第3章 第6話 反省ワンコを目いっぱい撫でる

「あぅ、わぅ、わふ――」気持ちの良さそうに撫でられる様は紛うことなく犬。「えへへ――って、違う。あ、兄様、兄様? あ~に~さ~ま~?」


「ちっとも成長しちゃいねぇな」成長してこの様だと困る。と、思ったが、そもそも二十歳超えてこれ。と、いうのがヤバい。「お前さんは4分の1人前なんだ、まだまだここでシゴかれなくちゃですぜぃ」


「えぅ、で、でも偉く――」

「ワンコに質問だ」

「えぅ? は、はい」

「お前さんは偉くなって何をしたかった?」

「え? それは、ここのみんなの負担を減らすためと兄様が正社員になれるようにだよ」


「うんうん、あんがとな」何で今さらそんなこと聞くの。と、でも言いたそうなほど一切揺るがないクリクリと大きな目を向けるワンコ。兎はそんなワンコの頭をまた撫で、質問を続ける。「それで? 今日お前さんは何しに来た?」


「ここを潰すためだよ!」可愛い動物のスタンプに囲まれ、キリっとひらがなで擬音が入るような勝気な表情のワンコ。自分が何を言っているのかわかっていないのだろう。「それで工場長をここの工場長じゃなくすの。そうしたら、ウチの方が偉いって『言ってた』し、お茶汲みして『くれる』ってさぁ」


 ん?


「ん~?」ワンコの言葉に何か違和感が――兎もそうなのか、首を傾げるが、笑みを浮かべ、ワンコの話に相槌を打つ。「そうかそうか、それで――あっしらはどうなるんだ?」


「ここを解体するんだもん! そりゃあもうクビだよぉ」

「……うんうん」やはり苦笑い。最早、兎はワンコの保護者モードに入っていた。「もう一回最初から行くぞ。何のために偉くなるんだったか? 教えてくれないですかい?」


「もう! 兄様ボケちゃったぁ?」兎もワンコにだけは言われたくないだろう。「ここのみんなのために作業環境を良くするためと兄様の正社員……わふ?」


 ワンコはやっと違和感を覚えたのか、意味は知らないが両指で親指から順番に指折りをし始める。そして、思案顔が段々と青ざめていく。


「……今日ここに何しに来たんだったか?」

「………………」大粒の涙をポロポロと溢し、濡れたチワワのようにプルプルと震え始めた。「あ、あれぇ? あ、う――え~?」


「え~。は、こっちのセリフですぜぃ」

 ワンコはすぐに我に返ったようにハッとなり、突然駆け出す。そして、先ほどバーサーカーモードで戦闘をしていた昔からいる作業員の元に辿り着いたワンコは、作業員が倒れているにも関わらずその両手を握り、ブンブンとコンクリートの床に叩きつけながら「ごめんねぇ!」と、謝っていた。謝る気0ではなかろうか?


 一しきり謝ったワンコは「わ~ん」と、声を上げて泣きながら兎の元へダッシュ――そして、兎の胸に飛び込むと頭をグリグリと動かし、何度も謝罪の言葉を投げた。


「あいたたたたた――」傷だらけの兎。突進からの傷口を抉るように動くワンコの攻撃は堪えるだろう。そんな兎を見かねてか、志稲がヒョいとワンコの襟を掴み、猫のように持ち上げた。「あ、ありがとですぜぃ」


「わふぅあっ! ほ、保健所はヤぁ」志稲の顔を見た第一声である。

「……さっき慣れたって言ってません、でした?」

「……? うん、もう慣れた!」元気いっぱいはなまる満点笑顔で、ワンコは志稲の頬をツンツン突く。「朔良ちゃん? 志稲ちゃん?」


「……」ため息を吐き、ワンコを床に下ろす志稲。およそ、マイペース過ぎるワンコに呆れたのだろう。「……どちらでも――それより、話は纏まりました、か?」


「ん? ああ、あっしは纏めたつもりですぜぃ? やっぱワンコは本社に置いとけねぇですぜぃ」

「それには、同意、です。目を離すと、何をするかわかりません、し」


「だな。うんじゃあ決まり――って、どうしたんですかい? ワンコ」志稲と兎がワンコについて話していると、どこかワンコの表情が暗い。

「……う~」

「ん? どっか痛いか?」首を振るワンコに顔を見合わせる兎と志稲。


「あ、あのね」

「どした?」

「……ウチ、みんなに酷いことしたよね……それで、ここに戻って来い。なんて」それはもっともである。何せ、ワンコはここを潰そうとしたのである。理由はどうあれ、それは変わらない。兎や志稲が良くてもここの作業員全てがそれを許すとは思えない。それだけのことをワンコはしたのである。どれだけ可愛く泣いても許されないだろう。「……みん、な、に、ひどいこと、し――わふ、して、今さら、戻って、も……みんな、嫌がる、と……思う、し――ぅぇ。だか、ら――」


 しかし、ポチポチと起き上がっていた作業員や志稲、兎は驚愕したような表情を浮かべていた。


 きっと、ワンコが拒否するとは思っていなかったのだろう――。

「ワンコが他人を顧みたぞぉ!」違ったようである。そのレベルの話なのか……大喝采の拍手と大歓声――。「おぉ! ワンコぉ、偉くなったんですぜぃ」


「……驚い、た。本社での、2年間、無駄じゃ、なかったみたい、ですね」

『ワンコおめぇ、何か変なもん食ったんじゃねぇか?』


「も、もう! みんなひどい! ヒナちゃんも兄様まで……」ぷくぷくと綿菓子のように柔らかく膨らんだワンコはプイとそっぽを向く。拗ねたのである。


 そんなワンコに夜恵が近づく。


「え~っと、私はワンコさん良く知らないからあれだけど、志稲もう~ちゃんも喧しい鶏も、わりとひどい褒め方してるからね?」夜恵はワンコの頭を「よ~し、よ~し」と、撫でた後、頬をプニプニ転がした。「わ、柔らかい――っと、そうだった。こんにちは、さっきはどうも」


「……わふ? あ、食堂のお姉さん」

「あ~……私、食堂の人じゃないよ? それと同い年だからね」

『そうだぜワンコ、どちらかというと食材だぜ』

「牛じゃないって何度言えばわかるのよ。それに、あんただって同じでしょ」


 ヒヨコが勝手に成長させるな。などと夜恵と言い合っているが、そうしている内にワンコは何度も夜恵の胸に顔を埋める。そして、その度に首を傾げては夜恵の顔を覗き見る。


「――んぅ。えっと、どうしたの?」

「……ここの工場で働いてるの?」

「うん、そうよ」

「ウソだよぉ、だって兄様が、この工場にまともな女の人は来ないって言ってたもん。お姉さんは絶対優しいからあり得ないよぉ」ワンコは夜恵の胸に目をやる。「同い年もウソだよぉ。だってこんな胸が大きかったら大人だもん。兄様が言っ

てたもん、志稲ちゃんと工場長は胸も小さいから心も小さい、すぐに暴力で解決するクソガキ――むぐぐ」


 咄嗟にワンコの口を塞ぐ兎だが、志稲の顔が、モザイクをかけなければならないほど般若化しており、最早逃げ道はないだろう。


「……何故余計なことまで思い出してるんですかぃ。さっきまで若のこと忘れてたじゃねぇですかぃ」


「アハハ……」夜恵は苦笑し、兎が志稲にアームロックを極められる様を見ていた。そして、ワンコを連れてパレットに腰を掛けると、そのままワンコを膝に乗せた。ちなみにワンコの身長は140である。「え~っと、ワンちゃん? で、良いのかな?」


「うん! 犬井 幸獅だよぉ。お姉さんは?」

「美月 夜恵よ。それと本当に同い年だから」夜恵はワンコの撫で心地が良かったのか、撫でたまま、ワンコに話しかける。「ワンちゃんは、ここで一緒にお仕事したくない?」


「わふ? えっと……」首を振るワンコ。「そんなこと……兄様は好きだし、ヒナちゃん五月蠅いけれど優しいし、他のみんなも飴くれるから好きだし、お父さんも気にかけてくれるし……工場長は兄様正社員にしてくれないから、ヤ」


「そっかそっか――じゃあ、良いんじゃないかな?」

「わぅ、でも――」


「嫌って言う人がいたら、許してもらえるまで謝ろう? ワンちゃんのことイジメる人がいたら話し合おう? 私もついて行くからさ」呆けた表情で見上げてくるワンコの頬に指を這わせ、夜恵は息を吐く。「私のこと大人って言ってくれたけれど、結構子どもよ? 嫌いな人は嫌いって言うし、好きな人のためならおせっかいって言われようが構いまくるし、楽しいことが好きだし」


「わぅ……同い年ぃ」

「ねぇう~ちゃん」関節技を極められ、叫んでいる兎に、夜恵は尋ねる。「う~ちゃんはワンちゃんの面倒見るんだよね?」

「あだだだだだ――って、え? あ、ああ」夜恵に話しかけられたことで、志稲は兎を解いてやった。「当然ですぜぃ。親父と頭、それに今日迷惑かけた連中に頭を下げて回るんですぜぃ」


「だってさ」夜恵はワンコの顔を真上から覗く。「ワンちゃん気にし過ぎだよ。う~ちゃんがなんとかしてくれるって言ってるし、この工場で働こうよ」

「そうそう、何かあっても、あっしが何とかするですぜぃ」作業終了のチャイムが鳴り、兎はポケットから煙草を取り出すと、ワンコの頭を一撫でし、喫煙所に足を向行ける。「と、いうわけさね。謝って回んのは後にして、とりあえず休憩――」


「なに煙草吸ってんのよぉ!」突然聞こえる声とそれと同時にパンっ。と、乾いた音。そして、床に倒れる兎――乙愛がひょっこり顔を出す。「煙草は喫煙所だけよ」


「……ただ咥えてるだけですぜぃ。今から喫煙所に……」

「うわぁぁぁぁ! 出たぁ」ワンコがまるで妖怪と出会ったとでもいうような驚き方で、乙愛を半目で睨む。「出たな化け物ぉ」


「あんた相変わらず思ったこと口にする子ね」乙愛はワンコの顔をわしわしと手で転がし、ムフフ。と、笑みをこぼす。「プニップニねぇ。ここにいるってことはあたしに玩具にされに来たのよね? そうよね? そうに違いないわ! 夜恵ちゃんをモミモミすんのも良いけれど、やっぱ可哀そうだからあんたを揉む!」


「わぁぁぁぁぁぁ!」

「……工場長ちゃんとワンちゃん、仲良いんだ?」はたから見たら、可愛い女の子2人が少し過激に戯れているようにしか見えない不思議である。


「いんや、親父は一方的にワンコを弄り回すのが好きなだけですぜぃ」

「そうよ――っと、そうだわ。あんたら、作業が進んでいるようには見えないけれど――」


「わふっ、そ、それは――」乙愛の問いに、頬をプニプニされているワンコが手を上げる。「う、ウチが……その」


「でしょうね。そこらでぶっ倒れてんのに見覚えあるもの――まっ、思った通りだけれどね」ウインクをワンコに投げ、これは予想通りだと乙愛は言う。「だから今日、あたしたちは本社に行ってたわけだからね」


「お? 親父、本社に行ってたんですかぃ――って、なんか傷が所々に……」

 兎の言う通り、乙愛の肌には所々すり傷や切り傷が見えていた。

「ちょっとねぇ――さてワンコ、隠す必要もないから言っちゃうわね」乙愛は笑みを浮かべたまま、特に大事を告げるわけでもないような雰囲気で、口を開く。「あんた本社クビになったから、明日から来なくて良いそうよ」


 そんなヘラヘラした顔で言って良い内容ではないと思う。

「う~――」瞳にでっかい涙の滴。ワンコは顔を赤くし、泣きそうになっていた。


「お、おぅふ……お、親父、なんとかならないですかい?」


「ならないわよ。というか――」乙愛はワンコの顔と自分の顔を合わせ、ジッと目を見つめる。「本社はもう行かなくて良いけれど、ここに来ちゃ駄目ってことはないわよ? 親父――専務にもあんたのことよろしくされたし、あんたがよければ――だけれどね」


「あぅ、わふぅ? 良いの?」

「この工場は年中人手不足よ。今日、何があったかは知らないけれど、たまには良い運動になったんじゃない?」あれを良い運動の一言で片づける乙愛はやはり豪傑――工場で、しかも見た目幼女に使う言葉ではないが……。「さ、そうと決まったらさっさと片付けちゃいなさいな」


「わ、わん!」いの一番にワンコは駆け出し、元部下の連中を優しく起こしては事情を説明したり、後処理を手伝ったり、甲斐甲斐しく働き始めた。


「わ~……工場長ちゃん、すご~い」

「まっ、長くこんなところにいれば、こんなの日常茶飯事よ」

「長く?」


 どこにでも地雷はあるものである。まさか本人が地雷原に突っ込むとは思えないが、乙愛は度々、夜恵に突っ込まれるほどこういうことは抜けているのである。


「え? あ! い、いや違うのよ! ほ、ほら、小さい時ってあんまり時間経っていなくても何故か長く感じるでしょ? そういうことよ!」何がどういうことなのかわからないが、乙愛の言うそういうことは、その時代が過ぎた大人がしみじみ使う言葉ではないだろうか。「夜恵ちゃんにもあるでしょ? 中学高校の3年間は長く感じるけれど、二十歳過ぎてからの5年間は短く感じるものでしょう?」


「あ~、う~ん? そうなのかなぁ? 工場長ちゃんは大人だねぇ」夜恵はよく理解していないのか、乙愛の言葉に首を傾げながら相槌を打つ。そして、乙愛の傍に寄ると、その傷を撫でる。「怪我してるじゃない。ちゃんと手当てしないと」


「大丈夫よ、唾でもつけてれば治るわ」

「……工場長、おじさん、臭い、です」志稲が布巾と水と絆創膏を持って来ており、それを乙愛の傷に使う。「何をしたらこうなるん、です、か? それと、班長、は?」

「まぁ~、色々あったのよ。勇雄は大事を取って病院に行かせたわ」


 乙愛と金剛が怪我をしたのである。大したことであるような気がするが、乙愛は多くを語らず、全員に片付けと指示し始める。


夜恵は心配げな顔で乙愛に追究しようとしているのか、声を出そうとするが、志稲と兎が渋々ながらも後始末を開始したことにより、夜恵も同じように動き出した。

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