第22話 72F
「チーン」とお馴染みの音を立ててエレベーターの扉が開く。
元はホテルのレストランだったランドマークタワー七十階フロアは今も厚い絨毯と豪華な壁の装飾が保たれている。エレベーターの出口に社員認証が必要なセキュリティゲートが鎮座している。その先の廊下は、正面と左右に伸びていた。
「オフィスは七二階だ」
偽装端末によって難なくゲートを通過した
「こんにちわ」
はじめは無人だったその廊下だが、一人のスーツ姿の女性が物陰から現れた。どこか余裕を感じさせる、色っぽい女性の声。
「スーリ・タチバナか」辻霧は足を止めた。
「お久しぶりですね、ジン・辻霧」
スーリは豊満な身体にピチピチのレディーススーツを身に纏っていた。髪の毛はパーマが掛けられふわりとしており、赤淵の眼鏡をかけている。
辻霧は不機嫌そうに言った。
「辻霧ジンだ。日本人のファーストネームは後に来るんだよ。この国のルールだ、覚えておくといい」
「私は昔からその逆で名乗っていてよ?」
灰色の瞳がわざとらしく笑う。
「お前は外国籍だからだろう。そんなことより僕たちは急いでいるんだ、そこを通してもらうよ」
しかしスーリは腰に手を当てる。「残念ですけど。塞いでるんです」
「そうか。ならしかたない。別の道を行こう」
辻霧が踵を返すと、今度は先ほどのエレベーターへの道を塞ぐように、スーツ姿の男性が三名、左右の廊下から現れた。
「なぜ邪魔をする」辻霧はスーリに向き直って、不満げに手を広げた。
「不正
「不正? さて、なんの話かな」
「ここはクオリア社ですよ?」スーリも苛立ちを見せながらクッと眼鏡を持ち上げる。「こちらから照会できる情報を弊社が持つ情報と合わせて
スーツの男たちがそれぞれ由宇と白色、環凪の肩を掴み、後ろ手に拘束する。抵抗できるような雰囲気ではなかった。
スーツの男の一人が辻霧の肩も掴み、同じように拘束する。環凪と辻霧は片手がないので、強引に肘から拘束をされた。
スーリは満足気に微笑む。
「どこかの誰かと違って大人しくて助かるわ」
「無駄口はいいから、早く僕らを奴の所へ連れていけ」
辻霧の口調にムッと表情を変えるスーリ。
「偉そうね。自分の思い通りになるとでも? 私たちがあなたたちを捕まえた上で、親切丁寧に道案内をするとでも思っているの?」
一方、辻霧の表情は余裕へと転じた。
「ククク。それは君が決めることじゃない」
釣られて取り繕うスーリ。「調整員として権限は持っています。不正端末の使用とクオリア社私有地への不法侵入。ただし、警察へ突き出すなんて生易しい対処で済むとは思わないでくださいね」
「そう言っている間に、君には通信が入る」
辻霧が指をさすと、ちょうどそれに合わせてスーリの紋白端末が光を点滅させた。スーリの目じりが僅かにヒクつく。
「歯車の眼の男からだ」と辻霧は続けた。
「はい……」と、スーリは辻霧達には聞こえない電話に応答し、すぐに視線を迷わせる素振りを見せる。“当たり”と言わんばかりの仕草だった。辻霧はさらに笑みを強める。
「はい……。しかし……。……わかりました。お連れします」
通話を切るスーリ。
「さて、誰からかな」と辻霧は意地悪く聞いた。
ムッとした表情のスーリはおもむろに辻霧へ歩みを進め、突き出すように顔を近づけた。
「思いあがらないで」
辻霧は引かない。
「ククク、アドバイスだ。引っ込みがつかない事は言うな。キミのようにバカならなおさらな」
ギリッと歯を剥くスーリ。そして次の瞬間に「パチン!」と心地がいいほど澄んだ音がはじけた。スーリが辻霧にビンタをお見舞いしたのだ。
「痛いよ」顔を戻した辻霧は、真っ赤な手の跡を残しながらも笑顔だった。
スーリも発散したからか、やや表情を落ち着かせていた。
「ついてきなさい。あの方の所まで案内してあげる」
踵を返すスーリ。後姿もプロポーション完璧の美女だった。そんな美女をメンタル的に辱めたからか、辻霧はいつまでもニヤニヤとしたまま気持ち悪い笑みを止めていない。
見兼ねて、横を歩く環凪が呟いた。
「その気持ち悪い笑みやめてくれない? 蹴り倒したくなるんだけど」
「僕はいつもどおりさ」
「へぇ。美人にビンタされたのがうれしすぎて気付いてないんだ」
「うれしいものか。ドМじゃあるまいし」
「ドМでしょ」
「どこが。だれも僕の事をドМだなんて思ってない、そうだろう?」と言いながら振り返って由宇と白色に同意を求める辻霧。
「いや……絶対的にドМ傾向というか……」
「素質ありますよ!」
遠慮がちな由宇に対し、白色は励ますような口調でグッと辻霧を見た。天井を仰ぎながら前に向き直る辻霧。
「
「下らない私語は慎んでください」
スーリは足を止めて、おもむろに廊下のくぼみを押す。するとそこがお馴染みの白熱色に光り、エレベーターのスイッチだったと分かる。シックな焦げ茶色の壁が開き――これがエレベーターの扉だった。個室内も濃い木目調は続いており、この先に広がる別格の様相を醸し出している。
辻霧たち四人とスーリ、それにスーツの男たち三人が若干詰めて乗り込む。ボタンは七十階以上しかない専用エレベーターだった。スーリは七二の数字を押し、扉が閉まる。
沈黙した個室がブンと上昇する。到着のチャイムはすぐに鳴った。扉が開くと、一面に白い自然光が差し込む廊下が現れた。部屋はエレベーターと同じく焦げ茶色の木目で統一された落ち着いた雰囲気で、床の絨毯も濃い色の模様が走る大人びたものだ。所々に植木が並び、その雰囲気のため緑が際立って見える。ソファやテーブルが美しくゆとりをもって配置されており、その広いフロアの先には細長く窓が広がっている。光はそこから部屋全体に拡散されており、由宇が一歩、足を踏み出した所からでもみなとみらいの青空が一望できた。
そんな外からの白い光の中に、人影があった。スーツを着た男性だ。景色を眺めているようだ。
「
辻霧の声が変わっていた。ひどく重く、力が込められた声だ。
名を呼ばれて振り返った男は――背後の光のためにシルエットとなりその表情等をよく見る事はできなかったが、一点、両目の部分だけ、僅かに赤く発光していた。
「あの人が、歯車の眼の……」思わず口にしたのは環凪だ。
「涼・椎名様」
スーリが前に出る。咄嗟に辻霧が呟いた。
「たったその一言にツッコミどころが満載だ……」
「お連れしました」
「久しぶりじゃないかシイナサマ!」
辻霧は身を乗り出した。男たちが両肩を押さえつけるが、構わずに続ける。
「今どき様付けで呼ばれる人間を僕は初めてみたぞ! 偉くなったようだな!」
「ふふ。そういうお前は相変らずだな」
低くも透き通っているかのような、心地のいい声がフロアに響く。途端にこのフロアのすべての関心がこの男に集中したかのような錯覚を由宇は感じた。
光の中から現れる椎名。
「や」
表情が完全に見えるようになったあたりで、彼は辻霧に手を挙げて挨拶をした。赤く仄かに光る瞳は存在感がありながらも椎名のスッキリとした顔と協調し、それほど違和感があるものではなかった。目玉の中は金色の歯車が詰まっており、椎名が視線を動かすたびに滑りのいい稼働音が聞こえる。
シャラララ。シャラララ――
辻霧の後ろにいる、環凪、由宇、白色を見回す音だ。
「“ずいぶんな事をしてくれるじゃないか、椎名”」と、そう言ったのは椎名自身だった。
今まさに辻霧が口にしようとした言葉だ。
「おい――」
「“おい。僕の言葉を盗むなよ。お前はすぐ人の言葉を奪いたがる。おかげで会話になりゃしない”」
辻霧が苛立つ様子が由宇の位置からよく見えた。今にも飛びかかりそうな勢いだったが、しかし両手は身体の後ろで拘束され、さらに男たちから両肩を掴まれている。スーリは気味がよさそうにクスクス笑っている。
「“僕は真実を知りに来た。答えろ”」
一歩、一歩と椎名は辻霧との距離を詰めていく。気圧された辻霧は、半歩身を引いた。
「“お前の――”」
全て知っているかのような赤い瞳が辻霧を上から見つめる。思わず頭ごと視線を下げた辻霧は、そこから顔を持ち上げられずにいた。目に見えない威圧感に汗が噴き出している。
椎名が口を開く――が、言葉が出る直前、別の声がそれを遮った。
「“お前の企みを、暴きに来た”」
その台詞を言ったのは由宇だった。椎名の言葉だ。歯車の眼と由宇の茶色い眼が合う。
「へぇ。おもしろい」と、椎名は自分自身の言葉で呟いた。
歯車の眼球が由宇を捉える。
「チェックしていたレインじゃないか。本気で止めに来たんだね」
チンと、エレベーターの扉が閉まった。
ギソウタンマツ:END
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