(34)物騒な拉致事件
沙織が松原家に居候し始めて、十日近くが経過した夜。自室にいた友之は、清人からの電話を受けた。
「友之、例の馬鹿を永久に排除する準備が整ったぞ。実は真由美さんからは『友之が喜ぶから、できるだけ引き伸ばして良いのよ?』と言われていたんだが……」
「聞き流してくれたんですよね?」
「お前への嫌がらせの為に、最大限に急いで準備してみた」
電話の向こうの意地の悪い笑みが、ダイレクトに脳裏に浮かんでしまった友之は、盛大に溜め息を吐いた。
「……母さんが清人さんの性格を、正確に把握していない事が分かりました」
「それで? 何やら真由美さんが妙にその女の事を気に入っている口振りだったし、暫く一つ屋根の下で過ごして、それなりに面白い事があったんだろうな?」
「ノーコメントです」
「もう少し面白い反応をしろ。張り合いの無い奴だな」
「申し訳ありません」
からかう気満々の口調にひたすら低姿勢で応じると、清人はすぐに事務的に告げてきた。
「それじゃあ、計画をざっと説明する。詳細は後からデータを送るから、その女に説明して、きちんと打ち合わせをしておけ」
「分かりました。宜しくお願いします」
男二人での短い会話を終わらせた友之は、部屋を出て客間に向かった。
「関本、今ちょっと良いか?」
「はい、大丈夫です。どうかしましたか?」
「その……、例の男の撃退準備が整ったとの連絡が……」
ドアを開けて招き入れた友之の顔をしげしげと眺めた沙織は、自然に渋面になった。
「何だか松原さんが、もの凄く不本意そうな顔をしている気がするのは、気のせいでしょうか?」
「不本意と言うか……、意味が分からなくて不安だ」
「取り敢えず、説明をお願いします」
そう促した沙織だったが、説明された内容を聞いて、その意味不明さに本気で頭を抱える事となった。
その翌日。いつも通り勤務していた沙織は、定時近くになってスマホに入った連絡内容を見て、僅かに顔を引き攣らせた。
(う……、そうですか。スタンバイOKでいらっしゃいますか……。もう、どうとでもなれ! どんな事態になっても、責任なんか持たないわよ!?)
無意識に顔を向けると、同様に連絡を受けたらしい友之が無言で頷いたのを見て、ちょうど仕事に区切りをつけた沙織は、手早く帰り支度をして立ち上がった。
「それではお先に失礼します」
「ああ」
「お疲れ」
周囲の者達は自然に挨拶を返してきたが、佐々木は友之と彼女を交互に見ながら、不思議そうに問いかけてきた。
「あれ? 先輩? 今日は課長と、一緒に帰らないんですか?」
「ええと……、今日は諸事情で一人で帰る事に……」
「え!? 何を言ってるんですか、そんなの駄目に決まってるでしょうが!! 俺が送って行きます!」 血相を変えて勢い良く佐々木が立ち上がった為、困った沙織は彼を押し止めようとした。
「あのね、佐々木君。それはちょっと、遠慮させて貰うから」
「どうしてですか!? 俺がサッカー部出身だから、腕っ節が立たないと思われてるからですか!?」
「そうじゃなくて」
「佐々木、実は今日、例の勘違い迷惑男を撃退する為の策を講じていてな。顔見知りの人間が関本の近くにいると、相手が警戒して寄って来ないかもしれないから、困るんだ」
そこで友之が事情を説明したが、佐々木の険しい表情は変わらなかった。
「まさか今日本当に、このビル近辺に奴が居やがるんですか?」
「それらしい男がいると、先程連絡があったが、慎重を期して奴で間違いないか、関本に確認して貰うつもりだ。だからお前は、このまま残業していろ」
「でも課長!」
「当然、奴に顔を見られている俺も待機する」
そう言い聞かせた友之に、佐々木が疑念に満ちた表情で問いかける。
「課長が対応をお任せしている人は、本当に信用できる方なんですか?」
「……多分な」
「多分って、課長!」
そこで佐々木が声を荒げたが、ここで一連の話を聞いていた同僚の一人が、鞄片手に立ち上がった。
「課長、それなら俺が、関本と一緒に帰ります。顔は例の男に割れていませんし、少し離れて後ろを付いて行けば大丈夫でしょう」
その申し出を聞いた友之は、すぐに頷いて了承した。
「そうだな……。白木、詳細については、下に降りながら関本に聞いてくれ」
「了解しました。じゃあ関本、行くか」
「はい、失礼します」
「お疲れ」
「気をつけてな」
そして不満げに二人を見送った佐々木が、再度友之を振り返る。
「……課長?」
「大丈夫だ」
一抹の不安を抱えながらも、友之は頷く事しかできずに、小さく溜め息を吐いた。
(白木さんは後ろを付いて来てくれている筈だし、指定されたNS第6ビルの角はすぐそこだから、奴と首尾良く遭遇したら、そこの路地に逃げ込むわけだけど……。連絡通り本当に来てるの?)
そんな事を考えながら、社屋ビルを出て歩き出した沙織だったが、1ブロックも歩かないうちにいきなり横から腕を掴まれた。
「おい、沙織。お前、この前俺をはめたよな? 注意してニュースを確認していたが、ここら辺の殺人事件なんて欠片も無かったぞ!? 人を馬鹿にしやがって!!」
憤然としながら文句を言ってきた翔を、沙織はしらけ切った目で眺めながら言い返した。
「……だってあんた、馬鹿だし」
「何だと!? 俺がどれだけビビったと思ってやがる! 俺の時間を返、うっ!」
「やっぱり馬鹿は死ななきゃ治らないみたいね!」
「おい、待てよ! 沙織、ふざけんな!」
力一杯翔の臑を蹴りつけ、痛みに怯んだ隙に腕を振り解いて駆け出した沙織は、首尾良く指定されたビルの谷間の路地に駆け込んだ。すると突き当たりに行く前に、夜にも関わらずサングラスをかけて佇んでいた男が、声をかけてくる。
「関本沙織だな?」
「あなたの義理の従兄弟のお名前は?」
「愉快な課長様だ」
「ご苦労様です……」
予め、合い言葉として伝えられていたやり取りをしただけで、沙織はどっと疲れが出たが、背後で勃発した騒動を耳にして振り返った。
「おい、お前ら何すんだ、離せよ!? 沙織、何なんだこいつら!?」
「あれで間違い無いな?」
「はい、間違いありません」
「一名様ご招待だ。行くぞ」
「何を、うごがっ!? あがえおっ!! だおぶぁっ!」
サングラスの男が手振りで指示を出すと、沙織同様、走り込んで来た翔を取り囲んで拘束していた三人の男は、手早く彼を縛り上げながら猿ぐつわを噛ませ、一分後にはバンの後部に押し込んでいた。
「……手際が良いですね」
「これまでに躾がなっていない馬鹿を扱った事が、多少はあるからな。これから俺は忙しいから、お前からあいつに連絡しておけ」
「分かりました。宜しくお願いします」
沙織が素直に頭を下げると、目の前の男はさっさとそのバンに乗り込み、あっさりとその場から走り去って行った。それから曲がり角の陰から一部始終を見守っていた白木が、狐に摘ままれた表情で近寄って来る。
「関本、大丈夫か?」
「はい。あれがどうなるかは保証の限りではありませんが。今からこの事を課長に連絡しますので、白木さんからも一言説明して貰えますか?」
「そうだな、佐々木が『本当に大丈夫なんですか? 先輩が脅されて大丈夫って言ってるだけじゃ無いですか?』とか言いそうだ」
そして溜め息を吐いた白木と共に友之に一報を入れた沙織は、釈然としない気持ちのまま白木と別れて松原邸へと向かった。
「お帰りなさい。友之から連絡が来ていたけど、大丈夫だった?」
真由美に迎え入れられて早々に尋ねられた沙織は、困惑気味に答えた。
「はい、大丈夫でした。相手はどうだか分かりませんが。これで本当に、来なくなるんでしょうか?」
「大丈夫よ、清人君が仕組んでいるんだもの」
「はぁ、そうですか……」
(課長の義理の従兄弟さんって、本当にどんな人なの?)
妙に自信満々な真由美を見て、沙織は本気で首を傾げたが、その疑念は遅れて友之が帰宅しても解消しなかった。
「お帰りなさい」
「ただいま。ああ、関本。明日も帰りは、一人で地下鉄で帰ってくれ」
真由美と共に彼を出迎えた沙織は、驚いて目を見張った。
「もう大丈夫って事ですか?」
「いや、そうじゃなくて……。撃退策の仕上げだそうだ。詳細は話して貰えなかったが」
「何なんですか、それは……」
「もう、清人君ったら手際が良過ぎよね!」
「そういう訳だから、一応心配だから、明日は少し離れて俺が様子を見る」
「そうですか。宜しくお願いします」
(どういう事かしら? 今日何か、思い知らせるわけじゃ無いわけ?)
素直に頷きながらも、何がどう大丈夫なのかと、沙織は無意識に顔を顰めていた。
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