37話 性的虐待疑惑

 お昼休み、私の説明を聞いたふたりも、頭を抱えてしまいました。



「まさか、冬翔くんがそんな酷い目に遭ってたなんて…」


「何とかして、お父っつぁんの虐待を止めさせる方法ってないのかな?」



 今なら、然るべき機関に証拠の傷を見せれば、一発でアウトですが、当時は親や教師から暴力を受けても、『躾』や『教育』の一環として黙認されていた時代で、むしろ当時の認識では、そうされる側に落ち度があるというのが世間一般の風潮でした。


 そのため、警察に通報したところで埒が明かず、児童相談所は非行を犯した少年が送致される場所の意味合いが強く、虐待を受けている子供が助けを求める場所など、どこにもなかったのです。



「なっちゃんに事実を知らせて、お父さんに直接止めるように言えば済むんだけど、それだけは、ふうちゃんが絶対拒否してるし、私もやめたほうがいいと思う」


「どうして? これ以上、冬翔くんが虐待されないためには、夏輝くんの協力は不可欠でしょ?」


「要は、何で冬翔がそこまで拒否するか、ってことじゃない?」


「だから、どうしてなの?」


「仮に、だよ? 暴行や、暴言や、無視や差別とかなら、まだ言えると思うんだけど、もしそれ以上の酷いことをされてたとしたら、さ…」


「それ以上って、何?」



 屈託なく問い詰めてくる朋華ちゃんに、少し躊躇いつつも、意を決したように言葉を絞り出した木の実ちゃん。



「性的…虐待、とか」


「!!!」



 おそらく、予想もしていなかったであろう内容に、朋華ちゃんは思わず口を押え、目をまん丸くしたまま言葉を失い、木の実ちゃんは唯一の目撃証人である私に、さらに突っ込んだ質問をして来ました。



「本人は、何て?」


「それに関しては、ふうちゃんは何も言ってなかったんだけど…」


「けど? こうめ、幼稚園のときに、虐待の現場を見てるんだよね?」


「それは、そうなんだけど…」



 かつて私が、保さんによる冬翔くんの虐待現場を目撃したのは、一回だけではありませんでした。


 5歳の頃に見たそれらの光景は、しっかりと目に焼き付いていたものの、当時13歳の私には、今一つそれが何だったのかが理解出来ずにいたのです。


 冬翔くんのプライドのために、絶対に口外しないという約束で、当時見たままの状況を説明したものの、知識が浅く経験もなかった私たちには断定することは出来ず、調べる手段もありませんでした。


 でも、知識も経験も年齢も重ねた今なら、はっきり断言することが出来ます。




 彼は、性的虐待を受けていた、と…




「本当にそうだったとしたら、夏輝には言えないよね…」


「もし、夏輝くんが知ったらどうなっちゃうのかな…?」


「家族は崩壊すると思う。ふうちゃんもだけど、なっちゃんも立ち直れないくらいのショックを受けるだろうし…」


「パパだけは、自業自得だけどね!」



 怒りが治まらないといった様子で、保さんに対する嫌悪感を露わにする朋華ちゃん。



「とりあえず、私たちは知らんぷりを通すしかないとして、差し当たっての問題は、冬翔の嫌がらせ行為をどうするかだよね」


「成り行き上、私が耐えるしか、仕方がないと思うんだよね」


「そんなの、こうめちゃんが可哀想過ぎるわよ!」


「このままじゃ、エスカレートする可能性もあるしね」


「それ! 一番心配よ!」


「一緒にいるときは、私と朋華で、こうめたちを二人きりにしないようにガードするとして、問題は、デートのときだよね。まさか、私たちまでお邪魔虫するわけにも行かないし…」


「あ! それだけどね、この前、なっちゃんが変なこと言ってたのよ」


「何?」「何だって?」


「木の実ちゃんとふうちゃんは、相思相愛なんじゃないか、って」


「は? 私と冬翔が??」「…」


「私は、違うんじゃない? って言ったんだけど、それはふたりともクールで、恋愛なんか興味ありません、みたいにしてるから、周囲がフォローしてあげないと、って」


「いったい、どこからそういう発想??」


「ねぇ~?」



~夏輝のヤツめ!!~



 あれほど口止めしておいたのに、約束を破って私に話したことを知り、八つ裂きにしてやりたい気持ちでしたが、何とかポーカーフェイスを保った朋華ちゃんが、シレッと提案しました。



「それ、お邪魔虫するのに、ちょうど良い口実じゃない?」


「だね! これを利用しない手はないよね」


「じゃ、次のデートのときは、私が話を真に受けて、木の実ちゃんをダブルデートに誘うっていうスタンスで」


「いいな~! 私も行きた~い!」


「じゃあ、聖くんも誘わないと!」


「って、それじゃ、普通にジュース・デーじゃん?」


「あは!」「まさに!」



 そう言って笑うと、少しだけ重い気分が薄れた気がしました。



「じゃあ、このことは私たち三人だけの秘密ってことで」


「OK!」「分かった」


「聖の勘違いだったってことで、本人には伝えとくから」


「宜しくお願いね」


「ところで、朋華、こうめに何か話があったんじゃなかったっけ?」


「あ、忘れてた。ごめんね、朋ちゃん。何だった?」



 あまりに衝撃的な話の流れに、昨日からのことなどすっかり忘れていた朋華ちゃんは、不意打ちに動揺が隠し切れず、



「な、何でもないっっ!! 忘れてっ!!」


「どうしたの??」


「朋華、朝から変だよ?」


「いいからっ!! 私は大丈夫だからっっ!!」



 何ともまあ、分かりやすいこと。


 結局、すべて自分の勘違いで、親友を疑ってしまったり、以前に付いた嘘を、秘密の共有者にバラされていたことが発覚したりと、忙しい一日だったと思います。


 この秋に控えたコンテストは、将来ピアニストを目指す少年少女たちにとって、最初の登竜門といわれており、決して失敗は許されない大切な舞台でした。


 本来なら、それに向けて集中していなければならない時期にも関わらず、次から次へと心乱す出来事が起こるのは、思春期という理由だけではなかったのかも知れません。





 大人は言うのです。


『努力は裏切らない』と。


 でも、もうこの歳になれば、いくら努力をしたところで、所詮叶わないことがこの世にはあることも、私たちは感づいていました。


 もし本当に、誰一人傷つかずに済む方法を知っていたなら、私たちはどんな努力でも惜しまなかったに違いありません。


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