第3章 第1話 技の工場長、力の班長

「――さて……あ~、面倒だわ」まだまだ暖かいとは言えない春の朝――時刻は10時になるころだが、半そででは少し寒い。しかし、乙愛は半そでのジャージに身を包み、軽い柔軟を行なっていた。「あたしにジャージを着せるとは……本当、かったるいわ」

「……ジャージを着て来なければ良かったのでは? それに――」乙愛の後ろに控えている金剛はどこか呆れた声で目の前の建物を指差す。「本社に着てくる恰好ではないです」


「うっさいわねぇ、これはあたしの本気服なのよ? と、いうか――あんたは逆に硬いわよ。黒スーツって」

「……工場長風に言わせてもらうのなら、これが私の本気服です」


 ジャージを着た乙愛と一切堅気に見えない黒スーツの金剛。二人が訪れたのは五星本社――今は出勤時間ではないために、外に出る社員がチラホラいる程度で、乙愛たちの姿を見つけ、手を振る社員もいるが、二人はそんな動作を返さず、ただただ本社を見上げ睨んでいた。


「あ、あと――勇雄、あんた硬いわ。今二人っきりだし、普段通りで良いわよ気持ち悪い」

「……」金剛は深いため息を吐くと、乙愛の頭に軽く手刀を入れる。「気持ち悪いは余計だ。まったく、こっちはお前に付き合ってやってるんだ。言葉には気を付けろ」


「あら、別に良いのよ? あたし一人で行って無様に敗北して、工場を解体されても」

「その言い方には誤りがあるな。それでは俺だけが工場を失くされたら困るように聞こえるぞ?」


「………………」ぷっくりと膨れる乙愛が、金剛の脛を軽く蹴る。「今さら誰の手にも渡すわけないでしょ。あそこはあたし――たちのものよ。わけのわからない道楽で潰されるいわれはないわ」

「最初からそう言え。何年経っても素直じゃないなお前は」


「うっさい!」乙愛の赤くなった表情が見た目相応に見える。きっと、これは長年の付き合いのある金剛にしか見せない表情なのだろう。「――ったく。で? どうする?」

「それを俺に考えさせるのか? 何か策があってここに訪れたんじゃないのか」


「そんなもんあるわけないでしょ!」

「胸を張って言うな」

「張る胸もないわよ――あ~、夜恵ちゃんのおっぱいに飛びつきたいわぁ」

「……あまり美月さんを困らせるな。せっかく、あの工場では珍しい良い子が入ってきてくれたんだ、次はないと思え」


「あたし12歳だし、夜恵ちゃん甘やかしてくれるもの。きっと何しても許してくれるわ」乙愛は両指をわさわさと動かし、紅潮した表情を浮かべた。が、一度目を閉じると、真面目な顔つきになり、息を吐いた。「夜恵ちゃんは志稲にも兎にも良い影響を与えているわね。せっかく入ってくれたのに、その工場がなくなるなんてことになったら……」


「給料が少なくなるな」

「あんたねぇ……」

「お前がそうやって美月さんを釣ったんだろうが」

 給料の話、纏まりそうだった金剛の話を台無しにした給料アップの話――確かに、全ては乙愛が言っていたことである。


「と、とにかく! 志稲も兎も、今夜恵ちゃんと離れるのは良くないと思うのよね。志稲はコミュニケーション能力の向上、兎は童貞拗らせた故の女性嫌い――きっと、あたしや志稲に突っかかるのもそれが理由よ!」そうではない。

「わかったわかった――つまり?」


「正面突破で社長をぶっ殺す!」

「……まぁ、それしかないだろうな」本当にそれしかないのだろうか? もう少し考える余地があると思うのだが……金剛がこれだけ即決するということは、この五星の社長が曲者なのだろう。「変に策を用いて気に入られなかったら、即刻首が飛ぶだろうしな。あの人は脳筋だからな、真っ向から行く方が良いだろう。だが――」


「わかってるわよ。あのジジイ強いものね」

「それだけではない。親父さん――厳路殿とも一戦交えるかもしれんぞ」

「……大丈夫よ」


「そうか……さて、ここで喋っていてもらちが明かんな」

「ええ、行きましょう――」

 そうして、二人は連れ立って本社に足を踏み入れた。

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