第2章 第3話 顔怖い系友だち大事にするガール
「あ、夜恵、サーミスタはもうちょっと真っ直ぐ」
「う、うん――」
今日も練習用のラインでモーターをエアコンにセットする夜恵と教える志稲、鼻血を流し疲れ切ったために寝息を立てる兎。
普段の志稲であるならどのような手を使ってでも兎を起こすと思うのだが、あのような話を聞いた後で、あまり強く行動が出来なくなっているようである。
「う~……指痛いよぉ」
「あぅ、もうちょっと我慢して? 少ししたら慣れると……思う、よ?」相変わらず、確定していないことには自信が持てない志稲であり、夜恵から視線を逸らして言った。
ちなみに今夜恵が行なっている作業はサーミスタの先端をクリップの出っ張りにはめ込み、そのクリップをエアコンに付けているだけなのだが……このモーターセットという作業、モーター自体を取り付けるのは慣れるまでが早いのだが、クリップを付けるという作業は体がまず慣れてくれない。
どういうことかというと、クリップが固く、親指一本、もしくは親指と人差し指を使ってはめ込むのを延々と繰り返すため指が痛くてたまらないのである。
志稲は慣れるまでと言うが、ぶっちゃけ、指の感覚がなくなってきてからが本番である。指が痛むまで続け、痛みも何も感じなくなり、無心で作業を行なえるようになった時、やっと柵から解放される。そんな錯覚に陥るのである。
「……志稲、私の指、ひび入ってない?」
「だ、大丈夫だよ! 突き指が連続で起こるようなものだし」それがとんでもなく痛い。「む、無理だったら無理って言ってね? 1時間くらいの休憩を――」
「……いや、それは甘やかしすぎですぜぃ」もっともである。兎が伸びをしながら言い放つ。「心配なのはわかるが、若頭はもうちっと厳しく――」
「貴方は替えが利きますけれど、夜恵は唯一無二です」これこそが妄信、色眼鏡。志稲のお眼鏡にかなうのは夜恵しかおらず、圧倒的依怙贔屓が見えた。
「……まぁ、確かに残り5~60年、若頭の人生の中で唯一怖がらない奴ですぜぃ」煽る兎。
「……はい?」志稲は骨を鳴らし、口笛を吹きながら視線を逸らす兎の横顔を睨む。「……夜恵が来てから、ずっと調子を崩されていたみたいですけれど――やっと本調子に戻り、ました? 喧嘩、します?」
臨戦態勢の志稲。忘れていた――志稲もこの工場のラインリーダーであったのである。
「はんっ! あっし、若頭にやられたことなんてねぇですぜぃ?」兎が胸を張り、挑発的な笑みで志稲に視線を向け、体を一度震わせる。「若頭と喧嘩が始まっても、大抵頭が現れてボコボコにされたことしかないですぜぃ! 故に若頭にあっしは殺せねぇですぜぃ!」
震える声を絞り出す兎がキョロキョロと辺りを見渡し、一度安堵の息を吐くと拳を構え、志稲に向けて指をクイクイと動かした。所謂『来な、相手してやるぜ』で、ある。
しかし、どう転んでも兎がボコボコにされる結末は常に用意されており、それがわかっているからか、兎はどこか自棄になっていた。
「………………」
「………………」
互いの間に緊張感が走る。
それは闘いの間合いであり、二人はジリジリと足を動かしながら隙を探しているようであった。
どこか冷たい空気が兎から流れ、志稲からは圧倒的パワーによる破壊をもたらす熱気が表情と体から流れていた。
そんな間合いの中心にいる夜恵が頬を膨らませ、四苦八苦しながらサーミスタをはめ込んでいた。
「「――ッ!」」
兎と志稲、互いが同時に動き、体の小さな夜恵の頭上で拳が飛び交う。
志稲の放った拳を兎が上手く往なし、兎の親指が志稲の肩を捉えたと思うとそれは残像――見えない拳が夜恵の髪をバッサバッサ浮かしていた。
「う~――」夜恵がプクプクプクと空を飛んでしまうのではないかと膨らみ、可愛らしく目を見開いた。「二人ともうるさ~い! 集中できないでしょ!」
「――うぉ」
「――あぅ」
志稲と兎、互いに驚いた表情で拳を止めた。
叫んだ夜恵は二人を見向きもせずに作業を再開していた。
しかし、真上で拳が行き交っていたというのに一切反応していないところを見るに、夜恵は相当集中していたらしい。現に作業に戻った夜恵の目には、オドオドしている志稲と頭を掻く兎は映っていないからである。
「……う~、夜恵に、嫌われたぁ」
「いや、大丈夫だろう。作業終わったら元に戻っから、あっしらも真面目にやるですぜぃ」
「はい……」
志稲は意気消沈していた。顔をしかめながらサーミスタを挿す夜恵とそんな夜恵に親指の腹で押す。と、教えている兎を横目に、志稲は眺めているだけだった。
友だちとの接し方が……わからないのである。志稲はただただ、あぅあぅ。と、手を動かすだけなのである。
だが、兎の言った通り、夜恵であるのならその状況が終わればいつも通りであろう。志稲にはそれがわからないだけである。
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