(13)そのスーツの理由

 終始沙織の主導で進んだプレゼントの選定も終わり、昼前には二人は店舗を出て幹線道路の歩道を歩き始めた。


「さくさく買い物が進んで、実にすがすがしい気分ですね、松原さん?」

「俺は、若干の不安を感じているがな……」

 笑顔で見上げてきた沙織に対して、友之が自身の手に提げている大き目の紙袋とその中身を、何とも言えない表情で見下ろす。それを見た沙織は、彼の懸念を笑い飛ばした。


「そんな深刻な顔をしないで下さいよ。大丈夫ですって! 『案ずるより産むが易し』って言うじゃないですか」

「現にもう買ってしまって、後は渡すだしな……。よし、じゃあ約束通り、昼は奢るから」

 そこで完全に気持ちを切り替えた友之が真顔で申し出ると、沙織は苦笑しながら返した。


「分かりました。それじゃあ万が一、それがお母様のお気に召さなかったら、後日倍返しで奢りますので」

「そんなけち臭い奢り方をすると思ってるのか、見くびるな」

「それは失礼しました」

 そんな他愛も無い話をしながら二人は道を曲がって細い道に入り、少し歩いてビルの二階に入っている無国籍風の創作料理店に入った。


「こんな所に、こんなお店があったんですね。知らなかったです。誰かと来た事があるんですか?」

「ああ、以前の彼女と」

「なるほど、確かにちょっと変わっていますけど、なかなか良い雰囲気のお店ですよね」

 二人でテーブルに落ち着いてから沙織は改めて店内を見回し、広げたメニューの陰で小さく溜め息を吐いた。


(店内は見事に女同士とカップルばかり。こんな所、間違っても知り合いに見られたくないなぁ……)

 すると溜め息を吐いた気配を察したらしい友之が、不思議そうに声をかけてくる。


「うん? どうかしたか?」

「いえ、なんでもありません。遠慮なくご馳走になります」

(とは言ったものの、仕事上の事ならともかく、課長とプライベートに関しての話題なんて咄嗟に浮かばないわよね。……あ、あれがあったか)

 場繋ぎの話題をどうしようかと一瞬悩んだ沙織だったが、ふと思い付いた事があった。


「ところで松原さん。この機会に是非、お聞きしたい事があるんですが」

「それは構わないが、改まって何だ?」

「どうして職場で、いつも値が張るスーツばかり着ているんですか?」

 そんな事を大真面目に聞かれて、友之は驚いた顔になって問い返してきた。


「課内の誰かから、理由を聞いていなかったのか?」

「配属直後に只野先輩から、『あれが課長のスタイルやポリシーだから』と聞いた事はありますが、そこで話は終わっていましたので。こちらもそれ以上、突っ込んで聞く事はありませんでしたし」

 すると友之は、指折り数えながら自問自答する。


「ええと……、関本は俺より五期下だし、只野は俺の三期下だから……。確かに、その理由を直接知っているのは、その前年に入った朝永より上の世代までかな? 実は、ちょっと揉めた結果なんだ」

「揉めたって、服装でですか?」

 予想もしていなかった言葉を聞かされて沙織が首を傾げると、友之は淡々と説明を始めた。


「俺が営業二課に配属された時、三期上に貴島さんがいて、俺の指導役になったんだ。彼を知っているか? 今は再生エネルギー事業部に所属しているんだが」

「貴島さん……、名前だけは。確か、再生エネルギー事業部のどこかの課長になっていましたよね?」

「ああ、優秀な人だからな。俺は配属当初から嫌われていたが」

「はい? どうしてですか?」

 仕事上で厳しいのは当たり前だが、普段は人当たりが良く温厚とのイメージが強い友之を目の前にして、どうして嫌われるのかと沙織は本気で困惑した。すると彼が、苦笑いの表情で説明を続ける。


「入社直後から、今のようなスーツで出社していたから。でも一言弁解させて貰えれば、それまで本当にあのランクの物しか着た事がなかったんだ。学生時代から親や祖父に連れられて、結構パーティーや会合に出席していたし。その時は当然、それなりの格好で出向かないといけないから」

 それを聞いた沙織は、納得して深く頷いた。


「そういえば……、確か松原社長はあの柏木産業創業家の出身で、そちらの閨閥は政財界に広がっていて煌びやかですよね……」

「そういう事。父は一人娘だった母と結婚して松原家に入ったが、父方の付き合いが今でも色々多くてね。個人的にも仕事上の取引でも」

「今、当時の状況が、リアルに想像できちゃいました。量産品のスーツを、成人式と就職活動でしか着た事のない垢抜けない新入社員の群れの中に、高級スーツをしっかり着こなしている、異端児が一人……。しかもそれが社長令息だったりしたら、悪目立ちする事確実ですよ」

 一人納得してうんうんと頷く沙織に、友之が疲れたように言い返す。


「異端児って何だ、異端児って。それで入社早々、目を付けられてしまったのは確かだが」

「その貴島さんにですか?」

「彼にだけではないがな。お前はふざけているのかと難癖を付けられた」

「別にふざけてはいませんよね? ジャージとかで出社したわけではなくて、立派過ぎるスーツだったわけですから」

 真顔でそんな事を言われた友之は、深い溜め息を吐いた。


「本当に、関本は極端だな……。どうしてそこで、ジャージが出てくる。Tシャツとジーンズで出社したいとか言うならともかく」

「家で良くジャージでいますから。楽で良いですよ? 外に出ないなら、意外に職場でも良いんじゃ」

「頼むから想像するのも、冗談を言うのも止めてくれ。お前だと、いつか本当にジャージで出社して来そうで怖い」

「話が逸れたので戻しますね。それでどうして高級スーツ着用だと、ふざけている事になるんですか?」

 自分の懇願をスルーして冷静に話を戻した沙織に、友之は再度溜め息を吐いてから話を続けた。


「松原工業は業界内でもかなりの規模の企業だが、取引先が大企業ばかりとは限らない。特に精密機器製造用の機材を取り扱っている俺達営業二課の顧客は、中小企業がかなりの割合を占める」

「そうですね。それがどうかしましたか?」

「だから、『そういう場所に商談や納品に出向く時に、高級なスーツ姿だと相手の反感を買うから、安いスーツを着ろ』と言われたんだ」

「はぁ?」

 大真面目に言われた内容が咄嗟に理解できず、沙織は間抜けな声を上げた。しかし相手の顔を見て、それが冗談ではなく事実だと悟った瞬間、渋面になりながら言い返す。


「松原さんは、本当にそんな事を言われたんですか? 私、配属後に一度もそんな事を言われた事はありませんし、第一そんな言い方は、却って顧客を見下している事になりませんか?」

 その訴えを聞いた友之は、困り顔になって言葉を返した。


「確かに俺も、そう思ったんだがな……。当時は新人だったし、下手に職場内で波風を立てたく無かったんだ。それで言われた通り、周りが着ているようなスーツを買って着始めたんだが……、何かしっくりこなかった」

「量販品のスーツを着た松原さん……。駄目だわ、想像できない……」

 片手で顔を覆って呻いた沙織を見て、友之は苦笑いしながら話を続けた。

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