(33)絶対スケール感の披露

「でも、本当に油断出来ないわね。明日は土曜だからお休みだけど、沙織さんが出かけそうな所で、その人が待ち伏せしてるかもしれないわよ? 友之、付き合ってあげなさいね?」

 大真面目に真由美がそんな事を言い出した為、沙織は慌てて手を振って固辞した。


「あの、それはさすがに申し訳ないですし」

「あら、やっぱりどこかに行くつもりだったのね。下着とか買いに行くの? それなら友之は、外で待たせておけば良いから気にしないで」

「あのな、母さん」

「いえいえ、下着は買いません。久しぶりに秋葉原に行くつもりでしたから」

 うんざりした口調で友之が応じ、沙織が慌てて予定を口にしたところで、真由美が予想外の食い付きを見せた。


「秋葉原!? じゃあメイドカフェ!? 沙織さん、私一度行ってみたかったの! 友之じゃなくて、私を連れて行って!」

「はい?」

「…………」

 沙織が困惑し、男二人が微妙な顔つきになる中、真由美の上機嫌な話が続いた。


「良かった! 以前から、行ってみたかったのよ。だけど主人や友之は、連れて行ってくれないでしょう? お友達を誘っても、呆れられそうだし」

「はぁ……」

「あ、でも……、私の年だと『お帰りなさいませ、お嬢様』じゃなくて、『お帰りなさいませ、奥様』って言われちゃうのかしら……。私が若い頃に、できてくれれば良かったのに……」

「…………」

 急に意気消沈してしまった真由美をどうすれば良いのか分からず、沙織は男二人に目線で助けを求めたが、彼らは無言で首を振った。その為、沙織は控え目に申し出る。


「あの……。誠に申し訳ありませんが、私、メイドカフェでは無くて、キャストパズルの専門店に出向く予定なので……」

 すると真由美は、意外そうに問い返した。


「え? メイドカフェに行くんじゃないの? キャストパズルって何?」

「立体的な知恵の輪をイメージして貰えれば、分かり易いと思いますが、幾つか持って来ましたので、現物をお見せしますか?」

「面白そうね。食べ終わってからで良いから、見せて貰えるかしら?」

「はい、分かりました」

 そこで一旦、その話題は終了し、それから四人は他の話題で盛り上がりながら、和やかな雰囲気で食べ進めた。そして無事食べ終えてから、真由美が珈琲を淹れている間に沙織が部屋に向かい、目的の物を手にしてリビングに再度集まった。


「真由美さん、これがさっきお話ししたキャストパズルです」

 そう言いながら沙織が差し出した物を、真由美はしげしげとそれを見下ろした。


「どこかで見たことがあるわ。これの事なのね」

「はい、ちょっと試してみますか?」

「ええ、借りるわね? 四方に棘みたいな突起が出ているこの中心の棒から、この星形の輪をどうにかして外せば良いのよね?」

「はい、コツがありますから、色々試してみて下さい」

「分かったわ」

 沙織からそれを受け取った真由美は、いびつな輪を回し、時に上下に傾けながら、何とか輪を抜こうとしたが、どうしても突起に引っかかり、何分か経過しても抜く事ができなかった。


「うぅん……、意外に難しいわね……」

「ちょっと貸してみろ。こういうのは、割と得意なんだ」

 悪戦苦闘している妻を見て、隣から義則が手を伸ばして挑戦し始めたが、すぐに同様の困惑した表情になった。


「これは難しいな……。本当に抜けるのか?」

「関本、社長が大変お困りだ。これ以上社長の機嫌を悪化させないように、即座に解決しろ」

「了解しました、課長。社長、渡して頂けますか?」

「ああ」

 疑念に満ちた声を義則が漏らすと、友之は真面目くさって沙織に命令し、対する沙織も真顔で義則からパズルを受け取った。そしてカチャカチャと金属製の輪をずらしながら動かし、一分かけずに外してみせる。


「できました」

「外れた!?」

「どうやったの!?」

「ええと……、この中心の棒から出ている棘状の突起のうち、これが一番短いので、星形の輪で一番角が外側に出ているここを、互いの斜角を合わせて上下にずらせば、すぐ外れますので」

 それぞれ該当する場所を指差しながら説明した沙織だったが、本気で驚いたらしい義則達は、まだ信じられない顔付きで尋ねた。


「全く違いが分からないんだが……」

「偶々この組み合わせで外す事ができて、覚えていたの?」

「それは」

 その問いかけに沙織が答える前に、友之が口を挟んできた。


「関本は、絶対スケール感の持ち主だから。それ位、一目見れば分かるだろうからな」

「何? その『絶対スケール感』って?」

 初めて耳にした単語に真由美が首を傾げると、友之は笑いながら説明を加えた。


「『絶対音感』とかは、聞いた事があるだろう? 聞くと正確な音が分かるっていう」

「ええ、聞いた事はあるけど……」

「関本は、そのサイズ版。見たり触ったりすれば、正確なスケールが分かるんだ。配属直後の歓迎会で披露して、大盛り上がりだった。そうだよな?」

「ええ……。それまでは大して役に立ちませんでしたが、無芸だったので助かりました」

 同意を求められて頷いた沙織に、義則が不思議そうに尋ねる。


「どうして役に立たなかったんだ? 君は女性には珍しく工学部出身だった筈だし、商品知識の把握度は、課内でも指折りだと聞いているが」

「目測で数値を入れると、『正確に測定しろ』と怒られました」

「ああ、それもそうか……」

「でも、本当に正確に分かるの?」

 義則は納得したが、真由美は不思議そうに問いかけてきた為、沙織はソファーセットの間に置いてあるテーブルを見ながら、淡々とそのサイズを口にした。


「はい。例えば……、このローテーブルの長さは、縦141.24cm、横78.92cm、高さ47.17cmです。メジャーで測って、確認して頂いても構いません」

「え?」

 いきなり沙織の口から飛び出した数字に、真由美は戸惑った顔になったが、義則ははっきりと疑問を呈した。


「ちょっと待て、サイズがおかしくないか? 最小単位が0.01cmだと、0.1mm単位のレベルまで、目測している事になるが?」

「はい。さすがに0.01mm単位までは無理ですから」

「いや、普通は0.1mm単位でも無理だよな?」

「本当に合ってるの?」

 大真面目に答えた沙織に、夫婦は益々怪訝な顔になったが、友之が笑いながら口を挟んできた。


「少なくとも、1mm単位まで正確なのは確認できているから」

「凄いわね……。それなら、この指輪のサイズは分かる?」

「お借りしても良いですか?」

「どうぞ」

 真由美が興味津々で自身の結婚指輪を差し出すと、それを受け取った沙織は特に内側を覗き込むような真似はせず、摘まんだ指輪の内側に指を滑らせてから、概算値を口にした。


「ええと……、内周は51.3mm。11号ですね」

「凄い! 内側の刻印は見てないわよね? 私、指が太くてそのサイズなのよ」

「関節が太い場合もありますし、個人差はかなりありますよ? 真由美さんはそれほど太いとも思えませんし、寧ろ骨がしっかりしてるタイプみたいですから、健康的じゃないですか」

「あら、ありがとう」

 笑顔で真由美が指輪を受け取るのを見ながら、義則が心底感心したように呟いた。


「本当に凄いな……。私なら、cm単位でも正確に目測するなんて無理だが」

「普通はそうなんだが、関本は料理をする時も計量カップとかは使わないらしいし……。そう言ってたよな?」

「はい。ボトルから流れ出る量を見て、計測できます」

 それを聞いた義則は半ば面白がって、沙織の前に置いてあったコーヒーカップを指さしながら尋ねた。


「それなら、そのカップに入っている珈琲の量も分かるかな?」

「……少々お待ち下さい」

 一緒躊躇ったものの、沙織はすぐにそのカップを取り上げ、かなりぬるくなっていたそれを一気に飲み干した。


「157mlです」

 彼女がカップを口から離した直後に、冷静に数量を口にすると、さすがに夫婦揃って驚愕する。


「ほう? それは凄いな」

「本当に分かるの!?」

「分かりません。適当に言っただけです」

「……はい?」

 興奮気味に問いかけた真由美だったが、淡々と沙織に言い返されて戸惑った顔になった。そんな社長夫妻に対して、彼女は冷静に説明を続ける。


「予め容器の容量が判明しているのなら、全量に対してどれ位の量だと推測できますが、このカップの容量は分かりませんので」

「あら……、それじゃあ口からでまかせだったの?」

「そうではありません。実際にその量だった可能性もあります。ですが飲んでしまえば、後から正確な量など計りようがありませんから、ある意味、どんな数量を言っても正解です」

 沙織にそんな屁理屈を堂々と言い放たれ、真由美は唖然としたが、隣の義則には大受けした。


「ぶわははははっ! た、確かにそうだなっ! 確かめようが無いな! 勤務先の社長に対してそんな見事なハッタリをかますとは、その度胸の良さ、益々気に入ったぞ!」

「恐れ入ります」

「本当に沙織さんって、楽しい人ね」

 膝を叩きながら笑い続ける義則を見て、苦笑しながら真由美も頷く。


「本当に規格外だな。プライベートだと、ここまで愉快だとは思わなかったぞ」

「誉め言葉として受け取っておきます」

 半ば呆れながら友之も感想を口にし、そんなこんなで沙織は、招き入れられて一週間経過しないうちに、すっかり松原家に馴染んでいた。

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