第4話

 死神さんと行き遭ったその後、家にたどり着いたボクは何をするでもなく淡々といつも通りに過ごした。


 そこで母親の反応を見て分かったことだが、死神さんの姿はボク以外の人間には見えないし、その声も聞こえないということだ。第三者がいる時に彼女に話しかけるのは控えるべきだと学んだ。


 夜になり、自分の部屋に入って布団をかぶったら、死神さんと行き遭ったことによる多少の疲れがあったのか、ボクはあっという間に眠りの中へと引きこまれた。


 朝。


 カーテンから漏れる朝日をまぶた越しに感じうっすらと目を開けたとき、死神さんのビスクドールのような小さい顔が眼前にあって目を剥いた。


「おはようございます、貴方様」


 朝っぱらから絶世の美少女に目前で微笑まれるというのは中々に心臓に悪いものだ。それでも、少し心の中で驚いたくらいで、表情まで動くことはなかった。


「おはよう、死神さん」


 起き上がり、黙々と学校へ行く準備を始める。彼女はそんなボクの様子を、またあの珍妙な生き物を見るかのような瞳で見ていた。


「貴方様。もしかして、学校に行かれるのですか?」

「うん。それがどうかしたの?」

「もうすぐ死ぬと分かっていても?」

「うん。学校に行くのは、そんなにいけないこと?」


 彼女は思案するように眉根を寄せた。


「いえ。貴方様が普段通りに過ごしたいというのであれば、それで良いのですが……」


 言葉とは裏腹に、彼女は少し納得がいっていないというような、どことなくしょんぼりした顔つきをしていた。


 別に、もうすぐ死ぬと決まったからといって特別にやりたいことや行きたいところが降って湧いたように出てくるわけでもない。

 やっぱり、普段通りに過ごすまでだ。


 支度を終えて外に出ると、今日は突き抜けるように青い空の良い天気だった。眩しくて、思わず目を細めてしまう。


 死神さんも、絵に描いたような晴天の空を見上げて小さく歓声をあげていた。それから、花が咲いたように、その唇が微かにほころんでゆく。やがて、あどけない子供のような笑顔を浮かべて、彼女はボクの方に振り向いた。


「良い天気ですね」

「そうだね」


 青空一つで、まるで宝物を見つけたように目を輝かせている死神さんが、不思議でたまらなかった。

 ボクは首を傾げる。


「どうして、そんなに楽しそうなの?」

「澄みきった空が綺麗だから、という理由ではいけませんか?」


 晴れた日のこの世界の空は、天界に広がる空よりも濃い青色をしているのだと、彼女は嬉しそうに語った。


 ややもして、徐々に死神さんの綺麗な弧を描いた眉尻が下がっていく。


「私は出来損ないの死神なので、頻繁にこの世界に来られるわけではないのです。だから……この世界に来るのは、とても久しぶりです」


 死神は、人間に憑りついている一週間の間だけ、この世界に滞在することができる。そして、次に仕事が与えられるかどうかも、やはり契約数にかかっているのだという。


 彼女はきゅっと唇を引き結んだ後、空をもう一度見上げる。象牙の頬がほんのりと薔薇色に染まってゆき、目は冬空の星のように輝いていく。随分と表情豊かな死神だ。


 それから、ボクらの目の前を黄色い蝶が横切ったかと思うと、今度はその好奇に満ちた視線がひらひらと飛んでいる蝶へと釘付けになる。


 死神さんのペースにあわせていたら、いくらかかっても学校にたどり着かない。

 ボクは、彼女を置いていくことにした。

 しばらく経ってようやく置いていかれたことに気づいた彼女がハッとし、慌ててボクを追いかけてくる。ボクに追い付いてきた死神さんは雪の頬にほんのりと紅い花を散らしながら、きまり悪そうにしていた。


「……失敬。つい、興奮してしまいました」

「君のような心を持って生まれてきたら、世界はもっと色鮮やかに見えるのかな」


 死神さんが、きょとんとした顔をして、ボクを見つめた。


 ボクには灰色にしか見えないこの世界ももしかすると、彼女の目を通してみたら全然違うものに見えるのかもしれない。


 そんな、らしくもないことを考えている自分に気づいて、少しだけきまりわるくなる。うつむき気味になったボクに対して、彼女は微笑んだ。


「死神である私なんかよりも、貴方様の方がずっと、この世界が生み出す奇跡を感じられるのですよ?」

「ボク、なんかが?」

「ええ。私たち死神に与えられている感覚は、視覚と聴覚だけです。この世界をどんなに美しいと思ったところで、匂いを嗅ぐことも、触れることすらも叶わないのです」


 死神さんが淋しそうに笑ったのを見て、少しだけ息がつまるようだった。

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