(14)車道楽で服道楽

「それで仕事をしていたんだが、なかなか営業成績が上がらなくてな。色々悩んでいた二年目の時に、唐突に取引先の社長に言われたんだ。『あんた、服が似合ってないな』って」

「え? いきなりですか?」

 思わず顔を上げて問いただした沙織に、友之は真剣な面持ちで言い返す。


「ああ、いきなりだったな。一字一句までは覚えてはいないが、『うまく言えんが、借り物を無理やり着ている感じだぞ? あんたはそれが仕事着じゃないのか? 俺はこの作業着が仕事をする上での正装だから、薄汚れていても愛着があるし、これを着ている自分に誇りを持っている。だがあんたは俺よりは小奇麗な恰好をしているが、仕事に誇りを持っているようには見えんな』とか、そういう感じの事を言われたと思う」

 その台詞を吟味した沙織は、難しい顔になりながら慎重に問いを重ねる。


「……今のは、どういう意味でしょうか? それって単に、服云々だけの話じゃありませんよね?」

 それを聞いた友之は、少しおかしそうに笑った。


「鋭いな……。要はあの頃は自分でも知らず知らずのうちに、かなり委縮していたんだな。そこをその社長に突かれたわけだ」

「具体的には、どういう事ですか?」

「入社前に『俺が社長職を務めている以上、やりにくいぞ?』と父から言われて分かっていたつもりだったが、いざ入社してみたら色々と軋轢が激しくてな。父に迷惑はかけたくないし、下手に足を引っ張られたり陰口を叩かれたくないと、無意識に楽な方へと流されて、無理な挑戦をするのを避けていたから。元々の俺の性格だったら『安い服を着ろ』と言われた時点で、『そんな馬鹿な事があるか』と反発していた筈だ」

「松原さんだったら、そうでしょうね」

 これまでの職場での付き合いで、それなりに上司の性格について理解していた沙織は、心底納得して頷いた。すると友之が、一層笑みを深くしながら言い出す。


「その直後、父方の従姉と顔を合わせる機会があって、何気無く一連の事を言ってみたんだ。彼女も父親が社長に就任している会社に入社して、バリバリ働いていたから。そうしたら……」

「そうしたら?」

 友之が思わせぶりに口を閉ざした為、反射的に沙織が促す。すると彼は笑いながら言ってのけた。


「『色々小さくてつまらない男ね! 第一、そんな奴は良い服だろうが悪い服だろうが、難癖付ける類よ。どんな服を着ていようが、結果を出せば良いでしょう? 社長の息子だからって妬まれていても、周り以上の実績を出して示せば、そんな輩は嫌でも黙るわ。自分の狭量さを示すだけだしね。友之、あなた入社二年目なのに、人並の仕事もできてないの? 恥ずかしいにも程があるわ。叔父様の恥になる前に、とっとと辞表を出しなさい』と一刀両断されたんだ」

 その容赦が無さ過ぎる物言いに、沙織はがっくりと項垂れた。


「……貴島さんと松原さん、双方に容赦ないですね」

「だが、それで完全に目が覚めたしな」

 そこで笑みを消した友之は、真顔になって言葉を継いだ。


「それ以降は取引先とそこの仕事に敬意を払う意味で、今のようなスーツを着る事にした。流石に最初は取引先でも奇異の目で見られたりしたが、面と向かって色々言って来た人には主旨をはっきり説明したし、何より自信と責任を持って仕事をしていれば、殆どの相手は打ち解けて納得してくれたから。それからは不思議なもので、どんどん業績が上がったんだ」

「なるほど、そういう事でしたか」

「またテーラーメイドを着始めたら、『お前、いい加減にしろ。仕事をなめてるのか!?』と貴島さんに突っかかられたが、『この服で、あなた以上の仕事はしています』と返したら、掴み合いの乱闘になりかけた。周囲に引き剥がされたがな。その後少しして貴島さんが異動になったものだから、俺が父親に言って営業二課から出したんだろうという噂が、その後暫くの間、まことしやかに社内に流れていた」

 淡々と語られた内容を聞いて、沙織が微妙な表情になる。


「松原さんが、そんな事をするわけないじゃありませんか……。社長令息っていう立場も、なかなか大変なんですね……」

「こればかりは仕方が無いな。嫌だったら、他社に就職すれば良かったわけだし」

「それでそれ以降、そのスタイルを貫いていると?」

「ああ、もうゲン担ぎとかそういうのを通り越して、プライベートではともかく、仕事中は仕立ての良い物を着ないと落ち着かないんだ」

「車道楽で服道楽ですか……、難儀ですね」

 半ば呆れながら感想を述べると、友之が苦笑いで答えた。


「それほど難儀でもないぞ? 実家暮らしだし、松原工業の給与体系がなかなかの物で助かっている」

「そうですね。管理職手当も貰っていますし、車とスーツの為に手当以上に頑張って下さい」

 そこで頼んでいた料理が運ばれ、店員に笑顔で会釈する彼女を見てから、友之は少々疑わしげに尋ねた。


「……さっきの台詞、微妙に引っかかりを覚えたんだが」

 しかし沙織は、フォークとナイフを動かしながらそれに素っ気なく答える。


「気のせいです。この話を《愛でる会》の皆さんに教えたら、『きゃあ! やっぱり松原課長って、信念の人で素敵よね!』って言う歓声が湧き起こりそうですね」

「本当に素敵だと、微塵も思っていない口調で言うのは止めて欲しいんだが」

「一応、格好良いとは思っていますよ? さすが松原さんです」

「だからその棒読み口調は、勘弁してくれ……」

 うんざりした様子の友之に沙織は笑いを誘われ、彼を宥めてから二人で楽しく食べ進めた。

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