら」

「まあ」

 友之があっさり父と祖父に見捨てられたのを知って、静江と真由美は呆れ顔になっただけだったが、沙織は顔を強張らせた。


「あの……、田宮常務と風見専務と言う事は……。もしかしなくても、例の後継機種開発終了派の……」

 控え目に沙織が確認を入れてみると、孝男が満面の笑みで力強く頷く。


「そうだな。喜べ、さっちゃん! 会議の結果、後継機開発続行が決まったぞ!」

「友之の奴が色々資料を揃えて、随分奮闘したからな」

「……それは何よりでした。私も、頑張った甲斐がありました」

 苦笑するしかできないといった感じで義則も告げてきた為、沙織は引き攣った笑みを浮かべた。


「そうだろうそうだろう。さっちゃんの頑張りを無駄にする事はできんから、友之も気合を入れただろうな。だが田宮の奴、相当面白くなかったらしく、会議終了直後に『この際、是非親交を深めようか』と絡んでな。あいつは昔からねちっこいぞ? 金勘定は抜群だがな!」

「一緒にたむろしていた面子から考えると、相当ネチネチ言われるのは確実ですね」

(何だか、激しく嫌な予感がしてきた……)

 豪快に笑い飛ばす孝男と苦笑している義則を見ながら、沙織はロッカーから持ってきたポーチの中から、スマホを取り出した。


「すみません、ちょっと失礼します」

「あら、気にしないで良いのよ?」

 断りを入れてからスマホの電源を入れ、確認を始めた直後、沙織から狼狽した呻き声が上がった。


「げっ!! ちょ、何これっ!?」

「沙織さん?」

「さっちゃん、変な声を出してどうした?」

 同じテーブルを囲んでいた四人は、揃って訝しげな視線を向けたが、当の沙織は立ち上がりかけ、しかし周囲を見回してから再び座り、狼狽しながら再度断りを入れた。


「ああああのっ! この姿でホテルの廊下に出る訳にはいきませんので、ここで失礼して、ちょっと友人と連絡を取っても宜しいでしょうか!?」

「ええ、構わないわよ?」

「遠慮しないでどうぞ」

「失礼します!」

 そう叫ぶなり、猛然とスマホ上で指を滑らせ始めた沙織を、他の者達は不思議そうに見やった。


「何なんだ?」

「さぁ……。あなた、取り敢えず何か頼みますか?」

「そうだな」

 そして邪魔しては悪いと判断した四人は、沙織に声をかけずにそれぞれ注文をし、会話しながら軽食を食べ進めた。すると三十分程経過して、漸くスマホから手を離した沙織が、ぐったりした様子で呟く。


「な、何とかやり切った……」

「沙織さん、本当にどうしたの?」

「随分と真剣な顔で、ずっとスマホを操作していたし。何か大事なお仕事の話だったの? もし無理に予定を空けたのだったら、ごめんなさいね?」

 そのまま項垂れていた沙織に、静江が申し訳なさそうに謝ったが、彼女は慌てて顔を上げて手を振った。


「いえ、仕事ではありませんから、ご心配なく。愛でる会のタイムラインが、酷い事になっていただけですから」

「え? どういう事?」

 既に真由美から《愛でる会》の事を聞いていた静江と孝男が、不思議そうに尋ね返した為、沙織は詳細を説明した。


「どうやら友之さんが陰険重役連中に拉致られた現場を、偶々会員の一人が目撃していまして。彼女がそれを即刻タイムラインで報告した結果、『松原課長に何をする気!?』『陰険ジジイども許すまじ!!』と言う論調が席巻する事になりまして」

「あら、友之ったら随分モテているのね」

「俺の若い頃は、ファンクラブなんか無かったがな」

 静江達が面白がる中、沙織は説明を続けた。


「それで一気に炎上と言うか、《密かに松原課長の活躍を応援する》と言う会の主旨から激しく逸脱した、『ヘイトスピーチ推進会』とか『呪詛グッズ探究会』としか言えない集団に成り果てそうになっていましたので、全力で説得して、何とか鎮静化させました」

 心底うんざりした表情で結論を述べると、静江達が明るく笑う。


「まあまあ、それはお疲れ様」

「友之の事で、面倒をかけたな、さっちゃん」

「でもこれこそ正に、内助の功よね!」

「……そうとも言えるかな」

 楽しそうに叫んだ真由美に、義則が苦笑いで応じたが、ここで沙織は友之の現状について思いを巡らせた。


(連絡も無いし、今頃はまだ飲みながら、ネチネチ言われているのよね……。この事態は、元はと言えば私が例の件をたかちゃんにぶちまけたせいだし、裏で《愛でる会》の軌道修正をする位、何でも無いけど……。埋め合わせ位は、しておこうかな?)

 結局ホテルにいる間に友之は合流できず、孝男と義則が食べ終わるのを待って全員ホテルを引き上げ、沙織はそこで別れて自宅に戻った。


 そんな事があった日の週末。沙織は自宅マンションで、友之を出迎えた。


「いらっしゃい」

「ああ。これを持って来た」

「ありがとうございます。……これはなかなか食べ応えがある、高級食材使用のオードブルセットですね。それにワインですか?」

 受け取ったビニール袋を覗き込みながら、入っていた透明なケースの中身を確認しつつ沙織が応じると、友之が細長い紙袋を差し出しながら頷く。


「言っておくが、変な物は持って来て無いからな」

「友之さんの舌の肥え具合は、信用していますよ? 取り敢えず上がってください」

「ああ」

 手ぶらになった友之は靴を脱いで上がり込み、リビングへと入った。


「ところで沙織、俺は今週色々あって、少々やさぐれていてな」

「そうですね。色々ありましたね」

「それで今日は就寝時間を、二十四時まで遅らせる事を要求する」

 受け取った物をテーブルに乗せながらそれを聞いた沙織は、呆れ顔で振り返った。


「……ここに来るなり、何を言い出すのかと思ったら、馬鹿ですか?」

「偶には、本当に馬鹿になっても良いだろう。馬鹿正直に馬鹿馬鹿しい事に付き合って、神経をすり減らしたんだから」

「別に二十四時とは言わず、今回の友之さんの健闘を讃えつつ慰労する意味で、今日は友之さんの気が済むまで、オールナイトでお付き合いするつもりでしたが?」

「…………」

 平然と沙織が口にした台詞を聞いた友之は、口を閉ざし、そのまま右手で顔を覆いながら俯いた。それを見た沙織が、胡散臭そうに尋ねる。


「何をやってるんですか?」

 すると友之は未だ顔を覆いながら、しみじみとした口調で告げた。


「やっぱり沙織は、普段デレなくて良い。偶にするから、もの凄くレアで破壊力抜群だ。危なくこの場で、押し倒しそうになった」

「だから何を馬鹿な事を、大真面目に言っているんだか。第一そんな事をしたら、また和洋さんに問答無用で殴り倒されますよ?」

 溜め息を吐いてから、呆れ顔で沙織が警告すると、友之が反射的に手を離して顔を上げる。


「いや、幾ら何でも、さすがにそれは無い」

「あ、和洋さん。来るなら来るって、連絡を入れて欲しいんだけど」

「うえっ!?」

 そこで沙織が自分の背後に視線を向けながら、話題の主に呼びかける台詞を発した為、友之はギョッとしながら勢い良く背後を振り返った。しかしそこは無人だった上、彼の背後から爆笑が沸き起こる。


「ぶっ、ぶふぁあっ! あ、あははははっ! い、今の動揺っぷり! マジで驚いてるっ! 笑えるぅぅっ!」

 本気でお腹を抱えて笑っている沙織に、一瞬肝を冷やした友之は、激しく抗議した。


「沙織! 笑い事じゃないし、全然笑えないぞ!」

「ごめっ……、あははははっ! わっ、笑いが止まらないぃぃっ! あそこまで驚くなんてぇぇっ!」

「あのな……」

 しかし沙織の笑いは一向に止む気配が無く、友之はうんざりしながら諦めた。


(まあ良いか。ここまで爆笑している沙織の姿も、普段からは想像できないし。沙織といると本当に面白いし予測ができないし、退屈しないよな)

 友之はそんな事を考えながら、沙織が笑い止むまでの暫くの間、苦笑しながら彼女の様子を眺めていた。

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