工場世界の物理で語れ!

筆々

第1章 出会いの春に芽生えたものは殺意だけでした

 春――それは新しい出会いと芽吹きの季節。

 ある者は、夢を追うために大学や専門学校に行き、そこで志を同じにした仲間、生涯を共にする者とも出会う場合もあるだろう。


 さらにある者は、学校という閉鎖的空間を去り、社会へと旅立つ。

 春とはそのような季節。出会いと別れ、希望と奇跡で瞳を煌めかせながら明日を夢見る芽吹きを感じる。


 子どもから大人の階段を上るように、春は全ての始まりなのである。

 そんな奇跡の季節――。


 少女のようなあどけなさの残る顔つきで、大人を超えているのではないかと思われる豊満な胸を持つ女性――美月(みつき) 夜恵(やえ)25歳がリクルートスーツに身を包みながら、50年の歴史がある『林短の乳酸菌飲料・ミムー』の紙パックを片手に、目の前を喜々として歩く同じくリクルートスーツを着た人たちを光が消えた瞳で眺めていた。


 新しい出会いと別れ、芽吹きの季節。


 夜恵は料理人を目指し、順風満帆な学生生活を送っていた。しかし、就職活動に失敗。まだ大丈夫だと高を括っていたのだが、気が付けば3年の時が経ち、妥協に妥協を重ね、大手コンビニの食品製造に携わろうとしていたが……。


「あ、あの人――」スーツの女性が、一緒に来ていた男性と小声で話しながら、夜恵を見る。「本当は料理人になりたかったって言うのが出まくっていて、面接官に怒られた人だ」

「胸でけぇ」


 先ほどの面接、合同面接だったのだが、夜恵は面接官に「製造を舐めている」と、怒られてしまい、計何度目かになるかわからない就職活動の失敗を宣言されたのである。

 故に夜恵はこうして、面接会場である本社のビルの傍で、四肢を投げだし、死んだような目で呆然としていたのである。


 面接官や志を同じにした者との出会い。しかし、それは約1時間で別れに変わり――。


「……クソ、いつか見返してやる」


 芽生えたものは復讐心だけであった。

 最早、動く気力もないのか、夜恵はまるで口から魂を出すかのように長く息を吐き、ストローからミムーを吸う。


「……どうしよう。今年しかないのに」

 大学から今の今まで遊ばせてくれた両親――しかし、我慢の限界が来たのか、今年中に就職出来なければ、実家に帰り、両親の自営業の手伝いをするように言われていたのである。


「家には帰りたくないんだよねぇ」夜恵はあまり両親に懐いておらず、ここまで育ててくれた恩を感じてはいるものの、同じ道を歩みたくはないと常日頃から口にしていた。「……もう、プライドとか捨てて、この際どこでもいいから入っちゃおうかな。最悪、派遣でも良いし」


 夜恵は深くため息を吐き、薄型の携帯端末で仕事を探し始めた。

 しかし、このご時世、そんなに上手くいくはずもなく、自分に合っていそうな企業のページを開いては内容を見てすぐに閉じる。夜恵はそんなことを繰り返していた。


「あれ――?」

 夜恵はある文章が気になり、そのページを開く。


『おいでませ工場!』


 胡散臭い一文である。

 首を傾げた夜恵はページを読み進めていくのだが……。


『土曜日は( )休みダヨォ。残業がない( )ヨォ。みんなの涼しくて暖かい楽園を作るためにエアコンを作りましょう。作業内容は( )簡単です。先輩が優しく教えてくれますよ。あ、あたし個人では女の子が欲しいですね、給料上げちゃいますよ。この工場、なんと女の子2人、女子会とかしたいです。あたしまだ女の子です。研修期間は時給ですが、3か月過ぎたら月給になりますよ。給料増えるよ。休み放題ダヨォ。良いですね? あたしは女の子なのです』


 2度見、3度見、4度見――夜恵は目を擦りながらもその文章を何度も読み返した。


「え? なにこれ、自由に泳がせ過ぎでしょ」困惑する夜恵。「いやいや、一体誰がこんな胡散臭いところに入る――」


 しかし、ある一文が夜恵の視線を釘付けにした。


『時給1700円。残業時、時給1900円』


 夜恵はそっと、ページに記載されている番号に電話を掛けた。

 金に……釣られたのである。

 夜恵の住んでいるこの街では、平均時給が800円~1000円であり、約2倍の時給がもらえるのである。


 さらに記載通りであるのなら、女の子である夜恵はさらに時給が上がるかもしれず、月給になったらもっと稼げると思ったのだろう。

 夜恵の目には、金しか映っていなかった……。

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