(22)ダメンズ好き疑惑

 その日、取引先から首尾良く新規契約をもぎ取った沙織と佐々木は、夕方に意気揚々と社屋ビル前まで戻って来た。


「先輩、契約できて本当に良かったですね」

「ええ、しかも一気に三台。設備投資に二の足を踏む所が多い中、英断よね。それに」

「よう、沙織。元気そうだな」

 急に進路を遮るように現れた男が、軽く手を振りながら馴れ馴れしく呼び掛けてきた為、沙織は一緒(こいつ誰?)と思ったものの、すぐに記憶の中から該当する人物の名前を引っ張り出した。


「……あら、桐生さん。お久しぶりですね」

「なんだよ。随分他人行儀だな。昔みたいに翔って、名前で呼んでも構わないぜ?」

「他人ですから。失礼します」

 そう言って彼の横をすり抜けようとした沙織だったが、その腕を翔がすかさず掴んだ。


「ちょっと待て。話があるんだ」

「私にはありませんが?」

 明らかに目の前で揉め始めた二人を見て、佐々木が翔を幾分険しい目で見ながら慎重に尋ねた。


「先輩……、この方は誰ですか?」

「三年前に一時期付き合ってた、単なる元カレよ」

「そう。だから、部外者は黙っててくれるかな?」

「今は仕事中なので、部外者はあなたの方です。一体何の話ですか? 手短にお願いします」

 とにかく話を聞けば帰るかと思った沙織は素っ気なく促したが、相手は上から目線で言い放った。


「沙織。お前、相変わらず男いないだろ? そうだよな? お前みたいなかわいげの無い難儀な性格の奴、まともな男なら相手にしないって」

「喧嘩を売られても買いません。失礼します」

 これ以上世迷い言に付き合っていられるかと、掴んでいる手を振り払おうとした沙織だったが、ここで翔は若干慌てながら言い募った。


「待てって! だからよりを戻そうって言ってんだよ!」

「は? 誰と誰がよりを戻すと?」

「俺とお前に決まってるだろ?」

 当然の如く言われた沙織は、深々と溜め息を吐いてから、如何にも残念な物を見るような目つきで相手を眺めた。


「立ち話しながら寝言が言える程度に、器用だったとは知らなかったわね……。無駄なスキルアップみたいだけど」

「何だと!? 俺は本気で言って、いてててっ! 何すんだよ!? お前らっ……」

 そこでいきなり空いていた手を背後にねじり上げられた翔は、反射的に沙織の腕から手を離し、身体を捻って向き直った。そしていきなり暴挙に及んだ相手を怒鳴りつけようとしたが、自分よりも体格の良い二人組の男に、顔を引き攣らせる。


「何をするだと? それはこっちの台詞だ。俺らの同僚に何してんだ、あぁ?」

「俺達も関本達も、れっきとした仕事中なんだがな?」

 自分の手を掴んでいる朝永は勿論、不敵に笑いながら指を鳴らしている只野も明らかに体育会系であり、到底かなわないと見るや翔は朝永の手を引き剥がし、捨て台詞を吐いて逃走した。


「……っ! 分かったよ! じゃあ、沙織。また来るからな!」

「呼んだりしてないし、会いたいとも思わないけど」

 その逃げっぷりに呆れながら沙織が呟いていると、すっかり出遅れていた佐々木が心配そうに尋ねてきた。


「先輩、すみません。呆気取られていまして。大丈夫ですか?」

「大丈夫よ。ちょっとわけが分からない絡まれ方をしただけだし」

 そこで朝永達が、怪訝な顔で尋ねてくる。


「おい、関本。何だ、あの如何にも頭が軽そうな奴は? 腕を掴まれていたし険悪な雰囲気だったから、つい割り込んでしまったが、どういう事だ?」

「仕事上の関係者じゃないよな? 私服だったし」

「元カレです。いきなり現れて、何やらヨリを戻したいとか何とか、寝言をほざいていました」

 それを聞いた朝永と只野は無言で顔を見合わせ、二人に手振りで職場に戻るように促して歩き出してから、渋面になって感想を述べた。


「お前……、ちょっと男の趣味が悪くないか?」

「どこであんなのと知り合った?」

「合コンです。普段周りには居ないタイプなので、意外に面白いかもと思いまして」

「あのな……」

「そりゃあ、あんな軽そうなの、うちに居ないだろ」

 平然と述べた沙織に、先輩二人は頭痛を覚えたが、佐々木は声を荒げて噛み付いた。


「何なんですか、先輩! 先輩は隙のないタイプだと思っていたのに、この前飲んだ時の事と言い今と言い、プライベートはガタガタじゃないですか!」

「ガタガタって何よ。失礼ね」

 さすがに気分を害したように沙織が彼を睨んだが、佐々木はそんな視線など気が付かずに、自分の思考にはまり込んだ。


「うわ……、姉ちゃん大丈夫かな……。何だかもの凄く、心配になってきた。今夜、実家に電話してみよう……」

「は? 姉ちゃんって」

「佐々木、お前、何言ってんだ?」

 この間にビルに入り、一階のエントランスからエレベーターに乗り込みながら、佐々木が呟いた内容に、朝永達が怪訝な顔をして尋ねると、彼は大真面目に言い出した。


「これまで言った事は無かったんですが、実は関本先輩は何となく、俺の姉と感じが似てるんですよ。一見完璧に見える、ツンデレな所が」

「佐々木。言っておくが、関本はツンデレじゃなくてツンツンだ。デレている所なんか、全然想像できん」

「朝永さん……、何気に失礼ですね」

 すかさず朝永から入ったツッコミに、沙織が憮然として口を挟んだが、ここで彼女に向かって只野が困惑顔で尋ねた。


「関本。本当に大丈夫なのか? あの男、何だか他人の話を聞かないタイプに見えたし、随分勝手な事をほざいていたようだし」

「大丈夫かと思います。あいつに何ができるっていうんですか?」

「お前……、一応付き合ってたんだろ?」

「五日間だけですが」

「はぁ?」

「何だそれは?」

「どうしてそんな短期間で、あっさり別れたんですか?」

 男達が揃って目を丸くしたところで職場のフロアに着き、エレベーターから廊下に出て歩き出しながら、沙織が事も無げに告げた。


「向こうが『お前みたいに、カラッとしたタイプが俺には合うかと思ったけど、どう考えても無理だわ。やっぱり女は可愛くないとな。てなわけで、他に好きな女が出来たから別れようぜ。俺に未練なんか残すなよ』ってほざいて、一方的に向こうから連絡を絶ったから、そのまま放置して自然消滅しただけです」

 それを聞いた男三人は、揃って盛大な溜め息を吐いた。


「色々間違ってるぞ」

「その男も男だが、関本。お前って奴は……」

「要するに先輩って、ダメンズ好きだったんですね……」

「はい? 『ダメンズ好き』って、何それ?」

 妙にしみじみと佐々木に言われてしまった沙織は、営業部のフロアに足を踏み入れた所で怪訝な顔で尋ね返したが、彼は真顔で訴えた。


「三年前なら、先輩はとっくにここで働いていたのに、課長を筆頭に周りの独身有能イケメン社員に見向きもせず、あんなスッカスカな男と付き合ってたじゃないですか! あれですよね? 自分ができるが故に、『私が面倒見てあげなくちゃ駄目なのよね』とか、駄目な男にほだされちゃうタイプなんですよね? 姉ちゃんが高校時代に付き合ってた男も、見た目釣り合わない駄目男ばっかりで、子供心に『何であんな奴が良いんだろう』って、もの凄く不思議だったんですよ!」

 営業部内を、大袈裟な手振りでぐるりと指し示しながら主張した佐々木に、沙織は完全に頭を抱え、室内にいた者達は何事かとざわめいた。


「あのね……、佐々木君のお姉さんの好みは分からないけど、それとこれとは関係無いかと……」

「佐々木?」

「何を騒いでるんだ?」

 そして何とか気を取り直した沙織が、冷静に佐々木を宥めようとする。


「佐々木君。幾ら何でもダメンズ好きって、それは無いから」

「じゃあどうして先輩は、入社以来うちの課長に見向きもせずに、あんな男と付き合ったりしてたんですか!?」

 その声は一際室内に響き渡り、勢い良く指さされた友之も、何事かと無言で自分の席から顔を向ける。すると沙織は少し考え込んでから、神妙な口調で言い出した。


「自覚してなかったけど………………、意外にダメンズ好きだったかな?」

 彼女が小首を傾げながら呟いた途端、佐々木は鞄を取り落とし、頭を抱えて喚いた。


「うわあぁぁっ! やっぱりそうなんだ! 姉ちゃんは本当に大丈夫なんか!? ちょっと電話してきます!」

「あ、佐々木! どこに行く!? 錯乱するな!」

「今の、軽い冗談だったんだけど……」

「関本、笑えん冗談は止めろ。空気を読め」

 大声で叫んだ次の瞬間、佐々木は引き止める間もなくいきなり部屋から走り出て行き、沙織は呆気に取られながらそれを見送った。そしてさすがにその騒動を看過できなかった友之が、渋面で三人に歩み寄って声をかける。


「お前達、そこで何を騒いでいるんだ? それに佐々木はどこに行った?」

「課長。お騒がせしてすみません。関本がビルの前で、元カレに絡まれまして」

「佐々木は錯乱して、私用電話をかけにいきました」

「私用電話はともかく、元カレ?」

 友之が朝永達から沙織に視線を移すと、彼女は素直に頷いて報告した。

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