皮肉
規村規子
プロローグ
たいした特技はないけれど、昔からなんとなく分かってしまうものはいくつかある。
たとえば、雪が降る前触れ。
何かが〝死んでいる〟。
ひゅうひゅうと息苦しそうに鳴る風が、執拗に耳を刺してくる。寒すぎて、身体のあちこちが麻痺しているみたいだ。空気が凍ったように冷たくて、ひどく静かな夜。飛行機がたくさん落ちてきても、ここからじゃわからない。それくらい遠い場所に、ひとりぼっちでいるみたいな。
一日中暖かい部屋にいて、夫の帰りを待つ主婦。親の金で生活している大学生。気の済むまで遊んでいられる子供。当然のように餌をもらえるペット。
当然のように、当然のように。
そんな、軽蔑にも似たどす黒い感情が、立ち並ぶ家の灯りを横切るたびに、嫌でもまとわりついてくる。
それでも繁華街に出れば、少しは気が紛れた。
小銭も持っていなさそうな、くたびれたサラリーマン。客じゃないと相手にもされない、千鳥足の醜い中年男。一生男ができなさそうな、かろうじて目と鼻と口がついているだけの地味な女。
クラクションの音、アナウンスの声、人々のざわめき。たくさんの音が、光が、そこらじゅうを血のようにめぐっている。
〝生きている〟。
どこかほっとする。ここでは誰にも拒まれない。
「――最近さぁ、あいつ全然見なくね?」
「そういえば、なんかいつの間にか消えたよね」
「もうさー、マジでショックでかいんですけど」
「あー、あんためっちゃ好きだったもんねー」
「いやいや、めっちゃどころじゃないから。ファンクラブ入ろうか迷ったくらいだから」
「入ってねーのかよ!」
前を歩いている女子高生たちの、頭の悪そうな声が聞こえてきた。見せびらかすためにはいている、極端に短いスカートが揺れている。
強気で、傲慢で。群れなければ、なにひとつできないくせに。
『さぁここで! 約二年ぶりとなる、ニューシングルの登場です!』
巨大なスクリーンから聞こえてきた声に、女子高生のひとりが急に立ち止まった。その背中にもう少しでぶつかりそうになって、慌てて立ち止まる。
舌打ちを隠さずに追い越そうとした、そのときだった。
「! ちょ、ちょっと、テレビ見てテレビ!」
「は? テレビって。なにそれ、ウケんだけど」
「いいから、画面! ほら!」
「え……あー! うそ、生きてた!」
女子高生たちは互いの腕を引っ張り合いながらきゃあきゃあとはしゃぎ、次々とスマートフォンでスクリーンを撮影し始めた。
「はー。久しぶりに見たけど、ほんっとイイ声だわ」
「でしょでしょ、やっぱこの声だよねー」
「……ちょっ、見てよ。マジやばいって」
「うわ、めっちゃ拡散されてんじゃん」
耳障りな甲高い声が、だんだん遠ざかっていく。
そしてどこからか、心地のいいギターの音色が聞こえてきた。きっとストリートミュージシャンだろう。力強くてやわらかい。独特で、もう少し磨けば売れそうな声。
目の前の巨大なスクリーンの歌声と、路上で舞っている歌声のゆくえを、ぼんやりと追いかけていた。
俺は、ここから一歩も動けない。
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