第1章 第5話 圧倒的リピート数!

「え~、工場長ちゃん、好きなものがおじさんっぽいよぉ」

「キャハっ――そうかしらぁ?」


「……イラっとしますぜぃ」ライン傍の台に腰を掛け、兎は呟いた。

 練習用のラインに集まった四人――作業はまだ始まっておらず、相変わらずに姦しく、華を言葉にしていた。


 しかし、ラインだけはゆっくりと動いており、数字の0の形に作られたレールが延々と一台のエアコンを乗せて回っている。


 そんな中で、夜恵と志稲、乙愛は自分の好みの食べ物の話をしており、どこかにご飯を食べに行きたい。などの話をしていた。


「……工場長は、おつまみ、好きですよね?」

「ええ、美味しいじゃない。志稲は逆に甘いもの好きよね? 味付けも柔らかいものが好きみたいだし」

「……? 何の逆、ですか?」

「内臓系を『啜って』そう。って、思っただけよ」

「……工場長の中での私のイメージについて、ぜひじっくり聞きたいです」

「聞かない方が良いわよ? 志稲を傷つけたくはないもの」

「……む~」


「膨れない膨れない」頬を膨らませる志稲の頭をつんつんと突く乙愛は、ミムーに刺さっているストローを口に運び、吸う。そして、柔らかい甘酸っぱさを舌に転がし、一息吐くと、先ほどから胸を持ち上げている夜恵を見る。「何かしら? 嫌味?」


「え? ううん、さっき工場長ちゃんが言ったようにキツいのかなって思って」

「そんなもの自分の感覚で分かるでしょうに」乙愛が呆れるのだが、それは至極当然である。自分の体のことを自分で認識しないで、誰が認識するのだろうか。


「う~ん、でも、やっぱりキツくないよ? ブラ買う度に測ってもらってるし」夜恵は兎がいるにも関わらず、作業着のファスナーを開け、体を屈め、乙愛に胸を見せる。「ほら、そんなにキツキツじゃないでしょ?」


「……夜恵ちゃ~ん? あなた普段からそうなのかしら?」

「うん?」夜恵は乙愛の言葉を理解していない。「あ、でも、いつも測ってくれる店員さんが、『サイズは間違いないわよぉ。サイズだけは』って、いつも釘を刺してくんだけど」


「……その店員さんの胸はあたしと同じくらいじゃない?」

「うん」


 つまり――女の見栄である。


「――ったく、女っつうのは小さいことにこだわる――」

「あら、小学生が何か言っているわよ」乙愛が兎の上半身と下半身の中間に視線を向ける。

「止めろぉ! しょ、小学生じゃないですぜぃ! も、もっと――」

「小さい男ねぇ」

「ちっさくなんてないですぜぃ!」


 小学生なのは乙愛だろう。と、言いたそうな顔で首を傾げている夜恵とチラチラと兎の兎を覗き見ながら夜恵を二人から離そうとする志稲。

 そうして、グダグダと会話をしている一行だが、一体いつになったら作業が始まるのだろうか。


 すると、肩を落とし、落ち込んでいる兎が練習用のラインの前に立ち、素早く腕を動かしながらサーミスタとモーターをエアコンに取り付け始めた。


「おい嬢ちゃん、そろそろ始めるぜぃ」

「ありゃ、まさかあんたから始めるとは思わなかったなぁ」夜恵が兎を見直したように褒め、兎のその腕に引っ付く。「じゃ、よろしくね、せ~んぱ~い」


「……お、おぅ」兎は照れたように頭を掻き、夜恵から離れようとするが、夜恵が腕を離してくれず、諦めたように作業を見せる。「サーミ――コードにクリップをくっ付けるんだが、こいつはちゃんとくっ付けることと、出来るだけクリップは真ん中に――」


 サーミスタ――エアコンの制御をどうのこうのとのことだが、ただ作業する分にはまったく使わない知識であるために詳しい説明は省く。


 見た目は30センチくらいのコードで、両先端にはそれぞれ、プラグと横に広いクリップをはめるなんやかんやした金属っぽい部分がある。


 兎はその金属っぽい部分を指差し、その中心にクリップをはめたのである。

「このクリップが上手くはまってないと、エアコンに挿すのが難しくなんでさぁ」


「………………」志稲がぷっくりと頬を膨らませながら、手近にあった乙愛の頬を引っ張る。

「痛い痛い、志稲八つ当たりは止めてちょうだい」

「――ハッ。わ、ごめんなさい」乙愛の頬から志稲は手を離すと、兎と夜恵の間に割って入る。「……いきなり真面目になりましたね?」


「…………親父の相手したくない」切実である。そして、兎は志稲に一瞥を投げると回ってきたエアコンからモーターとサーミスタを取り外す。「それと、あっしは作業をやり始めたら真面目じゃねぇっすか?」

「いいえ」志稲は兎を半目で睨みながら、躊躇なく否定する。

「あん、ひどぅい」


 志稲が兎の太ももに何度も蹴りを放っているという光景が見えるのだが、その横で夜恵はエアコンにサーミスタを付け、モーターを取り付けようとする――のだが、上手くいかず、カチカチと力任せに押し込もうとしており、「う~、う~」唸っていた。


「あ~、それじゃあ付かねぇぞ。付いても不良を出しちまいますぜぃ」兎は手を伸ばし、夜恵の体に割り込むように前に出る。「こいつはこうやって平行に挿さねぇとだな――って、若頭、両手の奴の方が良いですかぃ?」

「……いえ、それは夜恵のやりやすい方で」

 兎がモーターをセットする――このモーターはエアコンを正面に見た時の右側にセットするのだが、エアコン本体のファンの穴にモーターを平行に挿し込まなくてはならず、最初は中々難しいのだと兎は言う。


 そして、兎と志稲が言っているのはファンの穴にモーターが挿し込まれた後のことであり、モーターがしっかりとエアコン本体の爪に入れるためには――と、いうことである。


「嬢ちゃん、ここ見てみ?」

「え? どれ――」兎が指差した個所を夜恵は見るのだが。「え~っと……ちゃんとはまってない?」


「そうそう。エアコンの爪にモーターがちゃんと挿さっていないのは見たらわかんだろ?」兎の言う通り、モーターを挿すための出っ張りに上手く入っておらず、モーターが少し浮いている状態になっていた。兎はモーターを右手で押さえると少し押し込むことで、カチ。と、言う音がなったことでしたり顔を浮かべた。「こんな音がしたら、大体はまってっからこれで完了。ただ、最初の内はちゃんとその出っ張りを見て確認した方が良いですぜぃ」


「出っ張り……確認」夜恵は表情を歪める。それはそうである。あんな速さのレーンに乗っているエアコンを、一体どうやって確認しろと言うのだろうか?

「うんで、頭や若頭はこの最後のはめ込みを両手でやるんだが、あっしは速さ重視で右手しか使わないんですぜ」


 兎はエアコンからモーターを外し、夜恵に見える様にゆっくりと説明しながらモーターを再度つけ始める。


 1・サーミスタをエアコンに付ける。


 2・サーミスタがモーターに巻き込まれないように左手で持ち、右手でモーターを持つ。


 3・モーターを平行にエアコンに挿し込む。


 4・エアコンに爪にモーターをしっかりと入れる。


 5・最後に、エアコン本体に付いているアースと呼ばれるコードをモーターに取り回す。


 と、これが夜恵の行なう作業である。

 無理である。


 唯でさえ速い動きのラインで、これだけの作業を一体どうすれば出来るというのだろうか? いや、これを兎は毎日やっており、不可能ではないのだろうが……。


「……折れそう」

「早いなオイ」

「え、えっと! だ、大丈夫だよ夜恵! みんなも最初は上手く出来ないから」志稲が必死に言うのだが、夜恵の顔は優れない。


「まぁ、本当に大丈夫よ?」乙愛が腕を組んだ瞬間、風がその場にいる者たちの頬をかすめる。「今、モーター外して付けたけれど、慣れたらこんなものよ」


 人間である内は、そんなものに慣れたくはない。


「……それ、工場長と班長、だけ……です」

「……嬢ちゃん、あの二人は人であることを止めてっから、参考になんないですぜ」

「う、うん……と、いうか、思ったんだけど」夜恵はおずおずと手を上げ、志稲、乙愛、兎を順番に見る。「どうして、こんなにたくさん作るのかなぁって」


「え?」

「あん?」兎と志稲が顔を見合わせ、同じタイミングで再度夜恵に視線を向ける。「嬢ちゃん、新聞とかニュース見ないんですかい?」


「あ~、でも、私もここに来てから、知った……かも」志稲が思案顔を浮かべる。

「まぁしょうがないわよ。20年くらい前だし、夜恵ちゃんと志稲は絶賛リアル幼女だっただろうし」

「絶賛リアル幼女?」夜恵が首を傾げ、乙愛を見る。

「あ、あたしはあれよぉ! け、結構大きな出来事だったから、今の日本史の教科書には載ってるのよぉ……?」夜恵と視線を合わせないように、乙愛はあたふたと顔を動かした後、ハッとなる。ちなみに、小学校の時間割に日本史は存在しない。「そ、それにパパにも聞いたから!」


「あ、それもそうか――それで、なにがあったんです?」

 乙愛に肩で横腹を突かれた兎が面倒くさそうに話し出す。


「嬢ちゃん、電気屋でここ――五星以外のエアコンを見たことあるかい?」

「私、エアコン苦手だから一切使わないよ? もちろん、電気屋にも行かない」

「……嘘でも良いから使ってるって言っておくべきですぜぃ」

「ウソは駄目だって、あんたが言ってたじゃない」

「あ~、ああ、言ったなぁ……」兎は頭を掻くと薄型の携帯端末を開く。「ほれ、見てみ」


「どれどれ――」夜恵は兎の背中に抱き着くように体重をかけ、兎の後ろから顔を出し、頬がくっ付きそうな距離で携帯端末の画面を覗く。「なになに――えっと、エアコン製造共倒れ?」


「……女の子って、どうしてこんな良い匂いするんですかぇ?」夜恵から体を離そうとしているのだろうが、本能がそれを許さないらしい。兎は体を震わせる。


「……あまり、調子に乗ると……穿ちます、よ?」骨を鳴らした志稲。

「あっしのせいじゃないですぜぃ!」兎は咳払いを一つすると、夜恵に携帯端末を手渡し、密着した体を名残惜しそうに離した。「……そこに書いてある通り、20年ほど前、エアコンを製造している会社が一斉に潰れたんですぜぃ」


「え? なんで――」

「自滅よ」乙愛が欠伸をかみ殺し、どこか憐れみを込めたように言い放つ。「技術が進歩して無駄な機能を付けたエアコンが多くなって、技術ばかりを詰め込み過ぎたから値段が跳ね上がったのよ。そんで、最後は誰にも買われなくなって、金のかかる技術だけを残して共倒れ――」


「ここは大丈夫だったの?」

「ええ、だってエアコンなんて冷たい風と暖かい風が出れば十分でしょ? 性能の良い掃除機能を付けたって、結局はカビを取ることは出来ないし、半年に1回はフィルターを掃除しなきゃどんな掃除機能が付いていても汚れるものなのよ」乙愛がニヤリと、思い出したように笑みを漏らす。「そういえば、光触媒を研究してエアコンに塗ったところがあったけれど、金だけ掛かって、数年後ばっちりカビだらけのエアコンを販売していたところもあったわね」

 快適にエアコンを使いたいなら、自分で掃除するか、金掛けろ。と、乙愛は笑うのだった。


 冷たい風を吹かせば、結露した金属から水が出てしまい、それを拭きとるか除湿、換気をしっかりしなければ、カビはどんどん出てくるのである。


「あ~……」またもや、夜恵が控えめに手を上げる。自分の働く会社くらい、調べておくものだが、夜恵はそれをしていない。「ここってどんなエアコン作ってるんですか?」


「夜恵ちゃん正直ねぇ。良い子だわぁ」乙愛が精一杯に背伸びし、夜恵の頭を撫でる。「ウチは本当に簡単なものよ。もちろん、一応、掃除機能の付いたものや、室内の温度に合わせて自動で温度を変えてくれるものとかもあるけれど、一番は解体(バラ)しやすいエアコンよ。ネジも使ってないから、10分くらいでバラバラに出来るエアコンを推しているのよ」


 五星が作っているエアコン――解体(バラ)せる君。特出した機能はないものの、20年前から姿も変えずに愛されているヒット商品である。

 休日のちょっとした時間で水洗い。と、いうキャッチフレーズで売り出された商品なのだが、五星以外の会社は機能重視のエアコンばかり出していたため、手ごろな値段で買えるエアコンが少なかった。と、いうのもヒットした理由である。


「で、話を戻すが」兎が夜恵から携帯端末を受け取る。「そんなあれこれがあって、エアコン作ってるのがここだけになっちまったんですぜぃ」

「まぁ、ちょくちょくエアコン市場に戻ってこようとしてる会社もあるけれど、今のところウチがダントツなのよね。だからもう、ほとんどは諦めているとこばかりよ」


「へ~、結構凄い会社だったんですねぇ」

「……嬢ちゃんはもうちっと調べてくるべきですぜぃ」

「しょうがないじゃない。募集見て速攻で電話かけたんだもん」

「夜恵ちゃ~ん、女子会しましょねぇ」

 あの奇怪な募集を書いたのはこの物の怪である。故に目的は女子会であり、その他のことなどそもそも眼中にないのだろう。


「うん――あ、でも、工場長ちゃん未成年だから夕方5時までだねぇ」

「え……?」鳩が豆鉄砲を乱射されたような顔で、乙愛が呆然とした。


「ざま~みろですぜぃ」

 そんな話をしながら、朝の作業が終わるチャイムが流れた。

 2時間喋っていただけで、特に何もしていなかったが、親睦が深められたと夜恵は思っているのか、とても満足そうな表情であった。

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