(9)プライベートな話

「課長、こちらに目を通して頂けますか?」

 その声に友之は顔を上げ、相手を確認してからクリアファイルを受け取った。


「分かった。後から机に戻しておく」

 沙織は一礼してから自分の机に戻って行ったが、早速その中の販売計画書を取り出して内容を確認しようとした友之は、私用のレポート用紙が一枚紛れ込んでいるのに気が付く。


(うん? これは……)

 それには先日の非礼に対する短い詫びの文章に続き、是非お詫びをさせて欲しいとの旨が書かれており、最後に都合の良い日時を尋ねる言葉で締めくくられていた。それを見た友之は、思わず小さく笑ってしまう。


(彼女らしいと言えば、彼女らしいな。明らかなプライベートの用件で、社内メールや仕事用のアドレスで、俺の都合を聞くのは躊躇われたか。だが、れっきとした仕事の文書に紛れ込ませる事は、どうなんだろうな?)

 相変わらず微妙な判断基準を持っている彼女に笑いを誘われながら、友之はすぐに近い日付で空いている日時をそこに書き出し、書類に目を通してから何食わぬ顔で彼女の机にそれを戻した。




 そんなやり取りをしてから二日後、友之は仕事帰りに因縁のあり過ぎる店の前で、沙織と落ち合った。


「悪い、待たせたか? 先に出たのは分かっていたんだが、なかなか抜けられなくてすまない」

「いえ、私が早めに出ましたし、大丈夫です」

「しかし……、ここで良いのか?」

 改めて、前回連れて来た時に沙織が酔いつぶれた店の玄関を眺めながら、金額的な面と相手の心情を考えながら友之が尋ねた。しかし沙織の返答に迷いは無かった。


「はい。お酒もお料理も美味しかったと思いますが、残念な事に泥酔してしまったせいで、後半の記憶が曖昧なもので……。課長にお詫びをしつつ、是非仕切り直しをしたいと思っています」

 大真面目にそんな事を言われた友之は、苦笑しかできなかった。


「関本らしいな。それなら今日は遠慮なく、ご馳走になるか」

「ええ、そうして下さい」

 沙織が予め席を押さえていた為、前回同様すぐに奥のテーブル席に通され、二人は四人用の広々とした席に落ち着いた。


「それでは課長、今日一日お疲れ様でした。こちらの都合で足を運んで頂いて、もうしわけありません」

「お疲れ。ご馳走してくれると言うんだから、そこまで気にするな。それにお酌とかもしなくて良いぞ?」

「ですが」

 おしぼりで手を拭きながら沙織が神妙に切り出したが、友之は相手の言いたい事を察した上で、明るく笑いながら言い聞かせた。


「これは関本が個人的に、俺に詫びるための席だろう? 仕事じゃないんだから、本当に構わないからな。料理はコースを頼んでいるみたいだが、酒は好きな物を頼んで良いし。俺も好きな物を頼んで、手酌で飲ませて貰うから」

「そうですか? それなら遠慮なく」

「そうしろ。すみません、籐の舞を枡で貰えますか?」

「あ、私は鷺島をグラスで!」

「やっぱりいける口だな」

 視線で飲み物を尋ねてきた店員に早速友之が希望を伝えると、沙織も微塵も迷いなく注文する。その様子を見た彼は、我慢できずに再度笑った。


「くうっ……、やっぱり日本酒は辛口に限るわっ!」

 お通しをつまみながら飲み始め、早速満足げな声を上げた沙織を見て、友之は何気なく問いを発した。


「本当に美味そうに、というか、幸せそうに飲むよな。ご両親も日本酒が好きなタイプなのか?」

「……え? どうしてここで親が出てくるんですか?」

「いや普通、親に最初に、酒の飲み方とか教えて貰うだろう?」

 途端に不思議そうな顔になった沙織に、友之が怪訝な顔で応じる。それを聞いた彼女は、納得したように頷いた。


「やっぱり課長は、良いところのお坊ちゃんですよね……。再認識しました。あ、今の発言は、馬鹿にしたわけじゃありませんよ? 普通お酒とかって、悪友とか先輩とか女とかに教えて貰ったとか言いそうですから」

「そうか? まあ確かに以前にも、そういう事は言われたかもしれないな」

「因みに私は、母親に飲み方を教えて貰いましたが。好みもほぼ同じですし、毎年の誕生日には、つまみ付きで美味しいお酒を蔵元から実家に直送して貰っています」

 それを聞いた友之が、深い溜め息を吐いて項垂れる。


「……親の好みが完璧に分かっていて楽だな。羨ましい」

「どうしてですか?」

「もうすぐ母親の誕生日なんだが、毎年何をプレゼントするかで悩んでいるんだ」

「それは本当に大変そうですが、課長って親孝行なんですね? マザコンっぽくは見えませんが」

 意外そうな顔になった沙織は、遠慮のない事を口にした。そんな彼女を、友之が恨みがましく見やる。


「お前……、プライベートだと宣言したら、微妙に性格が変わって失礼だな」

「すみません、こんな性格で」

「確かにマザコンと言われても、構わないがな。同居して、日々世話になっているし」

「そうでしたね。課長は実家在住でした。お世話になっている母親に感謝の気持ちを表す為に、誕生日にプレゼントを差し上げるのは当然です。万が一課長をマザコン呼ばわりする不埒者がいましたら、私が代わりにボコりますので遠慮なくお知らせ下さい」

「だから、構わないと言ってるだろうが」

 生真面目に沙織は頭を下げた。それを見た友之は笑い出し、釣られて沙織も笑顔になる。


「正直、時々口煩いと思う事はあるがな。一人息子だから仕方が無いと、とっくに諦めているし」

「そうですよね。課長は社長の一人息子なのに、良く三十過ぎても独身生活を謳歌できているな~と、不思議に思っていたんです。何かコツでもあるんですか?」

「別にコツって言うか……、両親とものんびりしていると言うか、恋愛結婚だったから無理に見合いとか勧められる事も無かったと言うか……。他人の事より、お前の方はどうなんだ?」

 そこら辺をあまり突っ込まれたくなかった友之が、半ば強引に話の矛先を変えた。それに沙織が、少し驚いたように目を見張る。


「は? 私ですか?」

「ああ。地元を離れている分、親は結構心配しているんじゃないのか?」

「いえ、私実家に帰っても、全然『結婚しろ』とか言われないもので」

「そうなのか? 年齢の事を言ってしまって悪いが、関本は今年二十七だろう? 一般的に言えば、そろそろ周りから色々言われる頃じゃないのか?」

 過去に親よりも寧ろ周囲から散々言われていた友之が、自身の経験を思い返しながら尋ねた。すると沙織はちょっと困った顔をしながら、手にしたグラスをテーブルに置いて言い出した。

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