第4話 出会った日 河野 文香

河野文香は、このKenji Tachibanaデザインオフィスに勤めるデザイナー。


文香にとって就職してからの4年間はあっという間だった。

このデザインオフィスのモットーは実力主義。

そしてこのオフィスの実力とは「売れる」か「売れないか」。

そしてそれ以前に「商品になるか」「商品にならないか」。


文香はまだ「売れる売れない」の領域ではなく、

「商品になるならない」の領域にいた。というより、まだ一度も彼女のデザインが商品となったことはない。

このオフィスでは、デザイナーが3つの階級に分かれている。

まず、自身名義でもプロデュースすることが許されている存在でもあるデザイナー。

専属のパタンナーやその他のスタッフも傘下に入り、デザイナーを中心に一つのチームが出来上がっている、いわば会社の中の別会社とも言えるような存在だ。

このオフィスでは「デザイナー」という名称はこのクラスの人を指している。


次にチーフアシスタント。そして、文香のいるアシスタントの階級だ。

外に出れば、皆、デザイナーなのだが、

会社内ではその差は大きい。

文香の同期もチーフになっている者もいれば、

文香と同じようにもがいている者もいる。


3月のこの時期、オフィスではすでに来年の春物のデザインを考えている。

その一次選考会が来週に迫っていた。

文香はこれまで、何度もデザインを提出しているが、1度もこの選考会でさえ通過したことがない。

落選する度に「今度こそは…」という気持ちになってはいるのだが、さすがに毎回ダメでは気持ち自体も滅入ってきていて、自身の才能を疑うようになっていった。





「河野さん どぉ?」


声をかけてきたのはチーフでもある梓(あずさ)先輩だった。


「ぜんぜん浮かばないんです…」


文香はそう答える。


「あぁ…まぁこれから春だってのに

 来年の春の事を考えろってのも難しいけどね」


梓はそう言うと


「そうだ。今日のデザイン教室やってみなよ」


そんな提案をしてきたのだ。

昨年から始められたデザイン教室。

もちろん、文香も何度かそこで講師をやった経験がある。

確かにいい息抜きにはなるし、

素人の方が見よう見まねとはいえ一生懸命やっている姿勢は、多少なりとも刺激を受けるものがあった。

でも、それは最初だけ。

今の文香から言えば、時間も無駄遣いもいいところだ。

そんなことしてないで、デザインの1枚でも書いていたいのだ。


「えぇぇ教室ですか?

 私、まだ提出作品が全然進んでないんですよ?」


文香の言い訳に梓が畳み掛ける。


「だからよ。煮詰まってるんでしょ?

 そーゆー時は足掻いても無駄よ」


「まぁそれはそうですが…」


「じゃ決まりね。」


梓はそういうと座っている文香を立たせる。


「河野さん。教室に行って書いてみたらどう?

 まだまだ生徒さんも来ないし、

 違う環境で書くのもいいかもよ」


そう言い残すと梓は文香の肩をポンと叩いて、自分のデスクへと戻って行った。


 《はめられたぁ…》


そう文香は思ったが、まぁこのまま居てもなんのイメージもわかないのも確かだった。


 《教室かぁ…確かに場所が変われば、なんとなくイメージも変わるかも》


文香は梓の言葉に乗っかるように、デザイン教室を行う場所に移動するのだった。




Kenji Tachibanaデザインオフィスは地上8階、地下2階のデザインビルだ。

なんとかという有名な建築デザイナーさんの監修で作られたビルで、建築業界でも有名なビルらしく、ビルの周囲から写真を撮っている人を見ることも少なくない。


文香達のアシスタントの仕事場はそんなビルの3階にある。チーフクラスは一応3階にもデスクがあるが、4階に個室が分け与えられている。それより上の階はデザイナー様の階になっている。

ちなみに2階はパタンナーを始めとするスタッフ。地下2階は駐車場。地下1階には縫製室。1階にはロビーとカフェ、そしてこの教室などの施設があった。


文香が教室に入ると、そこにはすでに真新しいスケッチブックと鉛筆が大量に置かれていた。


しかし文香は、そんなのを無視して窓を眺める。


「ここからは梅の花がよく見えるのよね」


そう呟くと、梅の花が一番よく見える位置に陣取り、椅子に腰掛けた。


 《きれいだな…桜も華やかでいいけど、

  私は、梅も好きだなぁ》


満開の梅をぼーっと見つめる文香。

 

 《だめだぁ…私はなにしてんだろ?

  確かに梅はキレイだけどそんな場合じゃない!》


そう思うと文香は自身のスケッチブックを開く。


 《確かに環境が変わるっていいみたい。

  春に梅ってベタだけど、そういうイメージで…》


なんとなく、キーワードを決めた文香は、今までにない勢いでそのイメージを書いていく。


 《なんだろう…どんどんイメージが沸いてくる。

  あ~これは違う。でもこんな風なのは…》


そんな心の中の言葉を発しながら文香はどんどんとデザインを書いていく。

文香は乗ってきていていた。

斬新なデザインばかりを求めていたからこそ、文香はもがいていたのであって、1つベタな要素が入るだけで、文香は本来の柔軟性を取り戻し、そのペン先を走らせるのだった。


 《あっこれいいな。このイメージで…

  あ~これは傑作だわ。あとは…》


「で…できた…できたぁ」


文香史上最高の春のデザインが生まれた瞬間である。


文香は高揚していた。

最近は自分の作品にこんな満足感なり、達成感を得られることなどなかったからだ。

ふと、顔を上げると、梅の花が目に入る。

文香の瞳からは、自然に涙が溢れていた。




そんな文香史上初の傑作が完成し、

文香が高揚感に浸っている最中の事だった。


「コンコン…」


ドアがノックされた。

余韻に浸っている文香にとってそれは邪魔でしかない音。


「コンコン…」


再びドアがノックされる。


 《もう…なんなのよ。

  人が最高の余韻に浸っているっていうのに…》


返事もせずに立ち上がると文香は無造作にドアを開けた。


そこには、中学生?と思うほどのかわいい少年が立っていた。


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