3rd sense 3
「あれを見て下さい」
如月は立ち止まり、向かいの高いビルを指差した。
夕陽に照らされ、血のように真っ赤に染まったビルの屋上には、人影が見える。
ブレザーに短いスカート。
どうやら女子高生のようだ。
屋上のフェンスを乗り越えたその女子高生は、ビルの端につま先で立った。
あっ!!
声を上げるヒマもなかった。
鳥のように両手を広げた彼女は、ビルから浮かび上がった。
だけど、そのからだは真っ逆さまに地上へと落ちていく。
固いコンクリートの地面にぶつかったそのからだは、グシャリと潰れ、頭からは鮮血が飛び散った。
<きゃ~~~っ!!>
思わず両手で顔を覆い、目をつぶる。
どうして如月は、彼女があそこから飛び降りるのを知ってて、平然と眺めていられるんだろ?!
「酒井さん。ちゃんと見ていて下さい」
震える声で、如月は言う。
おずおずと、あたしは視線をそちらへ向け直し、意外な光景に目を疑った。
<???>
死んだと思ったその女子高生が、ムックリと起き上がったのだ。
<え? どうして、、、>
「とっくの昔に、彼女は死んでいるのです」
<え? でも、、、>
「…ほら」
そう言いながら、如月はビルの方を見る。
女子高生はフラフラした足取りで、ビルのなかに消えていった。
が、しばらくすると、また屋上に姿を現した。
そうして再びフェンスを乗り越えると、彼女はまた地上へ身を投げた。
「…彼女は昨年、あのビルから飛び降りて亡くなっているのです。
ニュースにもなりましたけど、聞いたことありませんか?
<、、そういえば>
そのニュースは覚えがある。
いじめが原因で、隣町の学校の女子高生が飛び降り自殺したって。
じゃあ、あの子が、、、
「あの人は永遠に、あのビルから飛び降りることを繰り返すんです」
悲しそうに、彼女は言った。
<どうして? もう死んでるのに?!>
「もちろん、最初に飛び降りたときに、あの人は死んでしまいました。
だけど、『死にたい』『死ななきゃ』という強い気持ちだけがこの世に残り、もう死んでいるにもかかわらず、何度も自死を繰り返しているのです」
<そんな、ひどい、、、>
「残存念思…」
<残存念思?>
「この世に残した執着です。それがある限り、魂はこの世とあの世の境で苦しむことになる」
<…>
「あの女子高生だけではないです。街中あちこちに、こうやって死にきれない… 自分が死んだことをわかっていない霊たちが、
彼女は大通りの方を指差した。
その先にいたのは、妙に影の薄いおじさんで、クルマ通りの多い道の真ん中を、フラフラと歩いている。
通りがかったトラックが、そのおじさんを巻き込んだ。
なにごともなく行き過ぎたトラックのあとには、ボロ雑巾のように道に転がるおじさんがいた。
だけどおじさんはしばらくすると起き上がり、また別のトラックに近づいていっては、その車輪の下に消えていく。
よく見ると、他にもそういう影の薄い人は、あちこちにいた。
ぼうっとした人の形をした黒い霧だけの霊もいたけど、はっきり人間だとわかる霊もいる。昔っぽい着物を着た霊は、ずいぶん前に死んだんだろうか。古い霊は着物も顔も、ボロボロに崩れかけてるものが多かった。
そうかと思えば、ふつうの人間と変わらないカッコの霊もいる。
それでも霊だとわかるのは、ふつうとは違う異形のオーラを放っていたからだ。
<あ、あの幽霊たちって、ただああやってウロついてるだけなの? 人に悪さしたりとか、祟ったりとかしないの?>
なんだか怖い。
身近な自分の街にも、こんなにたくさんの霊がうろついてたなんて。
背筋が凍りそう。
他の霊をじっと見つめ、如月摩耶は淡々と答えた。
「ほとんどの霊は、人に対しては無害です。なにも悪いことはしません。ただ…」
<ただ?>
「なかには、この世に対して強い悪意や恨みを持った霊もいます。そういう霊は場合によっては実体化し、人間に害をなすこともあります」
<実体化? そんなことできるの?>
「『魔の交差点』と呼ばれる学校の近くの大きな交差点を、酒井さんは知っていますか?」
<ええ。知ってるけど>
「そこに
<あっ。そのおっさんなら見た! 通行人を車道に突き飛ばしてた!>
「あの霊は、昔あそこで、同じように突き飛ばされて、殺された人なのです」
<ほんとに?!>
「ええ。それを呪って、今は怨念の塊となって、復讐しているのです。だれ見境いなく」
<、、、>
「生前の思いや執着が強いほど、魂は来世に行けなくなる。
現世と来世の狭間に取り残されたまま、彷徨い続けて醜く朽ち果て、やがてこの世の人間に害をなす、怨霊になってしまうことさえあるのです」
<、、、>
「わたしはあなたが来世に行ける、お手伝いをしたい」
<え?>
「酒井さんの残存念思。
その強い思い… わたしにはわかりました」
<ええっ?>
「あなたは浅井航平さんのことが、好きなのですね」
<ち、ちょっ、、、>
突然すぎて、慌てた!
あまりにも図星なんで。
<そっ、そんな、ストレートに言わないでよっ。びっくりするじゃない! なっ、なんでわかったのよっ?!>
「あなたがずっと、浅井さんのうしろをついて回っているから…」
<えっ? あたしって、そんなバレバレなことしてたっけ?>
「していました」
<あ、はははは、、、 照れるな~、もう!>
穴があったら入りたい。
気持ちを言い当てられるだけじゃなく、行動まで全部見られてたなんて。
「浅井さんへの執着が消えたとき、酒井さんはあの世へと昇華されていけると思うのです」
<執着が、消えるって、、、 航平くんへの気持ちを諦めなきゃいけないってこと? イヤよ! そんなの。絶対イヤ!>
「そうとは限らないと思います。酒井さんの執着はただの恋ではなく、もっと具体的ななにかだと、感じるんです」
「具体的、、、 確かに、そうかもしれない」
「それで… 酒井さんの望みはなんなのですか?」
<あたしの望み>
「浅井さんとの恋が、叶うことですか?」
<叶う、、、>
、、、そう。
思い出した。
あたしの恋はもう、叶ったんだった。
航平くんはあたしのこと、好きだった。
あたしと同じくらい、航平くんはあたしを想ってくれてた。
航平くんの家に行ったとき、あたしは確かにそれを感じたんだった。
すっごく嬉しい。
こんなに嬉しいことって、ない。
だけど、どんなにふたりが両想いになったとしても、あたしと航平くんは触れ合うことも、話しをすることもできない。
もう航平くんは、あたしの気持ちを知ることはない。
あたしがどんなに航平くんが好きだったかを。
中学3年のときから2年間。
ずっと航平くんが好きで好きで、便せん5枚もラブレター書いたんだ。
あたしの望み。
それは、、、
航平くんにこの気持ちを、伝えることなんだ!!
<如月さん! あなたのこと信じれる?!>
急き込みながら、あたしは如月摩耶の手を掴んで訊いた。
<親友の萌香もミクも、もうあたしのことわかってくれないし、今のあたしにはあなたしか頼れる人はいないのよ。力になってくれる?!>
「…もちろんです」
期待に応えるかのように、如月はあたしの手をぎゅっと握り返した。
もちろんあたしたちは触れ合うことはできない。
だけど、彼女の気持ちが直接、あたしの魂に触れてきたのだ。
<じゃあ聞いてくれる? 如月さんにお願いしたいことがあるの>
「なんでしょう?」
<その、、、ラ、ラ、ラブ、、、レ、ターを、、、>
「ラブレター?」
<そう、それ。それを渡してほしいんだけど、、、 航平くんに>
「酒井さんのラブレターを、浅井さんに渡せばいいのですね」
<もうっ。あんまりはっきり言うと照れるじゃない! まあ、そういうこと>
「わかりました。そのお手紙はどこに?」
<あたしの内ポケットのなか、、、>
そう言いながらあたしは胸の内ポケットに手を入れた。
、、、ない!
ポケットに入れてるはずのラブレターがない!
<あれぇ、、 ここにあるはずなのに、、、>
うろたえるあたしを見て、如月はハッと気づく。
「多分、事故当時、酒井さんが着ていた制服に、入っているのだと思いますよ」
<、、、そっか。あたし今は幽霊だし、今着てるこの制服も実体がないのか。ほんとの制服は家にあるってことね>
「…では、酒井さんのおうちに伺っていいですか? お手紙を取りに」
<そうだね! じゃあついてきて、あたしん
そう言って彼女の前に立ち、あたしは歩きはじめた。
よかった。
なんか、希望が見えてきた。
ちゃんと足があったとしたら、今のあたしの足取りは、軽やかなステップを踏んでたに違いない。
つづく
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