第3章 第4話 狂人突貫。焔で覆い鉄を撃て
「ほらほら! その顔、もっと野蛮にしてあげますわ!」
「――――」
志稲は眼鏡の女性、珠良と対峙しており、その珠良が放つ手刀を紙一重に避けていた。
「……あなたは、嫌い、です。兎さんより、私のことを怖いって言う人たちより」
「それが何? どうせ貴方たちはここで終わりよ!」珠良が突然、構えを変えた。ただただ突くためだけに構えていたのだが、顔と直角になるように手を添え、まるで何かを斬る様な――「私たちは基本的に事務員だから――と、いうか、本社の人間だから工場の人間の苦労は知らないと思われがちなの」
それはそうであろう。どう考えても人外にパラメーターを振っているのは工場の作業員であり、それ以外までもそんなであるならば、世は世紀末であろう。
「でも残念――本社のほとんどの人間は、どこかしらの工場にいたこともあるし、鍛錬も怠らないのよ」
すると、カバの指揮のようなもので押していたと思っていた工場の作業員たちが、突然宙に浮いた――と、いうより、吹き飛んでいったのである。
見てみると、ワンコの部下たちの数十人がエアコン工場作業員と同じような目で奇声を発し始めたのである。そのワンコの部下たちの最後尾、そこには丸々太った男が勝ち誇った表情で佇んでいた。
「あの豚はね、貴方たちのデカ物とは違って、あんな状態になった駒たちにも命令できるのよ。ただただ突っ込むだけの猪とは違うの」
「………………」
しかし、志稲は首を振るだけ。特に勝利を確信しているようにも見えないが、それでも表情を歪めることはしなかった。
「何よ……あなた、同じ工場のお仲間がやられても表情一つ変えないのね? 意外と冷たいのかしら? いや、意外でもないわね。その顔では似合っているわよ」志稲を挑発する珠良だが、そんな挑発を受けても一切表情を変えない志稲に痺れを切らし、珠良は鼻を鳴らす。「ああ! あなたムカつくわね。その野蛮な顔! どうやったら無様に歪んでくれるのかしら!」
「……ええ、うん……そう。あなた、自分の隣に誰かがいるのが不安なんだ?」
「は――?」
「ワンコさんに何か言う時もそう、まるで自分が手綱を引いているのが世の常みたいな上から目線、誰かを操っていないと自分を保てないの?」
「………………」吊り上がった口角を震わせ、珠良は目を見開く。「野蛮な貴方なんかに私の何がわかるのかしら? ああ、もう良いわ。ちょっと痛めつけてやるだけにしておこうと思ったけれど、変更――切り裂いてあげるわ」
「――ッ!」
先ほどは紙一重で躱していた志稲。しかし、今度は大きく体を回し、珠良の手を避けた。
すると、珠良の手が通った志稲の背後の壁――大きな傷跡が出来た。
「五星流切断術――『シュレッダーいらずの風吹雪(ヴィントフリューゲル)』」
「ッツぅ!」
とんでもなく速く動く珠良の手――それは志稲の頬や腕に切り傷を作る刃のような真空波。
志稲はそれを寸でのところで避けるのだが、見えない真空波を避けるのは難儀なのだろう、顔や体に傷を作っていく。
「志稲――」それを見ていた夜恵が駆け出そうとするのだが、夜恵が出て行ったところで何も出来ないだろう。
『あ、あれはぁぁぁ!』
「うわ! びっくり――」夜恵は驚いた拍子に足を止め、放送が聞こえてきた方向に視線を向ける。「もう! いきなり大きな声出さないでよね!」
『……クソが』
「なんで!」
『俺が。あれはぁぁ! って言ったら形式美として返す言葉があんだろうが牛が!』
夜恵に、知っているのかヒヨコ! と、いう返しを期待するのは酷ではないだろうか? そもそも夜恵のことを牛と言っているのは、彼がロリコンだからなのか。
「……で、何なのよあれ」
『大体技持ちの奴は一つの作業を極めた奴か、道具を使わずに作業をやるために編み出したかの二つだ。そんで、この工場じゃあの手の技を使う奴はいねぇんだが、あいつは極めてんのか』
いや、そもそも道具と言うのはその作業をやりやすくするために生み出されたものであり、道具を使うのが面倒だからと、その技を編み出してしまっては本末転倒ではないだろうか? いや、違う……そもそも、その考えがおかしい。何故か――普通の人間は道具を使って初めて作業が速く出来るのに対し、何故ここの連中は道具を取っ払うという発想に至るのだろうか。
『あの眼鏡、中々やりやがるぜ……本来なら、シュレッダーでも十分に間に合う作業だ、なんて言ったって、ただシュレッダーに紙を通すだけだからな。だが、あの眼鏡はそんな時間すら惜しくてあれを使えるようになったんだろう。何十枚、何百枚と重ねた紙を手だけで切り裂くんだ、相当な切れ味だぜ……』
どういう経緯でこの技が生まれたかはどうでも良いが、確かにヒヨコの言う通り、切れ味はあるようだ。あの壁に大きくついた傷跡、壁を切断することは出来ないようだが、当たり所によっては間違いなく命を落とすだろう。
「ふふふ――どうですか? 本社にいるからといって、貴方方より劣っているわけではないのですよ? いえ、むしろ私の方が高みにいる。当然でしょう!」
珠良の放つ刃が徐々に志稲を追い詰めていく。
志稲はそれを防ぐだけで精いっぱいなのか、首や手首などの血が多く出る箇所を避けながらそれを防いでいた。しかし、ついには備品の置かれている棚に背中をぶつけてしまい、一瞬視線をそこに向けてしまったのである。
珠良がその隙を逃すはずもなく、両手をクロスさせ、そのまま志稲に向かって振り下ろす。
「五星流切断応用術――『白紙ではなく赤紙に染めろ(ブルートシュナイダー)』」
「う――あッ」
珠良が振り下ろした両手は、ちょうど志稲の目の前に舞い落ちてきた紙と共に志稲の体を切り裂いた。そして、落ちてきた紙は志稲の血で真っ赤に染まっていた。
「志稲!」
『あ、あれはぁぁ!』ヒヨコが驚いたような声色で叫ぶ。『あいつぁまさか……確か聞いたことがあるぜ。本社では案件が上手くいかなかった時、白紙ではなく、真っ赤に染められて戻されるってな……あ、あいつ、まさか処刑人!』
「………………」半目の夜恵が何か言いたげに放送が流れる箇所を見る。「ねぇ、頭の痛くなる解説をしてくれるのは良いんだけれど、出来ればわかる言葉で話してくれない?」
夜恵の言う通りである。
『バッカおめぇ、わかんねぇのかよ!』まったくわからない。夜恵もそうだろう。『まぁ良い。良いか? よく白紙に戻すって言うだろ? でもな、本社じゃそれは通じねぇ。返されるのは真っ赤に染まった企画書と傷だらけの発案者だ。そんでそれをするのが処刑人――あの眼鏡だ』
ブラック過ぎはしないだろうか? 案件が大事なのはわかるが何も血塗れにすることはない。
「うわぁ……」ほれ見たことか、夜恵がドン引きしている。「え? 何、それじゃああの眼鏡のおばさん、出来なかったからって一々傷つけちゃうはた迷惑なおばさんなの?」
「………………」そんな会話を珠良は聞いており、キッと夜恵を睨む。
「――?」しかし、夜恵には効果がないようだ。
北毘 珠良。どのような呼ばれ方をしているにせよ、志稲を倒してしまったのである。
腹部辺りから血を流す志稲――そして、今しがた丸々太ったワンコの部下とバーサーカーモードが発動しているだろうスーツ姿のワンコの部下たちに囲まれて波状攻撃を受けているカバのリーダー。すでに勝敗は決したのだろう。闘いの意思を示しているのは、未だにワンコと対峙している兎だけだろう。
「さて、あちらのデカブツも終わったようですね。あとは部長に害を成すあの男だけですわ」珠良がそう言いながら兎の方へ行こうとするのだが、ガタり。と、志稲の体が動いたのを横目に大きなため息。「まったく、野蛮な方々はやたらと頑丈で困りますわ」
「……やっぱり、あなたは……わかってない」志稲は立ち上がる際、棚から棒状の金属を手に取った。「戦ってわかった。あなた、中身がない……他人を、支配したいだけで、その人の心、とか、信念とか、信条を知らなさ過ぎ」
「……負け惜しみは止めなさい。みっともないわ――」
「ッッッッッッッッッッッッッッッッ!」声になっていない咆哮――ふと視線を移してみれば、そこには先ほど数十人に押しつぶされていたカバのリーダーが枕を投げ飛ばすが如く、ワンコの部下を掴んでは投げていた。
狼狽える丸々太ったワンコの部下。先ほどやったように何度も部下たちをカバリーダーにけしかけるのだが、いくら傷つこうともカバリーダーは足を止めることはしない。
太ったワンコの部下に近づくにつれ、力み過ぎたせいで体から噴き出す血をカバリーダーはものともしない。それどころか、最初の時より力強くすら見える。
しかし、デブ部下も一筋縄でいかないのか、カバリーダーを近づけさせないためにも、先ほどより息の合った連係を部下たちにさせる。
「ふん、所詮悪あがき。言ったでしょう? あの程度のデカ物、相手にもならないわ」
「……あのカバは、確かに何も芸はありません。けれど……ウチの工場長の攻撃や班長の攻撃をものともしないガッツと、兎さんより足りない、頭があるんですよ」
「は? それが何――」
「――――――――――――――――――――――――ッ!」最早、喉から声が出ないのか、カバのリーダーは大きな手で口と耳を塞ぐと最後の一声――。
「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッつ!」
すると、カクり。と、両腕を投げだし、グルんっ。と、白目が回る。
『おいおいおい! カバのオッサン! そいつはてめぇの理性も――』
しかし、カバのリーダーは止まらない。
突っ込んできたワンコの部下をコンクリートに叩きつけるのだが、その際にグシャり。と、拳が潰れ、それでも構わずデブ部下に突っ込んでいくのである。
そして、理性のなくなったカバリーダーの声が工場内に響く度、バーサーカーモードが発動しているはずのワンコの部下の足を竦ませた。
そうして、デブ部下を守る壁が一声の度に減っていき、ついにはカバリーダーと一直線に対峙した。
デブ部下が「早く守れ」や「何をしている役立たず」などと叫んでいる間に、カバリーダーは近づいていき、その巨体をゆらりゆらり――と、揺らしていた。
最早、死に体――両腕はぶらりと垂れ下がっており、カバリーダーの瞳に光などない。
しかし、体を勢いよく揺らすことで腕が鞭のようにしならせ、デブ部下の頭を叩きつけたのである。
そして、そのまま倒れ伏すカバリーダー――。
「な……馬鹿な」
「言ったでしょ、う? あなたが思ってるほど、みんな、弱く、ないから」志稲の手から突然煙が上がる。「あなたが、相手にしている、のは――こういう人間」
「――ッ! 動かないでちょうだい! 抵抗すると切り裂きますわよ!」
「……もう、遅い」
「何を――ッ!」余裕がなくなったのか、珠良は切羽詰まったような表情で、志稲にそのしなる拳を振るった。だが、志稲の体にその拳が当たる直前、珠良は手を引っ込めるのである。「あっつ!」
そして、不意に蹲る珠良。珠良は震える手で自身の手に目をやるのだが、そこには歪な形の金属がへばり付いていた。
「一体何が――」志稲の手に視線を向ける珠良。しかし、表情が驚愕の色に染まっていくのである。「……貴方、手から火?」
指先を何度も擦る志稲の手から煙が上がっていき、次第に炎が現れたのである。
「クソ――」珠良はそんな志稲の変化にも動じないように雰囲気では努めながら、両腕を何度も志稲に振るう。「どうやっているかは知らないけれど、そんなもの私の技の前では――熱い! 熱い!」
珠良がどれだけ腕を振るおうとも、その手には大量の金属がへばり付いていた。
さて、そろそろヒヨコの解説が入るだろう。
『あいつは――』やはり来たか。『《自家発火のロウ付け〈アグニッシュヴァルカン〉》バーナーを使わずにロウ付けするっつう技だが……あの見た目殺人鬼、あんな技使えたのかよ』
「志稲可愛いでしょ!」夜恵の猛抗議である。「――って? ロウ付け? あんな風に手から火を出さないと出来ないの?」
『うんなわけねぇだろ! 普通はバーナー使うっつうの!』先ほどから普通の意味を考えさせられる技を使っている人間が多数いたような気がするが、志稲のこの技は何か別格らしい。『まぁ簡単に言えば、溶けた鉄で、鉄と鉄をくっつけるみたいなもんだと思っとけ! 詳しくは知らねぇ! 俺放送委員だし!』
工場での放送委員とは……。
「クソ! ロウ付けだか何だか知らないけれど! これなら――」珠良が先ほど志稲に放った時のように両手をクロスさせた。しかし――。「って? あら――」
珠良が両手をクロスさせた瞬間、志稲は手と手が重なり合う箇所に向かって溶けた大きめの金属を投げており、金属同士がくっ付き、珠良の手がくっ付いた。
そして、攻撃の手が止み、志稲は腕を回しながら珠良に近づく。
「……ワンコさんのことを、想ってる、って言いました、よね?」傷だらけの体で、志稲は握り拳を作り、震えている珠良に声を上げる。「あなたはワンコさんを操ってた気になってました? 馬鹿ですね、ワンコさんは使ってこそ輝くんですよ。想ってくれる人がいて輝くんです! 兎さんみたいなのと一緒にいて、きっと輝けるんです――」
「あ――ああ……」
「この工場……と、ワンコさん、返してもらいます、よ――」大きく息を吸う志稲。そして、右手で珠良の肩を掴み、拳を構え――大きく息を吐いた。「金剛流運送応用術――『フォークリフト頼らずの剛力怪力(イクシードアーレス)』」
まさに轟音――夜恵がこの工場に面接に来た時、金剛が兎に拳を放った時のような音がしたのである。
拳を腹部に叩き込まれた珠良は口から血をまき散らし、白目をむいて舌を口から投げ出すように外に出し、そのまま気を失った。
だが、志稲は一度鼻を鳴らした後、そのまま珠良を床に叩きつけ、安堵の息を吐いた。
『うぉぉぉぉ! 金剛の頭がやるただただ力任せのパンチ来たぁぁあぁ!』それは技とは言えないのではないだろうか? 技の解説もしないひよこに存在価値はないように思える。『――っと! そうだったそうだった! 良いか牛の嬢ちゃん! あの技はな、普段フォークリフトを使わず、パレットごと荷物を持ち上げる頭だから出来る力技でよぉ――』
「私、別に聞きたいなんて言ってないでしょ。それと牛じゃない!」夜恵はヒヨコに文句を言いながらも志稲の傍まで駆け足し、傷ついた志稲の体を支えてあげる。「志稲、大丈夫?」
「う、うん。大丈夫、だよ。夜恵、は、怪我ない?」
「うん! 志稲、格好良かった!」夜恵は褒められて喜んだように頬を緩ませる志稲の体を一通り撫で終えると、思い出したかのように、視線を別の場所に移す。「あ、そうだ、う~ちゃん忘れてた」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます