第3章 第5話 獅子は虎に噛みつきかかるが、虎は一切を受けて尚足を止めない

「さて――お前さんの部下、全滅しちまったようですぜぃ?」

「う、う~! う~!」ぴょんぴょん飛び跳ね、兎に非難の目を向けるワンコ。一体、どの層に向けた個性(キャラ)として生まれてきたのだろうか。「ま、まだウチが残ってるもん!」


「おいおい、お前さんが一度でもあっしに勝ったことがあったかよ――」

「2年前とは違うんだもん!」ぷっくりと頬を膨らませ、ワンコはポケットに手を突っ込み、ジャラジャラと音を鳴らす。「それに! こ、これでもここでしっかりネジ打ちしてたもん!」


「ああそうさ! お前さんはここでネジ打ちしてたな。そんで!」

「ふぇ? そんで――?」兎に尋ねられた言葉を考え込むように「そんで……そんで?」と、繰り返したワンコなのだが、それを振り払うかのように首を振り、ポケットからネジを取り出した。「難しいこと言わないでよ! う~……は、はち――ローヤルゼリーにしちゃうもん!」


「お、おう――」兎は難解過ぎるワンコの言葉に、気が削がれたのか苦笑いを浮かべていた。「ワンコ、日本語で――ッ!」


 しかし、そんな緩い空気もここまで――。兎が右肩を押え、苦悶の表情を浮かべた。兎の肩を見てみるとそこにはネジが刺さっており、腕をダラりと床に投げていた。


「ふ、ふふ~ん――ウチだってやれば出来るもん」チラチラとネジが刺さった兎の肩を泣きそうな顔で見ているワンコ。しかし、一度やれば二度も同じ。ワンコはポケットからさらにネジを取り出し、それを兎に向けて放つ。「龍宮流製造術――『ネジ打ちから始める工場生活(ピンポイントスクリュー)』」


 ネジの頭を持ち、回転をかけながら射出している。ヒヨコに説明させるまでもなく、ドライバーという道具を取っ払うために完成させた技なのだろう。


『うをぉぉぉぉぉ! ワンコてめぇ! 兄貴に何てことしてくれんじゃコラぁ!』ハウリングが混じったヒヨコの怒声――ワンコと同じく、兎の後輩であるヒヨコは怒りを抑えもせずに言葉にする。『しかもテメェ! 兄貴の右腕の神経狙いやがったな!』


「う、うるさいです! だ、だって……ふ、ふ~んだ! あ、あに――う~さんがこっち来ようとするから悪いです」狼狽えるワンコ。しかし、まさか神経を狙うなんて言葉を工場で聞くとは驚きである。「み、右手が使えないんならもうどうしようもないです! お、大人しくお縄に付くです!」


『テメェさっきからお縄お縄って、拘束しに来たんじゃねぇだろうが! もう許さねぇぞ! 待ってろ、今俺がそっちに――』


「だ~ってろヒナ」ヒヨコを制止させる声を出す兎は、ヨロヨロとしながらもワンコの元へ足を動かす。「ワンコぉ、おめぇ……あっしの右腕を動かせなくすりゃあ止まると思ってんですかぃ? ――ああ、確かにあっしはモーターセットしかしねぇから右腕しか使ってねぇ。左手といやぁくっ付いたクリップをバラけさせるくらいしか使い道はねぇよ」


 兎が言っているのは、兎のいるライオンラインは作業者と面した時、左側に進んでいるために、エアコンの右側にモーターを取り付ける際、右手でほとんどの作業が終わるのである。つまり、兎に何かしらの技があるとしたら、それは右手を使うのである。


「そ、そうだよ。だ、だからもう止まって――」

「阿呆が。あっしが腕の1本や2本で止まると思ってんですかぃ? 止まるとすりゃあ、そりゃああっしの息の根が止まった時ですぜぃ」


 腕から滴る血液が床に転々と付いていき、兎が歩いた跡を残す。


「な、なぁで? 何でよぉ、止まってよぉ」ついには泣き出してしまうワンコ。嗚咽を漏らし、手を震わせながらも手に持ったネジを兎に向ける。「う、ウチはぁ、え、偉く――偉くぅ?」


「おぅ、そうだぜ? お前さんは偉くなんだろ? それで、どうする? 何がしたい?」

「え、えっと……う~、えっと――偉くなって、わぅ、偉く……」

「いつも言ってただろうが。お前さんは頭が足りねぇんだから、おめぇのいっちゃん奥のもんだけは忘れんなよって」残った左手で胸を叩く兎は勝気な表情を浮かべる。「ワンコぉ、お前さんが偉くなったんなら、そりゃあ嬉しいさ。だがな、あっしが気に入らねぇことをするっつうなら、ワンコだろうが平手打ちですぜぃ?」


「わふっ! う、う~――」兎の言った平手打ちに怯える様に顔を伏せたワンコなのだが、すぐに潤んだ瞳で兎を可愛く睨む。「あに……う~さ――あ、兄様はウチのこと嫌いなんだぁ! も、もう良いもん! ほ、本気だからね、本気しちゃうよ!」


 すると、ワンコはポケットのどこに入っていたんだ。と、いうくらい大きなネジを取り出した。それは手から足の部分が飛び出るほどの長さと拳ほど大きな頭のネジ。


「こ、これでも――っあ!」ワンコは大きなネジを両手で持ち、回転を加えて投げた。


「――ッ!」


 ワンコは放ってから狙った場所が悪かったと気が付いたのだろう。

 その大きなネジは兎の顔面目掛け――。


『あ、兄貴ぃぃぃぃぃッ!』

「う~ちゃん――」

「………………」


 兎とワンコを静観していた夜恵と志稲だが、大きなネジが兎の口元に突っ込み、その衝撃で兎が真上を向いたために、夜恵は駆け出そうとする。

しかし、志稲はそれを手で制すと首を横に振り、微笑みを浮かべた。


「大丈夫、だよ。兎さん、は、頑丈、だから」それは刺さっても生きているという意味なのだろうか? それとも喉にすらあのネジが刺さらないという意味なのか……。


『て、てっんめぇぇぇワンコこらぁ!』ヒヨコはマイク越しというのを自覚してもらいたいが、それだけ冷静になれないのだろう。


「あ、兄様が悪いんだよぅ……う、う~、わん……」携帯電話を取り出したワンコが119番通報をしようとする。もっと前に必要だとも思うが、そうではないらしい。「兄様がウチのこと嫌いって言うから――」


「わ~ん~こ~」やはり。と言うべきか、さすが。と言うべきかだが、モゴモゴとしながら兎が声を放つ。そして、顔を正面に向け、歯で噛んで止めたネジをさらに力強く噛み、それを砕いた。


「わふぅ! 体つきのおばけぇ!」それを世間一般では、生きている。と、言うのだ。


「死んでねぇですぜぃ」兎は口からネジを吐き出すと首を鳴らしてワンコを指差す。「――ったく、泣くんなら最初からやるんじゃねぇですぜぃ。お前さんは良い子なんだからよ、もうちっともの覚え良くして、誠意を持って――」


「やぁ~! お化けやぁ~っ!」錯乱状態である。ワンコはポケットから6個ネジを出し、親指以外の両手の指でそれらを挟むと親指でそれらを射出する。「やだやだ! ウチ、悪くないもん! 偉く、偉くなって? えっと……そ、それで、えっと……工場長、倒して……えっと――ああもう! 思い出せない! と、とにかく! ウチ、頑張ってるもん! だからナルホト――じょぉ~ぶつしろぉバカバカバカバカ!」


 成仏、である。間違ってもナルホトケではない。


 ワンコはわんわん泣きながら兎にこれでもかとネジを射出し続ける。


「あいたたたたた――」次々とネジが体に刺さる兎なのだが、次第に体を震わせ、青筋が見てわかるほど浮かび上がり、ついには口角を引き攣らせる。そして、左手をジッと見つめた――と、思うと、その左手を左右に震わせ、最早手のひらが見えるだけで、指が速すぎて見えなくなるほど動き出したのである。「誰が馬鹿だ! おめぇの方が馬鹿だろうが!」


「馬鹿じゃないもん! みんな――そう! ここのみんなの作業環境とか――兄様が正社員になれるように! もっとここがよくなるように偉くなるんだもん!」

「思い出してんじゃねぇかこのアホ!」


「アホじゃないったら!」ワンコは手にいっぱい持ったネジを綺麗(足は兎の方に、頭はワンコの方)に宙に放ると、最初は右手で浮いている複数のネジの上部を擦り、回転を加え、次に左手の親指を人差し指に掛けた構えを取ると、デコピンをするように、高速でネジを放つ。「ネジ打ちの応用――『いっぱいたくさんネジ(ビリー・ザ・キッド)』」


 ポケットからネジを放り投げては繰り返し、大量のネジが兎を襲う。

『ば、馬鹿な! あんな大量のネジ、ここにいた時は投げられなかったつうのに! 兄貴避けろぉ!』


 ヒヨコが叫ぶのだが、兎は左手を小刻みに動かしているだけで動く気配がない。

 大きな呼吸をし、ワンコが放ったネジを見つめる兎――否、その奥にいるワンコの瞳を見据え、弾丸と化したネジに左手をかざす。


「あっしオリジナルですぜぃ。親父みたいにスマートじゃねぇですが、ワンコには十分ですぜぃ」振動する左手がネジに触れた瞬間――それは鉄粉へと変わっていった。「我流TH外し応用――『掌(たなごころ)・解震(かいしん)』」


「わふっ!」

『そ、そうか! 兄貴、いつもクリップがくっ付いてて面倒だって言っていたが、そういやぁ、左手を振動させて取ってるとも言っていたな。それであんなイカす技が!』


 良い解説だ。だが、意味はわからない。


「え? いや、その説明だと、う~ちゃんあのクリップ毎回粉にしてるってことになるけれど?」


 もっともな疑問である。ネジを粉に出来るということはクリップも粉に出来るということだろう。


「………………」志稲が12人ほどヤッていそうな顔で兎を睨む。「……最近、やけにTH(クリップ)の減りが、早いと思った、ら――そういうことですか」


 この戦いが終わった後、兎が説教されることは確定した。それを兎は聞いているのか、いないかはわからないが、飛んできたネジ――ポケットからも出し尽くされたネジを全て粉に変えた兎はついにワンコの眼前までたどり着いた。


「……おぅ、ワンコ――歯ぁ食いしばれな」

「わふっ――」肩を跳ねさせたワンコは、両目をばっちり閉じ、胸の前で握り拳を作りながら蹲る。「や、やぁ~――」


 薄く眼を開け、チラチラと兎を見上げるワンコ。そして、兎が平手をワンコにかざすと、ワンコはギュッと手と目を閉じ、体を震わせた。


「………………」

「わぅ? わふ? た、叩かな――」いつまでも兎が叩かないため、ワンコが恐る恐ると尋ねた。「ふぇ? わふ――」


 そんなワンコに、兎は叩くでもなく、ただただその頭を撫でていた。大きくため息を吐き、撫でるのを止めて頭を掻く。すると、ワンコが物足りなさそうに見上げてきており、兎は再度撫で始めたのである。

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