第1章 第4話 声でゾンビでめちゃくちゃに

 乙愛の「それじゃあ頑張って。以上――」と、言う声と共に、作業員がダラダラのそのそと歩き出す。


 数のせいでもあるが、出口が4つあっても歩むスピードは遅く、無言の作業員たちがまるでやる気のない機械のように同じ歩幅、手の振り方で作業場までの道を歩く。


「ゾンビ大行進」兎がケタケタと笑い、隣のおじさんの肩と横腹をつつく。

「あんたそんなことばっかりやってるから、ウザがられるんでしょ」夜恵が兎の頭にデコピンを放つと、隣で胸をガン見する男性作業員に視線を向ける。「えっと、友だちにあんまり胸見られるようならお金とりな。って、言われたんだけど、くれるの?」


 何故、それを夜恵が聞くのだろうか。

 胸を見ていた作業員も苦笑い。そして、その作業員はポケットから飴玉を取り出すと、夜恵に手渡し、頭を撫でてどこか子どもと戯れたかのような清い顔で手を振り去って行った。


「わ、飴もらった。ラッキー」

「……夜恵」きっと志稲は思っているのだろう。このチョロイ子どものような大人を守れるのは自分しかいない。と――握りしめた拳から、それが沸々と伝わってくる。

「こいつ、天然記念物か何かだろう……」さすがの兎も引いていた。


「なに二人して変な顔してるの?」

「……ううん、なんでもないよ」志稲はそう言うしかなかったのだろう。夜恵の背中を押し、食堂から出ていく。「えっと、夜恵は、最初だからとりあえず、見てるだけ」

「え? それだけ?」

「危ない、よ?」


 この工場は新人に何をさせようというのだろうか? ものによっては、確かに危ない作業もするだろう。しかし、見ているだけで良いと言われ、尚且つ危ないと言われる。ここはエアコン製造工場である。


「エアコンって危ないの?」

「うん、危ない」

「……ここだけですぜ」げんなりと言う兎から、この工場がどれだけ過酷かわかるだろう。「昔、別の会社の工場から引き抜かれた奴らが言ってたですぜ。お家(前の工場)帰りたい。ってな」


 その作業員の現在の状況が気になるところだが、きっと辞めたか、人外にまで昇華したかのどちらかだろう。


 そして、三人は自分たちの持ち場であるライオンラインに辿り着くと、志稲が夜恵の手を引き、ホワイトボードの前に立つ。


 ホワイトボードにはずらずらと文字が書かれており、夜恵はじっとそれを見始める。


「これは――?」

「あ、ちょっと待っていて」同じくホワイトボードの前に集まってきた作業員に、志稲が視線を向けると、まずは朝の挨拶。「……おはようございます。今日は『イ1800(い、いちはち)』が3000台ロット、『イ1600(い、いちろく)』が1500台ロット、『ロ2400(ろ、にいよん)』が500台ロットです。最後の方で、ロ2400をやりますが、作業が変わる方がいると思いますので、作業を覚えていない方がいたら、早めに言ってください」


 作業員たちが各々に返事をしたのを、志稲は頷くことで確認し、次にホワイトボードに描かれている表を指差す。


「それと、昨日の工程内不良です。エアコンの中からネジが出てきました。ラインが速く、音に気が付かなかったのかもしれませんが、落としたらラインを止めても良いので知らせてください。それと、アースのつけ忘れが一件、忘れはなくしていきましょう。あとは……」志稲は兎を睨み、大きくため息。「モーターセット不良が三件、サーミスタ半挿しが四件――昨日はいつにも増して不良が多かったです」

「おっぱいが気になったから仕方ねぇですぜ――ぐあっ!」


 兎の胸に手を当てた志稲の腰が一度動いたように見えた。その瞬間、殴られたようには見えない兎が血を吐き出す。


「……作業中、夜恵に何かする度、臓器を破壊しますよ?」

「体の中は回復が遅いんで勘弁してくだしぇ」こぽこぽと口から血を噴き出しながら兎は喋る。


 そして、志稲は夜恵を自分にもっと近づけると、他の作業員に話し出す。

「今日からここのラインで働いてくれる、美月 夜恵……ちゃんです。みなさんがしてもらったように、優しく色々教えてあげてください」

「優しくされた記憶のないあっしはどうしたら?」

「近づかないでください」

「あっしが指導係なんですぜ!」


 志稲があからさまに面倒そうな表情をするのだが、すぐに表情を元に戻し、夜恵の背中をそっと押す。


「えっと……それじゃあ夜恵、一言」

「え? あ、うん――」夜恵が作業員たちを見渡すのだが、やはり視線はその胸に集まっており、1秒ほど思案顔を浮かべた夜恵が、息を吸う。「美月 夜恵です。工場自体初めてで、ご迷惑をかけると思いますが、出来るだけ早く慣れて頑張りたいです。あ、それと、さっき胸を見た代償に飴を貰ったので、見るんなら飴くださ――むぐぐ」


 志稲に口を塞がれる夜恵。

 夜恵の発言で、ポケットに入った飴を取り出す作業員を志稲は睨み、作業に付くように言う。そして、夜恵と兎を連れ、エアコンのモーターを取り付ける場所まで歩く。


「……それじゃあ夜恵はここで見ていて」

「う、うん――本当に見てるだけで良いの?」

「――ああ、むしろそうしてくれないと困るからな」

「ありゃ、金剛さん」

 夜恵が戸惑っていると、金剛が現れ、大人らしい笑みで夜恵と志稲を見る。


「美月さんには、まず見て慣れてもらう。そして、ここより遅い練習用のラインで経験を積んでもらおうと思っている」

「え? あっしらと待遇違すぎじゃ――」

「貴様と美月さんを一緒に考えてはいかんだろう。そもそも、あの物の怪と志稲は『そういうの』に慣れていたが、美月さんはまったくの一般人だぞ」金剛は兎の肩にチョップを放つと、呆れたように口を開く。「貴様もいつの間にか人外になっているし、そういう素質があったのだろうが、美月さんを貴様らのような化け物にするわけにはいかんだろう」


 兎の肩から乾いた音が響いたのだが、兎が何でもないように腕を持ち、肩を持ち上げると、そのまま腕を回し始めたのである。あの音からして、骨が折れたように感じたが、気のせいだったらしい。


「まぁ……うん、頭の言う通りにしますぜ」

「随分と素直だな?」

「……その嬢ちゃん、何というか、とんでもなく危ういんだよなぁ」

「貴様でもわかるか……」

 金剛と兎が揃って首を傾げている夜恵に視線を向ける。


 少し夜恵と接した男性陣が、飴玉一つで誘拐されそうな25歳児を心配げな瞳で見るのは当然であろう。

 金剛は当然だが、今まで散々常識外れな発言をしてきた兎でさえ、そう思わせてしまうのである。


「ねぇ志稲、二人は何で深刻そうな顔してるの?」

「え? う~んと……や、夜恵に怪我とかがないように、かな?」

「あぁ、工場って危なそうだもんね。うん、気を付けなきゃ」

 夜恵の言葉に、志稲は相変わらずの苦笑い。


 すると、どこからかチャイムが鳴り、兎が首を鳴らしながらラインに近づき、サーミスタにクリップをはめる。


「あ、ああやってサーミスタ――あのコードにクリップを付けるの。あれは時間がある時、出来るだけ事前に作っておいた方が楽かも」


 夜恵が兎の肩から顔を出し、たった今取り付けられたモーターとクリップ付きのサーミスタをじっくりと見る……もちろん、兎に体を密着させて。


「……これはなんの拷問ですぜぃ?」

「耐えろ」


 兎の背中に当たり、形が変わった胸から視線を外す金剛と柔らかな感触に意識がいかないように、息を荒げ目を見開きながらラインを眺める兎。

 そして、再度チャイムが鳴り、ラインが動き始める。


「え――?」

 夜恵が声を上げたのも束の間――ラインが動き始める。それも恐ろしく速く。

 夜恵がエアコンのパーツを呆けて眺めるのだが、兎の腕の動きは追えていなかった。


 速すぎる……夜恵のような一般人であるなら、3メートル程エアコンと一緒に進んでやっとモーターがセット出来るという速さであるのだが、他の作業員や兎は一切その場から動かず、それを行なっていた。


「ありゃ、今日はなんか遅いな? これ、ノルマ達成できなくねぇんじゃねぇですかい?」

「いや、今日は美月さんがいるからな。工場長曰く、夜勤に頑張ってもらうらしい」


 これで遅いと言うのか――ただの変態だと思われている兎ですら、この速さが遅いというのである。さすが10年も勤めていたと感心するが、夜恵の思考はどう見ても追いついていなかった。


「……夜恵、大丈夫?」

「う、うん――」

 夜恵がラインから一切目を離さずに答えるのだが、その瞳はおよそ遠くを見ていた。


 そんな夜恵がいるライオンラインだが、突然、隣のカバラインの先頭から大きな声が聞こえてきたことにより、夜恵はハッとする。


「お前たち! 我らカバラインは今朝、工場長様よりお叱りを受けた! 昨日は様々な不良で作業が止まってしまったが、今日はそれを許すわけにはいかん! しかし、これはチャンスだ! ここでマイナスを失くし、圧倒的プラスで工場長様に喜んでもらうのだ!」カバラインのラインリーダーなのだろう。彼は暑苦しい言葉を叫び、作業員に喝を与えているのだが、やる気があるのはそのラインリーダーだけ――他の作業員は呆れたように返事をしていた。しかし、そのラインリーダーが大きく息を吸ったのを見て、カバラインの作業員と志稲、金剛に兎が顔を歪めた。


「かーーーーーっつっ!」

 この世のものとは思えない怒号――声は空気を震わし、ガタガタと近くにある物体全てを揺らしていく。


 その瞬間――志稲が夜恵の左耳、兎が右耳を押え、金剛が夜恵の前に立つ。

 金剛が前に立ったことで、空気の振動が夜恵の元まで届かない。


 普通、空気の動きなど、一般的な生活を送っていれば見ることは出来ないのだが、金剛という壁により、薄くだが白い衝撃が目視出来ていると錯覚するほどであった。


 だが、この声がもたらした驚きはそれだけではない。


 なんと、その声を聞いたカバライン――それだけではなく、今まさに作業を始めようとしていたライオンラインの作業員も突然、がくりと体から力が抜けたように両腕を下ろしたのである。


 そして、カバラインのラインがさらに速く――最早、目で追うのも難しいほどの速さになった途端、カバラインの作業員が奇声を発しながら高速で両腕を動かし始めたのである。


「え、え? なに?」夜恵が顔を引き攣らせる。当たり前である。

「……まったく、あいつは相変わらず、周りまで巻き込んで」

「……どうしましょう? こっちの人たちまでああなっちゃった」志稲が言う『ああ』とは、ライオンラインの作業員もカバラインの作業員同様、高速で腕を動かし始めていたのである。しかし、ラインが遅く、最早意味がないが。


「あのおっさん、声がデカすぎて『声による強制発破(バーサーカーモード)』を使いこなせてねぇですからね」

「……再教育ものだが、声の大きさばかりはな」金剛は頭を掻くのだが、呆れたような表情を兎に向ける。「しかし、貴様は最近、これの効きが悪くなってきたな?」

「あ~、そうですねぃ。あっしも染まってきたってところですかい?」すると兎、どこかばつの悪そうに作業員を眺める。「これ、どうするつもりですかい? ライン速くしねぇと逆に狂っちまいそうでさぁ」


「確かにな。志稲、ラインの速度を上げろ。美月さんには練習用のラインに行ってもらう」

「は、はい」金剛の指示で、せかせかと動く志稲。

 兎がラインから外れると、隣で作業をしていた男性が、モーターセットも一緒にやり始めたのが見える。


「さて、あっしはどうしましょう? まだ時給なんで、帰りたくはねぇですが」

「俺の発破なら効くか?」

「……頭のバーサーカーモードは明日キツくなるんで勘弁してくだせぇ」

「それもそうだな」金剛が薄く笑い、しばし考え込む。そして、志稲が戻ってくると、ポケットから1000円札を取り出し、志稲に渡す。「まぁ、今日は美月さんの初日だ。のんびりやると良い。兎、貴様も今日は美月さんに付いていても良い。だが――」


「なんもしないですぜぃ。そもそもあっしは童貞ですぜ! 何も出来ないですぜ!」

「……そうか」下着が見えていただけで鼻血を出し、胸を当てられただけで困惑するほどの兎である。確かに信用出来るだろう。金剛もそう思ったのか、兎の肩を軽く叩いた後、志稲に体を向ける。「ここは俺がなんとかする。志稲はそっちを頼む。練習用なら、飲み物を飲みながらでも出来るだろうから、それで買うと良い」

「は、はい。ありがとうございます」志稲の言葉に夜恵も兎も頭を下げる。


 志稲が夜恵の手を引き歩くのだが、どうにも夜恵の表情が優れない。

 夜恵はチラチラと奇声を発する作業員たちに視線を向けるのだが、段々と顔を伏せていく。


「夜恵?」

「お、ビビっちまったかい?」

「………………」当然だろう。明らかに自分の意思とは関係なく動く作業員たち――そんな光景を見せられ、平気でいられるものか。「私……」

 夜恵がついに両目を閉じ、多少瞳に浮かんだ涙を拭う。

「ホラー苦手なの!」思っていた答えと違う。「白目に涎って完全にゾンビじゃない!」


 夜恵の言うように、作業員たちが「ア~ア~」言いながら涎を垂らしており、白目をむきながら高速で腕を動かしているのである。確かにホラー。


「……あんた、実は大物だろう?」

「ま、まぁ、この工場のことを、嫌いにならなくて良かった、かな?」

「ゾンビがいる工場は嫌よぉ」


 夜恵は作業員たちから目を逸らし、右腕を志稲の左腕に組み、左腕を兎の右腕と組む。

「……あっしはあんたが怖いですぜぃ」腕を震わせる兎が、夜恵を見ないように首を動かすのだが、どうしても胸が気になるようで、空いた手を使って首を動かさないようにしていた。「あんたはもうちっとそんな形をしてる自覚をだな――あ、若頭はもうちっと女らしく」


「……余計なお世話です。それに、もう諦めてますし」

「あ~、またそんなこと言ってる。志稲可愛いじゃない」

「悪いのはどこだ? 目か? 頭か?」兎が夜恵を嘲る。

 夜恵は頬を膨らませ、志稲の手を引きさっさと歩いていく。

 志稲も夜恵に可愛いと言われたからか、多少頬が緩んでおり、満足げに頷きながら自動販売機を指差した。


「夜恵、飲み物買っていこう? 班長、お金くれたし」

「うん――って、ありゃ?」いくつも並んでいる自動販売機。夜恵はその一つに視線を向ける。「ミムーあるじゃん。私、これ好きなんだぁ。最近、コンビニでも見かけなくなったから、ちょっと感動」

「あんた、見た目はとんでもなく大人なくせして、結構ガキだな」

「え~、ミムー美味しいじゃない。毎日飲みたいくらい――まぁ、スーパーにわざわざ行ってほぼ毎日飲んでるけれど」


 兎の言葉に、さらに膨らんだ夜恵を宥める志稲は自販機に千円札を入れ、緑茶を買おうとするのだが、横から――と、いうより、下から伸びてきた手により、ブラックのコーヒーを購入してしまった。


「やっぱ、朝はコーヒーよねぇ」乙愛が自販機の出口からコーヒーを取り出した。

「……工場長」志稲は出てきたおつりを夜恵と兎に手渡し、今度こそ緑茶を購入。そして、乙愛を見る。「班長におつり返そうと思ってたんですけれど……」

「良いのよ別に。それに、勇雄もきっとあたしありきで貴方たちに千円も渡したんだわ、そうに決まっているわ」

 その圧倒的な自信から来る根拠はどこから生まれ出でたのだろうか。


「わ、工場長ちゃん、コーヒーブラックで飲むんですか? 大人ですね」工場長ちゃんとは――夜恵が驚いている。「私、コーヒー苦くて飲めないから羨ましいです。最近の若い子ってすごいんですねぇ」

「え、あ、うぇ?」乙愛が狼狽える。そして、コーヒーブラックの缶を口に運び、呷る。「あ、あれよぉ! せ、背伸びしたいお年頃! 本当は苦いのよ! あ~、苦いわぁ……キャハっ」


「何が、キャハっ――じゃ。いい加減無理しない方が良いんじゃないですかい? 体に障りますぜぃ」

「……うるっさいわよ」兎を睨みつける乙愛だがふと、夜恵が購入したミムーをまじまじと見つめる。「夜恵ちゃんは、逆に子どもっぽいわね」


「え~、工場長ちゃんまで。む~、美味しいのに」

「わ、私も好きだよ!」すかさず、落ち込んだように顔を伏せた夜恵のフォローをする志稲。「あ、あんまり飲まないけれど、コンビニにあったら買っちゃうかなぁ」

「でしょぉ?」

「志稲、友だちが出来て嬉しいのはわかるけれど、こういうのに乗っちゃ駄目よ? 正直に生きなきゃ地獄で鬼に舌を抜かれるわ」どの口が言うのかわからないが、乙愛の言い分ではミムーを好んで買う大人はいない。と、いう偏見である。

「ほ、本当に飲みますよ! 私、牛乳とか豆乳、ヨーグルトが得意じゃないから、ミムーとかユケレタしか飲まないですし」

 ユケレタとは『株式会社Yukelt』の乳酸菌飲料である。


 だが、相変わらず夜恵から視線を外す志稲。嘘ではないのだろうが、本当にあまり飲まないのだろう。


「ね、年に一回……くらいは」

「それを好んでいるとは言わないわよ。まぁ、夜恵ちゃん童顔だし、似合っているわよ」この場で最も童顔のニセ幼女に夜恵は言われた。

「む~、工場長ちゃんに童顔って言われた。けど、小さい頃からずっと飲んで来たし、今さら止めるのもなぁ」


「あらら、昔っから子どもっぽかったのねぇ……ん?」乙愛が何かに気が付く。「……夜恵ちゃん、小学生の時、最高でなにカップだった?」

「え? 胸? えっと、Cでしたよ」

「……小学生にしては大きいわね。ちなみに今は?」

「え? Dですよ――」


「嘘よ!」乙愛が大きく叫ぶ。「そのおっぱいはどう考えてもEかFだわ! 今度ちゃんと測ってもらいなさい! それと、あなたトップとアンダーはいくつよ」

「え~っと、トップが85超えたかな? アンダーが60ぅ~……ちょっと――」

「モデルやりなさいよ! って、ブラキツいでしょチクショー」


「………………」目からハイライトが消えたような表情で胸をさすっている志稲。

 しかし、女性が三人も揃い、大声で胸の話をするものなのであろうか、いや、しないだろう。


 志稲が突如ハッとなり、乙愛の大声でこちらを見ている作業員を睨む。

「……女三人寄れば姦しい。なんて言うが、ここまでなんですかい」兎は鼻血を垂らしながら、夜恵の胸を一度見ては深呼吸をし、志稲と乙愛の胸を見て、安堵の息を吐く。を、繰り返していた。そして、炭酸飲料を購入し、一息――。


「……そっちの失礼な兎はあとで鍋にするとして」乙愛が財布から百円玉を取り出し、ミムーを購入。「これが秘訣だったのね」

「あ、工場長ちゃんは飲んだ方が良いですよ。カルシウムたっぷりですよ。私、身長小さかったですけど、伸びましたもん」

 そう言う夜恵の身長は165である。


「……ありがとう。でも、夜恵ちゃんもそこまで大きくないわよね?」

「工場長ちゃんに言われた! 四捨五入で170です!」


 体の何かしらにコンプレックスを抱いている者が使う魔法の言葉――四捨五入。

 それと、四捨五入の理不尽その1――5や4の扱いの広さである。3なら良い、6なら良い。


 確かにカルシウムは身長に良いとされているが、それは成長期の話であり、本来はただただ骨を強くするのである。

 乙愛には今さらなものだろう。


「親父(工場長)には確かに良いかもしれねぇですぜ? 骨粗しょう症とかに――」

「うっさいわよ!」兎の腹に向かって拳を放った乙愛だが、少し考え込んだ後、夜恵に控えめな視線を向ける。「……っと、さっき大声出したアホには後で制裁しとくわね」


「へ? 横のラインの方ですか?」

「そうそう、初めての子がいるから大人しくしておきなさいって言ったつもりだったけれど、聞いていなかったみたいね。勇雄にコンボを極める様に言っておくわ」

「うん?」何故、自分でやらないのだろうか? わざわざ金剛にやってもらわなくても、乙愛がやった方が早いような気がするのだが……夜恵は首を傾げる。「工場長ちゃんが注意しないの?」

「あたしがやったら喜ぶのよ」


「ああ、カバ組の若頭は確かロリコンだったな」兎が喉を鳴らし、次第に大きな声で笑い出す。「そういやぁ、あいつだったか? 親父が頭とガチバトルをした時、巻き込まれたにも関わらず『達してた』のは」

「達して?」

夜恵が兎にそう尋ねるのだが、ろくな意味ではないだろう。と、いうより、およそそのままの意味であり、顔を赤らめた志稲が夜恵の袖を引っ張り、少しだけ乙愛と兎から距離を取らせる。


「……あたしが思い切り殴った瞬間、ビクンビクンだものねぇ。常人なら腕が千切れるくらいの威力だったはずなんだけれど……あんたと同じで、無駄に硬いのよね」


 最早、ツッコむまい。


「あんな変態と一緒にしないでくだせぇ。あっしは健全ですぜ」

「まぁ、夜恵ちゃんのおっぱいを直視できないほど、童貞こじらせてるものね」乙愛が兎の下半身に蔑むような視線を向け、小さくため息を吐くと手を叩き、夜恵に子どものような笑顔を向ける。「そういえば、今から練習用のラインに行くのよね? 一緒しても良いかしら?」


「え? えっと――」夜恵は志稲に、視線で良いかどうかを尋ねると彼女が頷いており、すぐに答える。「良いそうだよ。あ、でも――工場長ちゃんとラインリーダーさんの志稲の偉い人たちに見られると緊張するかも」

「ああ、あるわねぇ。でも慣れなきゃ駄目よ? たまに視察で本社から偉いハゲどもが遊びに来るから」


「え~、一体何を見に来るんですか?」夜恵は唯でさえ、目視できないスピードで作業している作業員たちを指差し、そもそも見えない。と、笑う。そして、ふと思案顔を浮かべ、口を開く。「偉い人って、どうしてハゲてるんだろ?」


「……偉い人への風評被害ですぜぃ」

「作業は見てないのよ。現場が綺麗か、ちゃんとあたしたちが指導してるか、環境に良いことはしてるか――環境をどうこう言うなら、そもそもエアコンをぶっ壊すべきなのよねぇ」

 工場長である乙愛の元も子もない御言葉である。


 そうこうして、自動販売機の前で喋っている夜恵、志稲、乙愛、兎だが、そろそろ作業に入ろう。と、のそのそ――と、いうより、女性三人が会話に華を添えながら進んでいるために、一向にその練習用のラインに辿り着かない。

 兎が呆れているが、特に強くは言わず、三人娘から2、3歩離れた場所から後をついて歩いていた。

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