(11)男所帯の弊害
月に一度設定されている営業二課の課内全体会議は、予め友之が想定していた議題通り問題なく進んでいたが、終盤に近くなったところで予想外の話が議題に上がった。
「次に、武野。相模精巧へのTー815RSの売り込みに関して、進捗状況を報告してくれ」
「はい、ご説明します」
「その前に、一言宜しいですか?」
「関本? それは構わないが、どうした」
同僚の声を遮りながら手を挙げて発言を求めた沙織に、友之は勿論、他の者も意外に思いながら彼女に目を向けた。彼女の事だから無関係で無駄な事は言わないだろうと判断し、友之が許可を与える。すると沙織は、落ち着き払ってある事を口にした。
「来週公表される予定ですが、三宅工業が相模精巧と資本提携する事になっています。それに伴って、二社の業務提携が加速すると思われます」
それを聞いた全員が、揃って顔色を変えた。
「三宅工業が!?」
「え? 資本提携? 合併じゃ無いんだよな?」
「ええ。双方の得意分野を活かしつつ手、販売網と製造品目ラインナップを拡充するつもりらしいですね。それで相模精巧はこれまで極小サイズのバネやネジを得意としてきましたが、今後は従来より一回り大きいサイズや、集積回路基盤用の部品製造も手がける可能性があるかと思われます」
「そうだな……。それで?」
動揺する周囲をよそに友之が冷静に話の続きを促すと、沙織は淡々と松原工業の取り扱い商品の名前を挙げつつ、提案した。
「相模精巧には予定通りTー815RSを売り込みつつ、Tー923WDの購入も先方に検討頂いてはどうでしょうか? 更に技術開発部に連絡して、先方の要求に応じて基本設定や使用部品の変更にすぐ対応できるかどうかも、確認しておいた方が良いかと思います。私からは以上です」
それを聞いた友之は、即座に判断を下す。
「そうだな……。武野、資料はすぐに揃えられるな?」
「大丈夫です。技術開発部の方にも、規格変更への対処ができるかどうかの確認も取っておきます」
「それでは、その方向で進めておいてくれ。取り敢えず現状の報告を頼む」
「はい」
それからは何事も無かったかのように会議は進み、全ての議題を終えて友之が会議の終了を告げた。
「それでは今回はこれで終了だ。皆、戻ってくれ」
「はい」
そして次々と席を立ち、隣接した営業部のフロアに戻りながら、佐々木が興奮気味に沙織に話しかけた。
「関本先輩、耳が早いですね。どこから例の資本提携の話を聞いたんですか?」
「あれは三日前に、世間話のついでに聞いたのよ。もうじき公表されるし、構わないからって。三宅工業の担当部署に、大学時代の元カレで現友人がいてね」
「関本先輩って、ジョニー以外に彼氏がいたんですか!?」
その台詞を聞いた課内のほぼ全員が、思わず足を止めて意外そうな顔を向けたが、思わず佐々木が叫んだ台詞を聞いて「あの馬鹿……」と溜め息を吐いた。そして同様に足を止めた沙織が、凄みを感じさせる笑顔を振り撒きながら佐々木に尋ねる。
「……佐々木君? そんなに顔、左右に伸ばされたい?」
「いえいえいえ、お断りします! だけど先輩は流石ですね! 俺は資本提携の話を聞いても、売り込む商品の変更までは考えられませんでしたし」
慌てて盛大に首を振った彼を見て沙織は失笑し、それ以上の叱責は止めて再び自分の席に向かって歩き出した。
「それはやっぱり、慣れみたいなものじゃない? 佐々木君も自然に、一つの情報から色々な事を導き出せるようになるわよ」
「でも先輩は俺なんかと違って、商品知識も技術特許関連の情報も頭の中に完全に叩き込んでいますし、やっぱり凄いですよ……。それなのにあの担当者、関本先輩の実力を知りもしないで、本当に失礼ですよね? どこをどう見たら先輩が、接待係にしか見えない」
「佐々木君」
「え? あ……」
さり気なく沙織が佐々木の台詞を遮ったが、時既に遅く、彼は周囲の同僚達から非難めいた視線を浴びていた。そしてゆっくりと最後に席を立った友之が、佐々木に向かって近付きながら声をかけてくる。
「何だ? 今何か、聞き捨てならないような台詞を聞いた気がするが?」
「あ、いえ……、別に大した事では……」
「佐々木?」
「……はい」
無言で額を押さえた沙織の横で、佐々木が上司の目の前で直立不動になる。そんな彼に向かって若干冷たい目を向けながら、友之が確認を入れた。
「現時点で君が関本に付いて回っている所は、桧原精機、アクレード、磁工テクニクスだと思っていたが。俺の記憶違いか?」
「いえ、間違っていません……」
「それは良かった。それで? どこで誰に何を言われた?」
「う……、え、ええと……」
そう言いながら迫力満点の薄笑いを見せた友之に、佐々木が完全に委縮したところで、沙織が話に割って入った。
「課長……、笑顔が怖いですから、あまり新人をビビらせないで下さい」
「それなら是非当事者から、事の次第を報告して貰いたいものだが?」
矛先が完全に自分に向いた事で、(これだから社内で公にはしたくなかったのに)と心の中で愚痴った。しかし後輩が不憫だった為、沙織は正直に少し前に起こったある出来事について報告した。
「アクレードで新しい担当の方に『我が社も随分甘く見られたものですね。最初から接待担当の方がいらっしゃるとは』とか、皮肉混じりに言われただけです。それで『本気で接待するなら、我が社はもっと綺麗どころを配置しております』と返しておきました。先方が私をご希望なら接待要員として繰り出しても、一向に構いませんが」
「ほう? それはそれは……」
「うわぁ、今時いるんだ、そんな時代錯誤親父」
「女が売り込むのは、化粧品だけだとでも思ってんのかよ」
友之を初めとして比較的若手の課員達は、呆れと苛立ちを含んだ呟きを口にしたが、課長である友之よりも年長のベテランの者達は、笑いを含んだ口調で沙織を宥めた。
「関本さん、それはちょっと止めておこうか」
「そうだな。君に任せたら、二時間か三時間ぶっ続けで商品説明をして、買うまで放さないと迫りそうだし」
「勿論そのつもりですが、何か問題でも?」
「仕事熱心なのは良いんだが」
「別の意味で顧客を無くしそうだ」
全く気にしていない彼女に彼らは失笑するしかなく、そんな微妙な空気の中、友之は佐々木に向き直った。
「佐々木、その時は挨拶だけだったよな?」
「はい、そうですが……」
「関本と本格的に商品についてのやり取りをした後なら、間違ってもそういう台詞は口にしない筈だ。だが万が一、相手の対応が変わらないようなら、こちらで判断するからすぐに報告するように」
「分かりました」
「課長、大袈裟ですから……」
大真面目に佐々木が頷き、沙織が少々げんなりして席に戻って行くと、年長者達が友之を囲みながらおかしそうに言い合う。
「やれやれ、忘れた頃にポツポツ出てきますね、この手の話は」
「うちのような所では確かに営業は男が殆どですが、女が出向いたからと言って色眼鏡で見なくても良いでしょうに」
「課長が来たばかりの頃に、社長の息子が乗り込んできたって、散々色眼鏡で見ていた俺達が口にする事では無いかもしれないがな」
「確かにそうだな。それで? 課長としてはどうなさるおつもりで?」
面白がっているようにしか聞こえない問いかけに、友之はあっさりと答えた。
「今後も態度が変わらないようなら、接待時は瀬尾さんと白木さんと桐生君に任せるだけです」
迷いなく名前を上げた面々が、如何にも体育会系という体格の良いむさい男ばかりだった為、その場にいた面々は揃って噴き出した。
「それは、先方が涙を流して喜びそうだ」
「確かに。それに関本はうちの若手のホープですから、くだらん事には関わらせたくは無いですね」
「全くだな」
(度し難い馬鹿は、どこにでもいるがな。男所帯の中で女が仕事をしていても、ちゃんと実績を出しているし構わないだろうが。まあ、関本もとっくに慣れているとは思うが)
口々に言い合いながら友之達も会議室を出て自分の席に向かったが、定期的に耳にする話題に頭が痛い思いだった。実際過去に「女はちゃんと仕事ができないから担当を変えてくれ」云々言われた時は、そんな所とは本気で取引を止めてやろうかと憤慨したものだったが、当の沙織が宥めて素直に担当を交代した為、友之は相手の力量を認められない馬鹿な担当者に、これ以上遭遇したくないものだと切実に願った。
「そうだ関本。さっきメールで知らせておいた、例の件については大丈夫そうか?」
沙織の机の横を通り過ぎながら、ふと思い出した事を口にした彼に、沙織は顔を上げて答えた。
「あ、はい。了解です。バタバタしていて、返信が遅れてすみません」
「いや、確認が取れれば良い。それじゃあ、宜しく頼む」
軽く頷いて友之が席に戻るのを見送りながら、隣の席の佐々木が、幾分心配そうに尋ねてくる。
「先輩、何の事ですか?」
何か忘れていた事があったかと不安そうな顔になった彼を、沙織は笑いながら宥めた。
「佐々木君には関係ないから大丈夫。ちょっと個別に、課長からリサーチを頼まれた事があってね。それについての連絡よ」
さり気なく仕事関連だと大嘘をつきながら、沙織は密かに心の中で呻いた。
(本当はものすごく個人的な、母親への誕生日プレゼント選びに駆り出されて、その待ち合わせ時間の連絡だったんだけど! こんな事迂闊に口に出したら何事かと思われるし、外部に漏れたら《愛でる会》フルメンバーにまた吊るし上げを食らうわよ。本当に勘弁して……。やっぱり色々面倒くさそうだから、友人付き合いも止めようかな……)
ほんの二日前の出来事を、心底後悔しかけた沙織だったが、ここで佐々木が感心した風情で失言を放つ。
「ああ、そうだったんですか。やっぱり先輩は飲み潰れるとグダグダですけど、勤務時間中は仕事ができるし頼もしいですよね」
本人としては褒め言葉のつもりだったのだが、それは沙織のイラツボを的確に突いた。
「佐々木君、一言多いから。それよりもさっき頼んだデータの集計、まだ終わって無いわよね?」
「はっ、はいっ! 今日中に終わらせます!」
「宜しく」
周囲で笑いを堪える気配を察したものの、沙織は意図的にそれを無視し、それから通常業務に没頭していった。
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