第1章 第1話 常識非常識――これが工場、向上心

「めっちゃ見られてる……」

 昨日、金に釣られ電話をした夜恵なのだが、明日――つまり、今日面接をすると言われ、夜恵はこうして面接を受けに工場の外を歩いている。


だが、休憩しているのか30~40の男性たちが喫煙所から夜恵を――と、いうより、胸をガン見しながら煙草の灰をその場に落としてしまっていた。

「ここの人、どれだけ女の人に飢えてるのよ」

 男性たちからの視線を躱しながら、夜恵は電話で指定された場所で腕時計に目をやる。


 すると、夜恵と同じく面接を受けに来たのか、Tシャツやジャージを着ている男の子たちが挙動を不審にしながら現れたのである。

 服装自由――電話でそう言われた夜恵だが、いくらなんでも私服ではマズいと朝から頭を悩ませ、結局スーツを着ているが、どうやら他の人はきっちりかっちり自由に着飾ってきたらしい。


 夜恵は頭を掻き、首をあちこちに振りながら辺りを見渡す。

 そして、ニヤりと笑みを浮かべた。

 勝った。きっとそう思ったのだろう。


 緊張から来ていただろう力を肩から抜き、夜恵はさわやかな笑みで伸びをした。

その際、周囲の男たちが血走った目を向けていたのだが、夜恵はそんなことは気にせず、工場の中から現れた2メートルはあるだろう身長の男性に、多少吃驚しながら頭を下げた。


「みなさん、はじめまして。この工場――エアコン製造の班長の一人、金剛(こんごう) 勇雄(いさお)です」

 大柄な男性とは思えないほど優しい声で自己紹介をする金剛 勇雄(42歳)。金剛は一通り面接に訪れた人々に視線を向けるのだが、夜恵を見て驚いたような表情を浮かべる。

「……何か?」

「あ、いや、聞いてはいたのですが、まさか本当に女性の方が来るとは思っていなかったので」

「……?」含みのある金剛の言葉に、夜恵は首を傾げることしか出来なかったが、歩き出した金剛の背中を追うために、足を動かす。


「さて、みなさん。ここは基本的に来るもの拒まず、出るもの追わずをモットーにしています」今は休憩の時間だからか、工場の機械は動いておらず、作業員もそこらで座っていた。そんな作業員を横目に、金剛は笑みを浮かべる。「つまり、面接などする必要はないのですが、形だけでも。と、いうことで、工場見学を兼ねてみなさんにはここに来てもらいました」


 面接に来た人間は無条件で就職できる。と、金剛は笑うのだが、夜恵を含めた面接に来た人々は訝しげな表情を浮かべた。

 それは当然である。何故なら、この就職難なご時世、さらに一般的に考えても多いとされる給料をくれるにも関わらず、無条件で就職が果たせるのである。怪しさが勝るのは当然だろう。


「あの……」夜恵は堪え切れず、金剛に尋ねる。「ここって、普通の工場ですよね?」

「………………」金剛が一呼吸置いた後、笑みを浮かべて垂れ幕を指差す。そこには『楽園へようこそ』と、キラキラしたような、ついでに楽しげな顔文字までセットで描かれていたのである。胡散臭さは倍増。「あれを見てもらえればわかる通りですよ」

 金剛がニッコリ――夜恵は引き攣った表情で返した。


 しかし、ふと夜恵が垂れ幕を凝視する。楽園の文字の下、そこには小さな文字で、『地獄』と、書かれていた。

「……あの、あの下の文字は?」

「下?」金剛が夜恵の視線を追い、楽園の下の地獄を認識した。そして、変わらず優し気な笑みで夜恵を含めた面接に来た人たちに頭を下げる。「少し待っていてくださいね」


 金剛はスタスタと歩いていき、紙コップと煙草を持っている男性に近づいた。きっと喫煙所に行く途中だったのだろう。

「おや、頭(かしら)、どうかしたんですぜ――」

 男が金剛に気が付き、不精髭の生えた顔を金剛に向けた瞬間――道路交通法を無視したスピードで車と人がごっつんっこした時のような音が響いた。

 男は口から血を吐き出し、金剛の拳により、高く突き上げられた。


「……あの地獄という文字――貴様か?」

金剛が問いかけたと同時に、ぼろ雑巾のように落ちてくる男。

そして、息も絶え絶えに、金剛に言葉を返す。

「……う、嘘はいけねぇと思いまして」

「はて? わが社は嘘など吐かんよ」

「げ、現にこうやって――」

「貴様が問題児だからな。周りを見てみろ」


金剛の言葉に倣い、男が首を動かすのだが、他の作業員が指差して笑っており、口々に「また兎のやつがなんかやらかしたのか?」と、まるで日常風景だと言わんばかりに、特に気にした様子も見せなかった。

「――貴様だけだよ」

「鬼ぃ! 悪魔ぁ! 巨人――」

「何度でも殺してほしいようだな」

「……」男が脂汗を流し、小さく息を吐く。「な、な~んちゃって! あ、あれですぜ! ここは工場ですからね! 楽だと思ってほしくなかったのですぜ。工場は楽だと思ってた。で、すぐに辞められても困りますからね! それをわかってほしかっただけですぜぇ!」


「……ああ、そうだな。貴様がここに入った時に放った言葉が思い出されるな」

 金剛の声に周囲の作業員が吹き出し「あっしが入れば、こんな小さな工場なんて余裕ですぜ。ま、高が工場ですからね。だったか?」と、呟く。

この兎と呼ばれていた男、自意識が全力フルマラソンをしていたらしい。

 そんな呟きを聞いたからか、夜恵も視線を隅にやり、額から汗を流していた。


 そして、まず一人――。


 そんな夜恵の動揺も知らず、頬に血が伝った顔で戻ってきた金剛が再度頭を下げる。

「いや、すまない。ばか――作業員の一人がやらかしてしまったようでね。おや――」ハンカチで汗を拭う夜恵を金剛が見る。「どうかしましたか?」

「あ、あはは。い、いえ――少し親近感を」

「はぁ?」

 考えても仕方のないことだと察したのか、金剛が手のひらを前に出し、歩くように促す。


「ああそうだ。ここはライン作業が基本なんですが、それぞれのラインには名前があり、みなさんにはどこかしらに行ってもらいます」金剛が一番近くのラインを指差す。「こっちは室内機の製造で、ラインが三つありますよね。右から、シマウマ、ライオン、カバ――」


「幼稚園かよ!」すかさず、夜恵がツッコミを入れる。「はっ、す、すみません」

「……まぁ似たようなものです。現にさっきのばか――作業員はシマウマ組、ライオン組、カバ組と呼んでいますし」金剛が初めて笑み以外の表情、苦笑いを浮かべ、すぐに奥の方を指差す。「あちらは室外機なのですが、今人手が足りないのは室内機なので、みなさんには関係がないと思います。それと、もう少し進むと箱入れや傷のチェックなどをする班があるのですが、そちらも人手は十分ですからね」

 つまり、今名前の挙がったシマウマ、ライオン、カバのラインが夜恵たちに入ってもらいたい場所なのだろう。


「今話した、シマウマ、ライオン、カバの班長は私です。安心してください、どの班長よりも会話が成立します」

「――ん?」夜恵が首を傾げる。


 二人目――。


「他の班長は私と違い、職人魂にパラメーターを全フリしたような方々なので、専門用語が多いんですよ」金剛を先頭に暫く歩くと、そこは椅子と長い机が設置されたただっ広い空間であり、どこからか食べ物の匂いがしてきた。「さて、ここは食堂です。うちの自慢の一つです」

 金剛の言う通り、食欲を誘う香りは、まるでホテルのバイキングに訪れた時のような匂いが漂っており、朝から沢庵を二切れしか食べていない夜恵はお腹を可愛らしく鳴らした。


「……あぅ」

「おや、朝を抜いてきたのですか?」

「あ、はい。ちょっとごたごたしてて」

「それはそれは――なら、お昼はここで食べると良いですよ。私が奢りましょう」

「わ、ありがとうございます」夜恵は花のように咲いた笑みを浮かべ、瞳を輝かせながら胸を揺らす。


 見た目からもチョロイとわかる女、夜恵である。

 およそ、さっきまで浮かんでいただろう疑問を忘れるほど、お腹が空いていたのだろう。金剛に対して夜恵の向ける瞳はまるで仏様を見るようなものである。

「そこまで喜んでもらえると、奢り甲斐がありますね」

「え? あ、顔に出てました?」

「ええ、とっても」金剛が柔らかな笑みを夜恵に向ける。「こんなところ……いえ、あんな広告――いえいえ、わざわざ工場で働こうという方ですから、どんな方かと思いましたが、美月さんは良い方ですね」

「そうですかね?」


 褒められただけで聞き捨てならない言葉を聞き逃す女、夜恵。

「ええ。ただ、先ほどからわかるように、ここの作業員は女性にとんでもなく飢えています。その……」金剛が少し照れたようにはにかみ、夜恵の胸を控えめに指差す。「あまり、それを強調するのは止した方が良いかと」

「ああ、はい、気を付けます。あ、でも」夜恵には気になったことがあるのか、おずおずと手を上げる。「女性は二人いるんですよね? もしかして、二人とも既婚者とかだから手が出せないとかですか?」

「……いえ、二人とも独身です。あとで二人とも紹介するのですが、片方はラインのリーダーで、美月さんとも歳が近いですよ」金剛が振り返り、今全員が入ってきた方向を見る。「噂をすれば――」


「ふんっ!」轟音――金剛に倣い、視線を食堂の外に向けた瞬間、人を10人から20人はヤってそうな、ツリ目のきつい顔をした女性が先ほどの兎の顔面を掴み、壁に叩きつけていた。「……もう作業、始まっています、よ?」

「お、おっぱいが見たかったんですぜ――いたたたたっ」

「それが作業を休む理由になるとでも? それと、私は理由を聞いたんじゃなくて、さっさと戻って作業をしろ。と、言ったつもり、なんですよ?」

「へ! 日本語はちゃんと使うべきですぜ――ひっ! 顔こわ!」

「粛清――」


 兎を壁に埋めたまま、ツリ目の女性は体を動かさず、大きく息を吸う。

 次の瞬間、再度轟音。攻撃のモーションがないにも関わらず、どんどん壁に埋まっていく兎。

 そして、兎の顔が半分ほど埋まったところで、女性が彼を引き抜き、そのまま連れていく。


「………………」夜恵は呆然とする。

「……彼女がラインリーダーです。ある一定には厳しいですが、仕事は真面目にやりますし、ああ見えて動物好きなところがあるなど、とても優秀な方ですよ」金剛が頭を抱えていると、二人の男性がお手洗いに行きたいと言い、金剛は疲れたような笑みで了承する。「美月さん、良かったら仲良くしてあげてください。志稲――彼女はあんな顔ですからね、そこそこ大変だったそうで」

「え、ええ――」夜恵は困りながらだが、はっきりと返事をした。


 三人目、四人目。


「ありがとうございます。もう片方の女性はどうでも良いのですが、彼女はまだ若いですし、どうか美月さんが彼女の世界を広げてあげてください」

「は、はい! えっと、金剛さん、なんかお父さんみたい――って、すみません!」

「ふふ――この工場では、出来ればそういう立場でいたいと思っていますから、素直に嬉しいですよ」

「何だか、苦労してそうですね――って、これも失礼ですね」兎という男がいるのである。苦労していないわけがない。すると、夜恵がまた首を傾げる。「あれ? でも、広告の募集文、書いたのはさっきの人じゃないですよね? それなら、もう一人の女性、若いんじゃないんですか?」


 あんな文章をまともな人間が書けるはずがない。夜恵の疑問はもっともである。

「ああ、あの文章を書いたのは物の怪――」

「誰が物の怪ですかぁ?」いつの間にか、近くの椅子に座っている少女――しかし、発せられる威圧感が圧倒的であり、夜恵が本能なのか、たじろぐのが見える。

「……チっ」金剛が舌打ちをした。「『工場長』まだ貴女の紹介はしませんよ?」

「あら、良いじゃない勇雄。あたし、どんな子が来るか楽しみ過ぎて7時間30分くらいしか眠れなかったんだもの」

「……一生寝てろ」

「あ?」少女が立ち上がり、金剛と向かい合うように対峙し、首の骨を鳴らす。

「やりますか?」


 夜恵を除いた最後の一人――五人目が外に向かって一目散に駆けて行った。

 金剛と少女の二人が放つ圧倒的闘いの気配――一般的な工場では感じるはずもない雰囲気に、夜恵は顔を引き攣らせながらも、その光景を凝視していた。

 両者がジリジリと足先を動かし、間合いを測り、互いが持つ必殺の距離に相手を入れようと動く。


 しかし、食堂入り口で様子を窺っていた者――兎が嫌悪感丸出しの顔を少女に向けた。またしても、この男はやらかすのか。


「おいババア! あんたがそこに立ったら、新入社員のおっぱいが見えねぇじゃねぇですかい!」

「――ッ!」


 刹那――風が夜恵と金剛の頬を撫でる。

 それと同時に、パンっという破裂音が鳴り、暴風が吹き出し、周囲の椅子と机が舞い上げられた。


 夜恵は本能的に腕で顔を覆い、風から自身を守ろうとするのだが、ふわりと体が浮き、恐怖に瞳を濡らす。

 しかし、金剛が夜恵の体を抱きしめ、暴風から夜恵を守る。

「――ったく、あの阿呆。全力を出すのなら、時と場所と場合を考えろ」金剛が夜恵の頭をしっかりと胸に抱え、足を思い切り踏み込んだ。「……美月さん、少し痛いかもしれませんが、我慢してください」

「は、はい!」


 金剛の腕に力が入っていることは、浮き出た血管でよくわかる。

 そして、暴風の中心――少女が口角を吊り上げ、歯を剥き出しにし、およそ少女には見えない鬼のような表情で、兎の四肢にその細い指を打ち付ける。


「龍宮流製造術――『サーミスタ取り付けの基本(ジャストコンプレッサー)』」

 兎の四肢にある骨と骨の接続部分。少女がそこに指をねじ込むと「コきり」と、乾いた音が鳴り、兎を打ち抜いた。


「がっ――」兎の作業着とズボン、その足の付け根と腕の付け根、そこから布が拡散し、兎の衣服を吹き飛ばしていった。

 ドサり――兎がその場に足をあちこちに曲げながら崩れ落ち、白目で口からは涎を垂らし、両手はダラリと投げ出され、両足で見事な直角を作り出していた。

 四肢の骨が……外されている。


 暴風が収まり、その場に佇む少女。しかし、振り返った時には、瞳に涙を貯め、見た目相応、いや、幼子のようにコロコロとした雰囲気で夜恵に駆け寄った。

「わぁ~ん、あのお兄ちゃんがあたしのことをいじめるですぅ」

「え? あ――」夜恵が頭にクエッションマークを浮かべ、金剛と少女を交互に見る。


「……今さら遅いですよ工場長。それと、美月さんには近づかないでください、アホがうつる」

「あん? って、ち~が~う~。あたしねぇ、怖かったのぉ」どこまでも被害者を演じようとする少女――否、この工場の長である龍宮(りゅうぐう) 乙愛(おとめ)。彼女、乙愛( 歳)は金剛の腕を躱し、夜恵の胸に飛びつく。「えへへぇ――って、なにこれヤバ、未知の感触! おっぱいってすごい!」


「……」金剛がため息を吐く。そして、夜恵に顔を向け、乙愛を体から引き剥がした。「…………する必要はないと思いますが、工場長、自己紹介を」

「もう! 勇雄ったら硬いんだから――っと、ごめんねぇ、あたし、龍宮 乙愛、12歳よ!」


 無理がありすぎるだろう。

これが小学校付近で、ランドセルを背負っていたのなら綺麗な金髪の女の子がいるな。と、思えるのだろうが、先ほど兎に向けたヤクザ者の映画に出てくるラスボスのような顔で、四肢の骨を一瞬で外すという人外じみた技を披露した後では、最早道化――金剛の言うように物の怪としか思えない。


「美月 夜恵ちゃんよね? やったぁ、女の子だぁ。もう残っているのも夜恵ちゃんだけだし、これは決まったわね!」

「え? のこ――」

 夜恵は振り返り、辺りをキョロキョロ――気が付いてしまった。最初に夜恵と一緒に面接を受けに来た男性たちの姿はそこにはなく、夜恵は口をあんぐりと開け、呆然とした。

「え、あれ? 他――」

「みんな帰ったわよぉ。もう、根性ないんだからぁ」

「あ、う、え?」

 夜恵がおどおどとしている。


 当然であろう。この工場に来てから、現実離れした光景を幾つも見せられ、それだけではなく、あれだけいた人間が何も言わず、無言で帰ってしまったのである。夜恵の心が揺れるのも仕方のないことだろう。


「………………」すると、それを察したからかわからないが、金剛が乙愛の視線を遮るように夜恵の向かいに立ち、膝を下り、目線を夜恵に合わせる。「美月さん、無理はしなくても良いんですよ」


「ちょっと勇雄、何を言っているのよ」

「少し黙っていてください」金剛が後ろ手で乙愛の顔を掴み黙らせ、夜恵に続ける。「今見てもらった通り、ここには私を含め、ろくな人間がいません。ここで普通に働くのは難しいでしょう。しかし……」


「……」夜恵は金剛の言葉を黙って待つ。

「私は、この縁がとても素敵なものになると思っています。ですから少しだけ――本当に少しだけで良いです。この工場を、私たちをもっと知ってくれませんか?」


「……」夜恵は顔を赤らめ、ジッと金剛を見つめる。「えっと、あの――」

「きっと、貴女なら――」

「時給1800円、残業時2000円。月給に変わったら40万」金剛の言葉を遮る乙愛。

「や、やりま――え?」金剛の言葉に返事をしただろう夜恵。しかし、被ってしまった。しかも、それを理解した夜恵の瞳が瞬時にマネーマークに変わったのは言うまでもない。「え? あ、ちが――いえ、あ、えっと、え?」

「……クソ工場長、黙っていろ。と、言ったはずですが?」


「ここに来る人はみんな金目当てよ! あたし知っているわ! あたしがそうだもの!」乙愛が満面の笑顔で見た目不相応に世の中は金だと言い放つ。そして、未だに目を覚まさない兎を指差す。「あそこで伸びてる馬鹿より10万多いわよ! やったぁ、女の子が来たわ。これで女子会が出来る! 名実を伴ってあたしは少女になれるわ!」


 なれません。


 乙愛は一しきり、夜恵の周りを比喩ではなく飛び跳ねると、夜恵の鞄から印鑑その他を奪い取り、駆け出して行ってしまった。

「………………」夜恵が未だに赤い顔で、乙愛が走り去る様を眺めていた。


「……すみません。あの、ああ言いましたが、本当に良いんですか?」最も常識を持っている金剛が、頭を抱え、ただただ申し訳なさそうに夜恵に確認する。

 常人なら逃げ出したくなるシチュエーション――しかし、ハッとした顔をした夜恵は大きく息を吸い、肩より少し長い髪を上げ、ポケットから取り出したゴムで留める。


 ポニーテールである。


「まだ完全に決められてはないですけど、ちょっと頑張ってみます。金剛さんの言うように、私も、この変わった縁は面白いと思いますし」

「……そうですか」金剛が息を漏らし、先ほどのような営業的な笑みではなく、彼本来が持つ、本当に優しい笑みを浮かべ、夜恵に手を差し出す。「ようこそ――五星(いつぼし)・エアコン組み立て工場へ」

 そう言い、金剛が放ったウインクは、とても眩しいものであった。

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