(8)松原課長を愛でる会
沙織が上司の前で醜態を晒してから二日後。
昼時、丁度同じ時間帯に休憩に入る面々と待ち合わせ、社屋ビル近くのパスタ専門店に入った沙織は、注文を済ませるなり一昨日の出来事について追及を受ける羽目になった。
「聞いたわよ、沙織! あんた一昨日、せっかく松原課長が設定した慰労会でぐでんぐでんに酔っ払った挙げ句、松原課長に家まで送らせた上、お茶も飲ませずに門前払いしたんですって!?」
声高にそう迫られた沙織は、周囲の目を気にして由良に懇願しつつ弁解した。
「由良……、一体誰から聞いたのよ。それに声が大きい。ここ、うちの社員が結構利用する所なんだから。それに門前払いなんてしてないし。ちゃんと上がって貰ったわよ」
「それじゃあ、ちゃんとお茶を出したの?」
「……出してない」
視線を逸らしながら沙織が正直に白状すると、由良を含めた同席している三人が盛大に溜め息を吐いた。
「あんた最低だわ……」
「さすが、関本さん。こうでなくちゃ……」
「でもやっぱり松原課長って紳士よね? 夜に女の一人暮らしの部屋に上がり込んでも、何もしないで帰るなんて」
その場での最年長である木曽明里がしみじみとした口調で感想を述べると、由良と一期上の富岡玲奈が明るく笑いながら告げる。
「だって相手が沙織ですし。課長だけでなく誰にとっても“女”じゃないですよ」
「それよりもお茶も出さずに追い払われても、微塵も気にしない松原課長の懐の広さに、惚れ直しました」
「そうよね!」
そして友之の魅力について明るく語り出した三人を見て、沙織は心底感心したように感想を述べた。
「本当に皆さん、松原課長が大好きですよね。アタックしてないのに」
「だって松原課長ったら、『一応父親が社長だし、万が一その大切な社員と喧嘩別れしたらお互いに気まずいから、社内の人間とは付き合わないことにしている』と宣言して、入社以来社員で付き合った女性は皆無だもの」
「最初の頃はね……、それでも『最初から上手くいかなかった時の事を考えるなんて間違ってます! 私が松原さんの頑なな心を解いてみせるわ!』と言って突撃した猛者が何人もいたけど、全員あえなく撃沈したし……」
玲奈に続いて、友之とは一歳違わない明里がこれまでに討ち死にしたらしい友人知人の顔を思い浮かべたのか妙に黄昏ていると、由良がその台詞を引き継ぐ。
「かと言って、女っ気がないのかと言うとそうではなくて、時々女性との目撃談が社内に伝わっていますしね。あんたからも逐一、情報が来てるし」
「うん、美人ばかり。課長、審美眼もなかなかだわ」
注文品のランチパスタをフォークに絡め取っていた沙織が何気なく口にした台詞に、由良が反応した。
「……どうしてそこまで知ってるのよ?」
「皆さんが課長の情報を知りたがってるから、時々『今課長のお付き合いしている女性の顔が知りたいんですけど』と課長に聞くと、普通に彼女さんの写真を見せてくれるから」
そう言ってフォークに巻き付いたパスタを口の中に入れて、美味しそうに食べている沙織を見ながら、周りの者は盛大に溜め息を吐いた。
「聞く方も聞く方だけど、見せる方も見せる方ね」
「あんた本当に、女扱いされてないわ」
「当然でしょ? 男とか女とか以前に、松原課長にとっては『できる使える部下』を目指して頑張ってるんだから」
「ああ~、偉い偉い。頑張って~」
「誠意が籠もってない」
取って付けたような由良の口ぶりに、沙織がすかさず文句をつける。そんな二人の様子を見た明里と玲奈が、どことなく遠い目をしながら言い合った。
「松原課長の下に初めて女性社員が配属されると知った時、どんな女かと警戒したものだけど……。まさか、こんなフリーズドライ女だったとはね……」
「本当に。配属直後に実態を知って、一瞬でも本気で嫉妬した自分が馬鹿馬鹿しくなったわ」
「皆さん何気に失礼ですし、どうして『フリーズドライ女』が定着しているんですか」
入社一年目に現部署へ配属直後、友之の身近で勤務できるという事実に嫉妬した《松原課長を密かに愛でる会》会員フルメンバーに絡まれたものの、あっさり正面突破&論破&各個撃破を繰り返し、何故か妙に気に入られた挙句、妙な二つ名まで貰ってしまった沙織は、そこだけは納得しかねるという顔で尋ねた。しかし由良があっさり断言する。
「だって沙織は干物女って言うのとはまた違って、傍目にはちゃんと年相当の女に見えるのに、何故か女っぽくなくて、ジメジメネチネチしてないんだもの。本当に、存在自体が摩訶不思議」
「一応、褒め言葉として受け取っておくわ」
これ以上言っても無駄だと、沙織は再びパスタに意識を集中しようとした。しかしここで、明里と玲奈の力強い声が上がる。
「とにかく、松原課長が私達を恋愛対象に見てくれなくても、良い男ウォッチングは、働く女の心のビタミンなの!!」
「そうよ! 松原課長の邪魔にならず嫌な思いもさせず、遠くからその雄姿と活躍を見守る活動を、私達は止めないわよ!?」
「いつかはどこかで現実と妥協しなくちゃいけないんだからさ、それまでちょっと夢を見てても良いじゃない?」
最後に由良が苦笑いしながら締めくくったことで、沙織も色々諦めながら口を開いた。
「はぁ……、それでは皆さんがイキイキと働けるように、課長情報をこれからも流していきますので」
「宜しくね」
「それから松原課長に、余計な迷惑をかけるんじゃないわよ?」
「……肝に銘じておきます」
沙織が神妙に頷いたところで彼女の失態に関する話題は終わりになり、食べ終わって社屋ビルに戻るまで、四人は友之の話題で盛り上がったのだった。
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