(6)ふとした疑問

「なぁ~ん」

「ジョニー様、お久しぶりですぅぅっ!! さあさあ、ずずいっとお入りになってくださいませ! 今すぐに、お食事を準備いたします! 少々お待ちください!」

 とんでもなくハイテンションな沙織とは対照的に、その細身の猫はゆったりとした動作で室内に足を踏み入れた。どうやらここに来る時は定位置になっているらしい、すこしへたり気味のクッションに、その猫が落ち着く。彼がそこに座り込むのを確認した沙織は、再びキッチンにすっ飛んで行った。それを見送った友之は、思わず珍客である彼に声をかける。


「……凄い歓待ぶりだな。いつもこうなのか?」

「にゅあ~~ん」

 ちょっと困り顔っぽく鳴き返された友之は、思わず一人で笑ってしまった。そこで深皿に何かを入れて戻って来た沙織が、その皿を猫に向かって差し出す。


「さあ、ジョニー様! 今日は豪勢に、人工添加物不使用の高級マグロ缶です! どうぞ!」

「なうっ!」

 皿の中身を凝視したジョニーは一声短く叫ぶと、満足そうに食べ始めた。一心不乱に食べ続けるジョニーを、沙織は満面の笑みで見守っていた。と思いきや、いつの間にかどこからか真新しいブラシを持って来て、彼に声をかける。


「ご満足いただけましたか、ジョニー様」

「にゃ~ん」

「それではお食事がお済みになりましたら、是非とも毛繕いをさせてくださいませ! 新品のこのブラシを、是非お試しいただきたく」

「うにゃっ!」

「ご了解頂き、ありがとうございますっ!!」

 その如何にも「やらせてやるぞ」的な、背筋をピンと伸ばしての上から目線的な掛け声に、沙織は畏まってブラシを手にしたまま平伏した。先程から彼女達の一部始終を動画で撮影していた友之は、必死に笑いを堪る。 


「面白過ぎるが……、時間も時間だし、そろそろ帰るか」

 普段の職場での彼女とは別人かと疑いそうな有様を見せられ、このままもう少し観察していたかったのは山々だったが、友之は翌日の事も考えて撮影に使っていたスマホをしまい込んで腰を上げた。


「関本、それじゃあ俺は帰るから。茶はもう良いぞ」

「あ、すみません! おかまいもしませんで!」

 漸くジョニーから自分に視線を向けて立ち上がった沙織に、友之は苦笑しかできなかった。


「……うん、実に清々しい笑顔だな。何もコメントできない」

「夜道ですからお気をつけて!」

「ああ、また明日」

 そして玄関まで見送りに出た沙織に挨拶して歩き出した友之だったが、すぐに笑いが込み上げてくる。


(しかし……、いつもとは凄いギャップだったな。これで当面、笑えそうだ)

 エレベーターホールで箱が上がって来るのを待つ間、友之はスマホを取り出して先程撮ったばかりのデータを呼び出そうとした。しかし丁度目の前の扉が開き、その動きを止める。その階で一人の年配の男性が降りて来たが、もう一人男性が乗り込んでいて再び扉が閉まって上昇を始めたため、友之が再びスマホを操作し始めた。


(隣は夜間は止まっているのか。階段を探すのも面倒だし、このまま待つか)

 今上がって行ったエレベーターが下りてくるのを待っていた友之は、少し前にこの階で下りた男性について考え込んだ。


(そう言えばさっきの男性、どこかで顔を見た記憶があったような……)

 思わず振り返り、数歩歩いて左右に延びる廊下を見渡せる位置まで移動した友之だったが、彼はそこで困惑した。


「おかしいな……、割とすぐに廊下を見たから、まだ歩いていると思ったが」

 どちらの方向にも歩いている男性の姿は皆無であり、既にどこかの部屋に入ったのかと思われた。しかし足音が遠ざかった方向と時間的に、この場所から至近距離の沙織の部屋に入ったようにしか思えず、友之の疑問が深まる。


「関本の部屋に入ったのなら、話は分かるが……。彼女の実家は名古屋だし、一人暮らしだよな? 俺の気のせいで、他の部屋に入ったんだな」

 考え込んでしまったものの、わざわざ引き返して彼女に尋ねる程でもなく、更にエレバーターが下りてきて扉が開いたことで、友之はすっきりしない気分のままそれに乗り込んだ。







「きゃあぁぁ~っ、やっぱりジョニー様の毛並みは違うわぁ~。とても野良猫とは思えない、この艶やかな毛並み! でも首輪もしてないし、本当に謎が多いイケ猫様ですよね~」

 沙織が上機嫌でジョニーのブラッシングをしていると、その背後から友之が目撃した人物が彼女に声をかけた。


「え、えーと、沙織、こんばんは……」

 その声に振り返った沙織は、不思議そうに言葉を返す。


「あれ? 和洋さん。今日来るって言ってたっけ?」

「言ってなかったけど明後日から出張だから、その前に沙織の顔を見ておきたいなと思って」

「ああ、そう。別に構わないですけどね、和洋さんはここの家主だし。適当にお風呂に入って寝て下さいね。遅いから、私もジョニーのブラッシングが終わったら、もう寝るから」

「え、でもちょっと話を」

「もうすぐ十一時になるのよ」

「分かりました……。お風呂を入れてきます」

 ぴしゃりと仕事の時と同様の冷徹さで沙織に言い切られた彼は、すごすごとリビングを出て行った。すると大きく伸びをしたジョニーが、一声満足げに鳴く。


「うな~ぅ」

「あ、ジョニー様、お帰りになるんですか?」

 スタスタと窓に向かって歩き出した彼の先回りをして、沙織が窓を開ける。


「にゃうっ!」

「またのお越しを、お待ちしております!」

 ベランダからその手すりに飛び上がり、更に少し離れた場所に立っている大木の枝に飛び移った彼を沙織は満面の笑みで見送ってから、何事もなかったかのように元通り窓を閉めて寝る支度を始めた。

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