(8)ちょっとした愚痴

「友之、また俺の一人飯に付き合って貰って悪いな」

「予定は空いていたからな。沙織との約束が入っていたら、お前からの誘いなんか、微塵も迷う事無く断るが」

「正直な奴だな」

 妻が子供を連れて亡夫の実家に顔を出しに行くのに合わせて友之を誘った正彦は、目の前の従兄弟が憎まれ口を叩きながらも、沙織との約束があってもキャンセルしてくれるであろう事が分かっていた為、笑って応じた。

 そして広めの座敷を襖で二つに仕切られた部屋に通された二人は、早速飲みながら料理を堪能し始める。


「ところでその口ぶりだと、沙織さんとは上手くいってるんだろ? お前に声をかけたら『酒と料理が美味い店で、変に高級感を醸し出す料亭の類では無い所』なんて指定をしてきたから、リサーチして今度彼女を誘うつもりだろうし」

「まあな」

「それなら良かった。春先には、随分揉めていたしな。一体何をやらかしたのやら」

「ちょっとな」

 苦笑いしながら短く答えている友之に、正彦は呆れ顔になった。


「お前……、あの騒ぎを、一言で片付けるな。巻き込まれた玲二が気の毒過ぎるぞ。これであっさり沙織さんと別れていたら、玲二の代わりに俺が本気で一発お見舞いするところだ」

 そう苦言を呈してグラスを傾けた正彦だったが、ここで友之が真顔になって言い出した。


「正彦」

「何だ?」

「実は、結婚しようと思っている」

 それを聞いた正彦は手の動きを止め、次いで慎重に友之に確認を入れた。


「一応確認させて貰うが……、その相手は沙織さんだよな?」

「今の話の流れで、沙織以外の誰と結婚すると言うんだ?」

 心外そうに眉根を寄せた友之に、正彦が負けず劣らずの難しい顔になりながら弁解する。


「いや、だってお前、いきなり難しい顔になってそんな事を言い出すし。普通結婚話を切り出すなら、もう少しのろけたり、顔が緩んでいるものだろう?」

「俺が結婚したいと言っても、沙織が何と言うか良く分からないからな」

 大真面目にそんな事を言われた正彦は、座卓にグラスを置いて項垂れた。


「……お前達、ちゃんと付き合っているんじゃなかったのか?」

「一応そうだが……。沙織は結婚に対して、特に夢も希望も持っていないタイプだし。『面倒くさい』の一言で、切り捨てられる可能性だってあるしな」

「お前達……、それで本当に付き合っているって言えるのか?」

 友之の話を聞いて、ほとほと呆れた正彦だったが、取り敢えず話を進めてみた。


「ところで、それについての叔父さん達の考えはどうなんだ? とは言っても花見の時の反応を見る限り、真由美叔母さんは彼女の事を、随分気に入っている感じだったが」

「両親にはまだちゃんと話はしていないが、二人とも以前から沙織の事は気に入っているし、祖父母にも合わせてみたら同様だった」

 それを聞いた正彦は、短く口笛を吹いて笑って応じた。


「へぇ? 随分手際の良い事で。それなら問題無いじゃないか」

「こちらは良くても、あちらがな……」

 そう言って深刻そうに溜め息を吐いた友之を見て、正彦は心配そうに詳細について尋ねた。


「『あちら』って、沙織さんの方で何か問題でもあるのか?」

「シスコンの弟に敵認定されて、娘ラブの父親に害虫認定されている」

「お前……、何をやらかした?」

 本来、外面と人当たりの良い従兄弟がここまで言うからには、相当な事をやった筈だと見当を付けた正彦が、顔付きを険しくしながら問いただすと、友之は弁解などはせずに淡々と答えた。


「夜のうちに沙織のマンションに弟が無断で来て、泊まったのを全く知らずに朝から沙織と一戦交えていたら、朝食の支度ができたから食えと言われて、三人で陰険漫才をしながら食べた」

 それを聞いた正彦が、盛大に顔を引き攣らせながら尋ねる。


「お前……、どの面下げて朝飯を食ったんだよ……」

「本音を言わせて貰えば俺だってその場で遁走したかったが、わざわざ三人分作ってあるのに、手を付けずに帰るわけにはいかないだろうが。余計に印象を悪くするだけだ」

「予め、お前の逃げ道を断っておいた上での、真っ向勝負か……。なかなか骨のある弟みたいだな」

 思わず唸った正彦に対して、友之が説明を続けた。


「それから……、沙織のマンションで、勢いに任せて彼女を押し倒しかけたところに、死んだと聞かされていた父親がやって来て問答無用で殴り倒されたから、反射的に殴り返してから、その人物が彼女の父親だと判明したんだ。それで」

 そこで慌てた様子で、正彦が友之の台詞を遮った。


「おい、ちょっと待て。初対面で殴り合いだと?」

「ああ」

「馬鹿だ……。初対面で害虫認定とか、ありえないだろ」

「…………」

 再び項垂れて呻いた正彦に、友之は反論せずに無言でグラスを傾けた。しかしすぐに正彦が顔を上げて、声をかけてくる。


「だが、それ位で諦めるつもりは無いだろう?」

「当たり前だ」

「それじゃあ頑張れ。取り敢えず今日の支払いは、全額俺が持ってやる」

「悪いな」

「大して悪いと思っていない顔で言うな」

 そこで男二人で笑い合い、それからは世間話などをしながら楽しく飲んで食べていた彼らだったが、それから三十分ほどして事態が急変した。

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