(10)友人関係の樹立
「う~ん、うちは世間一般とは、ちょっと価値観がずれているもので……。以前何かの折に、私の家族構成についてはお話しした事があると思いますが、実家では母と弟の三人暮らしだったんです」
「ああ、確かお父さんが早くに亡くなって、お母さんが女手一つで関本と弟さんを育てたんだよな? 本当に大変だったと思う」
「いえ、まあ……、それほどは……。慰謝料とかもありましたし……」
心底感心しながら、苦労したであろう沙織の母親について友之は言及した。しかし何故かそれを聞いた沙織は、微妙に居心地悪そうに身じろぎする。対する友之は、彼女が呟いた内容を耳にして若干顔つきを険しくした。
「慰謝料って……、お父さんは病死だと思い込んでいたが、過労死とか事故死とか、まさか医療ミスで亡くなったとか?」
その疑念を聞いた沙織は、必死に手を振って否定する。
「いえいえ、そんな物騒な事ではありませんから! それで母の職業は弁護士なんですが、所属先の事務所で、主に離婚訴訟を取り扱っているんです」
若干慌てながら、沙織はやや強引に話題を逸らした。それを聞いた友之は、意外そうに首を傾げる。
「所謂、離婚訴訟専従の弁護士というやつか?」
「専従まではいっていないと思いますが、九割以上はそうじゃないでしょうか?」
「それを専従とは言わないのか?」
「要するに、男女間のドロドロとした揉め事に、四六時中触れる仕事なわけです。それで守秘義務がありますから固有名詞を出さない推察するような事も言いませんが、家で色々愚痴る事も多かったわけです」
そこまで話を聞いた友之は半分は納得したものの、率直に疑問を呈した。
「愚痴なら、職場で同じ弁護士に聞いて貰えば良いんじゃないのか?」
「それだと曖昧にぼかしても、誰の事かすぐ分かってしまいますし、安心できないじゃないですか。仕事上の事で相談するのとは微妙に内容は違いますし、誉められる事でもありませんから」
「確かに、そうかもしれないが」
「だから変にストレスを溜めるより、家の中で愚痴る位は良いかと思って、素直に聞いていたんですよ。異論や下手な意見を挟まず、おとなしく話を聞いてあげて『そうだよね、大変だね。世の中馬鹿な人が多くて困るよね』って宥めて慰めてあげれば、それで母は落ち着くんですから」
「変なところで、苦労してたんだな……」
妙にしみじみと語った沙織を見て、思わず友之は同情した。
「大学に入ってからは、偶に実家に帰る時にしか、聞いていませんが。幸い、離れて暮らしている一人娘に電話してまで、愚痴る気は無かったみたいです。東京に出て来る時にこれから毎日のように電話がかかってくるのかと、密かに戦々恐々としていたんですが」
そう言って肩を竦めた彼女を見て、友之は苦笑した。
「十分節度は弁えているお母さんみたいだな。寧ろ愚痴りたかったと言うより、それをきっかけに関本と話したかったとかじゃないのか?」
「後から考えると、そうかもしれませんね。うちは母の職業のせいか、母子家庭と言うより父子家庭のイメージでしたから。よくよく思い返すと、母と女同士の話的な話題で盛り上がった記憶が皆無なんです」
「普段の関本を見ていると、もの凄く納得できる。オンオフの切り替えが明確だしな。それもお母さんの影響っぽいな」
「私もそう思います」
苦笑しながら頷いた沙織だったが、ここで急に遠い目をしながら呟く。
「結局そんなこんなで、小さな頃から散々男女の修羅場もつれ話を聞かされて育ったもので、周りの皆が周囲の男子生徒達を盗み見しながらキャッキャウフフし始める頃には、自分でも冷め切った恋愛観を保持するようになっていまして……」
「うん……、それは良く分かった」
友之も静かに頷いたところで、丁度次の料理が運ばれてきた為、会話が一時途切れた。しかし店員がその場からいなくなるとすぐに、友之が素朴な疑問を口にする。
「そうなると、関本は男と付き合った事はあるのか? これは純粋な好奇心からなんだが、失礼な事を聞いてすまん。気に障ったら、答えなくて構わないから」
それを聞いた沙織は、呆れ気味に言い返した。
「失礼だと分かってるなら、わざわざ断りを入れてまで聞かないで下さいよ。本当に課長って、プライベートだと結構面白いですよね? あ、仕事中がつまらないと言ってるわけじゃありませんよ? 仕事中に変な面白さは、必要ありませんから」
「お前だって断りを入れながら、マザコンだのとなんだのと結構失礼な事を言ってるだろうが」
「本当ですね」
互いにそんな事を言って苦笑してから、別に隠す事も無いかと思った沙織はあっさりと答える。
「えっと、さっきの男云々の話ですが、これまでに一応、四人と付き合いましたよ?」
「ほう? それは意外だったな」
「でも交際期間が最短五日で、最長三ヶ月ってところなんですが。これって、付き合ったうちに入ると思います?」
真顔で問い返された友之は、本気で頭を抱えた。
「頼む……。そんな事を、俺に聞かないでくれ」
「聞いてきたのは課長ですし」
「なんとなく分かった……。お前が男と長続きしなかった理由」
「私も分かってはいるんですけど、男の為に自分の性格とか生活スタイルを、変えるつもりはありませんから」
「……それは関本に、自分の為に変えたいと思わせられなかった男が悪いな」
溜め息を吐いてから何気無く口にした友之だったが、沙織は意外そうな顔つきになった。
「……へえ?」
「どうした?」
何か気に障った事を言ったかと、友之は思わず見返した。すると沙織が、そのままの表情で答える。
「そういう反応が返ってくるとは、正直思っていませんでした」
「そうなのか?」
「友人にこの手の話をすると、大抵は『確かにお前は、友人としては良いんだがな』と、もの凄く残念な顔をされるので」
それを聞いた友之は少しだけ考え込んでから、確認を入れた。
「その友人って言うのは男か?」
「はい。こんな性格ですから、女の友人より男の友人の方が多いですね。ですけどその人達に特定の恋人ができたり結婚すると、相手から変に邪推されないように自然に距離を置くようにしていますから、最近では友人付き合いそのものが、随分少なくなっていますが」
「なるほど。俺の方も同世代の友人は結構結婚してるから、独身時代みたいに気軽に飲みにも誘えなくなってるのは確かだな」
少し考え込んでから、友之は顔を緩めながら言い出した。
「しかし、関本は本当に面白いな。今までの飲み会でも、こういう話はした事は無かっただろう?」
「それはまあ、仕事の一環でしたし。TPOは弁えるべきですから」
「確かに今はプライベートだが、俺に遠慮なく結構ベラベラ喋って構わないのか?」
「課長は他人のプライバシーに関わる事を、他の人間に向かってベラベラ喋る方なんですか?」
少し意地の悪い質問をしたかと思ったが、冷静に真顔で返されてしまった友之は、一瞬当惑してから破顔一笑した。
「分かった。参った、降参だ。どうやら俺は、上司としてだけでは無くて、一人の社会人としても信用して貰っているわけだ」
「そのつもりでしたが、分かり難かったですか?」
「ちょっとな」
「それなら少しだけ反省します」
そこで友之は、堪え切れずに笑い出した。何故真面目に答えたのに笑われるのだろうと、沙織は憮然となる。そして何とか笑いを抑えてた友之が、楽しげに提案してきた。
「どうだ、関本。寂しくなってきた交友関係を少しでも華やかにする為に、俺を年上の友人にするつもりはないか?」
「はぁ? 課長をですか?」
「ああ。ジョニー以下のイケメン風情で、本当に申し訳ないが」
その満面の笑みでの申し出に、沙織の顔が微妙に引き攣る。
「……嫌味ですか」
「多少は」
「課長って仕事中とは、微妙に性格が違ってますよね」
「お前程じゃないがな」
自分で言っておかしかったらしく、友之が口元を押さえて笑いを堪える。そんな肩を震わせている彼を眺めた沙織は、諦めたように言葉を返した。
「分かりました。それじゃ今後は仕事上では上司と部下、プライベートでは友人関係という事で宜しいんですね?」
「そういう事だな。別に構わないだろう? 関本は公私はしっかり区別するタイプだし」
「勿論です」
当然の如く頷いた沙織に向かって、ここで友之がさらりと要求を繰り出した。
「そういうわけだから、今度の休みが空いているなら、母親の誕生日プレゼントを選びに行くのに付き合ってくれ。部下だったら公私混同な事なんか頼めないが、友人だったら構わないよな?」
にっこりと人好きしそうな笑みを浮かべながら言われた内容に、沙織は盛大に言い返す。
「単に部下を公私混同でこき使う、口実欲しさですか!?」
「人聞きが悪い。それなりのランチを奢るぞ?」
「課長は本当に口が上手いですし、調子が良いですよね!」
「それは最高の褒め言葉だな」
そう言っておかしそうに笑った友之は、なおもブツブツ言う沙織を宥めて友人関係樹立と、次の休みのショッピング同伴に同意させるのに成功した。それから二人は楽しく会話しつつ、最後までコース料理を堪能したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます