25話 フェイク

 朋華ちゃんが藍玉女学園に初等科から在籍していた大きな理由は、学校生活の中で極力手を傷つけないよう、体育や工作、理科の実験、家庭科の調理実習など、公立では難しいと思われる配慮を徹底させるためでした。


 ところが、中等科からは、家庭科で魚をおろす実技試験があり、これに合格しないと進級が許可されず、母、小夜子さんは件の事情から特例として、朋華ちゃんの試験を筆記に変更してもらうように交渉。


 それに対し、たとえば手の機能がないなど、身体的・物理的な理由ではない限り、手袋の着用までが譲歩出来るラインで、実技試験を受けないのであれば、それ以上交渉の余地はない、というのが学校側の回答でした。


 どちらも絶対に譲らない状況で、このままでは朋華ちゃんは退学するしかなく、そこで、包丁を使わず、限りなく安全に魚をおろす方法があれば、この問題を解決出来ると考えた私たち。


 木の実ちゃんが親友の一人だったことは、何よりの幸運でした。中学一年生で、彼女以外にこの難題を解決出来る人はいません。


 ただ、手段を見つけたところで、これまでそうしたことと無縁だった朋華ちゃんが試験をパスするには、ある程度の練習が必要でしたが、自宅で練習をする時間などなく、何より、小夜子さんが許可するはずもありません。


 そこで、先ず朋華ちゃんが『ピアノ同好会』を立ち上げ、学校でピアノをレッスンするという体裁を整え、同時に、木の実ちゃんも『お料理同好会』を立ち上げ、調理実習室を使う許可を取ります。


 その目的は、朋華ちゃんのレッスン時間の確保。木の実ちゃんが考案した方法を、まず私が実践し、何度も不具合を改良しながら、確実に朋華ちゃんにも出来る方法を確立。私のやり方を見ながら、朋華ちゃん自身手を動かしながら、イメージトレーニングも怠りません。


 彼女が調理実習室に滞在するのは、試験の持ち時間でもある10分間だけ。それくらいの時間なら、ピアノの音が途切れたところで違和感はないため、この三人以外、誰にも知られることなく練習を重ねることが出来ました。



「で、無事合格出来たわけだ?」


「試験を受けるのも、ママの反対があって、ママの目の前でこうめちゃんが実践して見せてくれて、安全性をアピールしてくれたり、説得してくれたり」


「そっか。紆余曲折あったんだね」


「うん。もしふたりがいなかったら、今私は藍玉にいなかっただろうし、夏輝くんたちとも逢えてなかったのよね」



 そう言いながら、そんな親友をダシに姑息な工作を企てる自分に、多少の罪悪感がないといえば嘘になりますが、今は友情よりも恋心のほうに、少しだけ重心が傾いていた朋華ちゃん。


 最悪、私たちに嘘がバレたところで、これまで築き上げてきた友情が壊れることはないという自信もありますが、それでも、プライドの高い彼女にとって、出来ることなら誰にも胸のうちを知られたくはありません。


 念には念を入れ、最終工程は、夏輝くんへの口封じ。



「私たちが画策したことは、絶対に秘密だからね。万が一、本人たちの耳に入って、へそを曲げられでもしたら、全部水の泡になっちゃう」


「確かに。ふたりとも頑固なとこあるもんな」


「だから、このことは私たちふたりだけの、ひ・み・つ」



 そう言って、再び唇に人差し指を立てた朋華ちゃんに、夏輝くんも微笑みながらこっくりと頷いて見せました。





 間もなくして、作業を終えてリビングに戻った私たちに、明るい表情で席替えを提案した朋華ちゃん。


 私と夏輝くんを窓際、木の実ちゃんと冬翔くんには、出入り口に近いソファーに座るよう指示。



「カップルは隣同士で良いわよね?」


「賛成!」「異議なし!」


「木の実ちゃんと冬翔くんは、キッチンへ行く回数が多いから、こっちの席のほうが動きやすいんじゃないかな、と思って」


「うん、確かに」「良いポジションよね」


「で、私はピアノに近いこの席で…」


「じゃ、僕の席はここってことだね」



 必然的に、最後に残ったのが聖くんの席ということで、見事、意中の彼の隣をゲットすることに成功した朋華ちゃん。


 何の違和感もなく、木の実ちゃんと冬翔くんを隣同士にした彼女の見事な采配に、まさかそちらがフェイクだったとは知る由もなく、内心、感心しっぱなしの夏輝くんでした。





「しばらくみんなと会えないと思うと、寂しいよな~」


「ホント、せっかくママから解放されてたのに、一週間も同行なんて最悪なんですけど~」



 聖くんは8日から18日まで、家族とともに、父方の実家であるドイツへ帰省。朋華ちゃんは11日から一週間、母、小夜子さんのコンサートに同行してイタリアへ。


 木の実ちゃんに至っては、母、征子さんがレギュラーをしているお料理番組の夏休み特別企画で、10日から14日まで、毎日親子で生出演することになっていました。



「ったく、面倒くさい! わざわざ生放送じゃなくたって、収録で良くない?」


「親の仕事に、子供を巻き込むの、勘弁して欲しいわよね~!」


「うちのオカン、また荒れるぞ~~~」



 と、すでに今から辟易している三人。


 それに対し、出掛ける予定がない私と夏輝くんと冬翔くん。特に私は、母が実家へ帰省するので、解放感でいっぱいでした。



「次、みんなで集まれるのは、二週間後か~」


「そんな長期間、みんなで会わなかったこと、今までなかったよな?」


「淋しいよね~~!」「ね~!」


「とりあえず、お土産楽しみにしてるから」


「無事、帰って来いよ~」



 くっきり明暗が分かれる『お出掛け組』と『留守番組』。


 今なら、どんなに離れていても、ネットやSNSで繋がっていられますが、当時はまだ物理的な距離を無制限に埋められるツールなどなく、あるとすれば、テレパシーくらいでしょうか。


 ただ、残念なことに、私たちの中にそうした能力を持つ人は1人もおらず、音信不通の二週間を受け入れるしかありません。





 この日、今年の最高気温を記録したことなど、私たちにとっては全く関心のないことで、こうして一緒にいられる時間だけが、ただただ愛おしく感じられるだけ。


 お開きの時間になり、いつになく別れを惜しむ私たち。



「あ~ん! 離れたくない~~!」


「みんなで一緒に、泊りがけでどっか行けたらいいのにな~」


「それ、親や学校から『不純異性交遊』っていわれるパターンのやつ!」


「するわけないのにね~」「んだんだ!」


「大学生になれば、結構自由になれるのかも?」


「逆に、小学校低学年なら、何の問題もないのにね」


「完全に保護者同伴だけどなー」


「自由が欲しい~~!」「自由になりた~~い!」



 本当の意味での自由には責任が伴うことも、自由に生きることの辛さや大変さを知る由もなく、大人の加護の元でしか生きたことがない私たち。


 たった二週間会えないだけのことが、何年も離れ離れになるように思えた、まだ大人でもなく、もう子供でもない夏の日でした。


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