24話 将を射んと欲すれば

 ピアニストを目指す朋華ちゃんにとって、指は命も同じ。そのため、幼いころから、指に負担がかかるようなことは一切して来なかったし、それを疑問に思ったこともありませんでした。


 その結果、14歳にもなって、女性らしいことが何ひとつ出来ない女の子になっていたことに気づき、ここへ来て聖くんへの気持ちが高まるのと比例するように、激しいコンプレックスとなりつつあったのです。


 ですが、彼女にとって私や木の実ちゃんは、経験のない人間には理解不能な『毒母』という共通の敵を有し、どこまでもお互いを理解しあえる親友です。もし手放せば、二度と同じような友達には出逢えないと思えるほど、大切な、本当に大切な存在であることも、痛いほど分かっていました。


 それ故、このふたりとだけは、何があってもライバル関係にだけはなりたくないとも思うし、それだけの信頼を寄せるふたりに、そんな感情を抱いてしまう自分が、とてつもなく嫌な人間に思えてしまいます。


 ピアニストになる夢を放棄すれば、ふたりと同じ土俵に立てたとしても、すでに開ききっているレベルの差を埋めるのは至難の業。それ以前に、これまでに費やして来た時間や労力を、そう簡単に捨てることも出来ず、かと言って、今の自分に彼の心を勝ち得るだけのものなど、いったいどこにあるのか。


 『夢』と『恋』と『友情』で三竦みの中、突然の夏輝くんの告白により、期せずしてライバルが一人減るという、朋華ちゃんにとっては都合の良い状況になったのでした。


 とはいえ、残ったもう一人は強敵。何しろ、食べ盛りの聖くんにとって、美味しいお料理を作れる木の実ちゃんは、世間でいうところの『胃袋を掴む』ことに掛けては、いわずもがな天才なわけで。


 おまけに、姉の茉莉絵さんまでもが、彼女のお料理を大絶賛。毎回、茉莉絵さん用に作ったお料理を小分けしてお土産にする気遣いに、姉弟で胃袋を掴まれている状態。


 考えれば考えるほど、自分のほうが圧倒的に不利な状況でした。





 演奏を終え、みんなの拍手を浴びながら、複雑な気持ちでソファーに戻ると、親しげに会話をしながら、キッチンへ行く冬翔くんと木の実ちゃんの姿が目に留まりました。


 そこで、ふと閃いた朋華ちゃん。


 いつも北御門家で木の実ちゃんが作るお料理は、ジュース・デー用と、茉莉絵さんへのお土産用の他に、普段自炊している夏輝くんたちのための、作り置き用もありました。


 そう、胃袋を掴まれているのは、夏輝くんや冬翔くんも同じです。


 おまけに、夏輝くんが包丁を使えないため、お料理はすべて冬翔くんの役目。そのため、必然的にふたりがキッチンにいる時間が長いのも事実。


 冬翔くんと木の実ちゃんが、次のお料理を作っている間、使い終わったお皿を片付けるため、私と聖くんも席を外し、リビングで夏輝くんと二人きりになった朋華ちゃん。


 チャンス到来です。



「おめでとう、夏輝くん。こうめちゃんがOKしてくれて、良かったわね」



 朋華ちゃんにそう声を掛けられ、嬉しそうな笑顔で答える、現在、脳内お花畑満開中の夏輝くん。



「ありがとう! 朋ちゃんたちが協力してくれたおかげだよ」


「今のお気持ちは?」


「はい! 幸せで~す!」



 それを見て、可笑しそうに笑いながら、チラッとキッチンの様子を伺い、四人ともこちらに来なさそうだと判断した朋華ちゃん。


 夏輝くんとの距離を少し詰め、声を潜めるように尋ねました。



「ね、変なこと訊くけど、いい?」


「何? 何でも訊いてよ」


「冬翔くんって、好きな子とかいるのかしら?」


「さあ? 直接聞いたことないけど。何で?」



 その問いかけに、さらに距離を詰めると、キッチンに居るメンバーたちに聞こえないように、小さな声で続けました。



「私の勘違いかも知れないんだけど、もしかして冬翔くん、木の実ちゃんのことが好きなんじゃないかって」


「えっっ!!?」



 驚いて発した夏輝くんの声に、キッチンにいた私たちも驚いてリビングを覗き込んだのですが、何でもないというふたりに促され、すぐに元の持ち場へ戻ったのです。


 私たちがいなくなったのを確認し、口元に指を立て、さらに小さな声で続ける朋華ちゃん。



「いい? みんなには内緒よ?」


「う、うん」


「木の実ちゃんも、冬翔くんのこと、気になってるんじゃないかと思うの」


「どうして、そう思うの?」


「考えてもみて? いくら木の実ちゃんがお料理の天才っていったって、好きでもない人のために、毎回毎回、わざわざ何品も作り置きのおかずを作るかしら?」


「確かに、そう言われれば、そうかも知れないよね」


「それによ。木の実ちゃんがお料理を作ってる間、冬翔くんは必ずフォローに入ってるじゃない?」


「そりゃ、自分のごはん作って貰ってるんだから、手伝いくらい…」


「あーもう、これだから男子は」



 そう言って小さく首を横に振り、含みを持たせた笑みを浮かべながら、こう言ったのです。



「じゃあ訊くけど、こうめちゃんが座った隣の席が空いてたら、夏輝くんはそこに座りたいって、思わない?」


「そりゃ、思うよ」


「でしょ? 出来るだけ、自分の好きな子の近くにいたいって思うのが普通だし、好きな人のために何かしてあげたいって思うのも、普通よね?」


「うん、そうだね」


「っていうことは?」


「…っていうことなの? マジで?」


「って言いたいところだけど、そこがまた微妙なのよ」



 不思議そうな顔をする夏輝くんに、朋華ちゃんは謎めいた笑みを浮かべ、畳みかけました。



「だってあのふたり、どっちもクールじゃない? 恋愛なんて興味ありませんって顔して、自分から言うタイプではないわよね」


「確かに、朋ちゃんの言う通りかも」


「そういう子たちには、周囲がフォローしてあげるのが一番だと思うの」


「っていうと、具体的にどうすれば?」


「そう、例えば席替え? 常にふたりが近くに座るように、席を指定しちゃうとか」


「それ、いいね。じゃあ、僕からみんなに…」


「駄目よ。さっきもそうだったけど、ホント、男の子たちったら、まるで演技が下手くそで、バレバレもいいとこなんだもん」


「そうかな~?」


「自分で気付いてないところが、致命的だわ。いいから、ここは私に任せて」



 勝気な笑顔でそう言った朋華ちゃん。友達のために、水面下でそこまでしようとする彼女に、夏輝くんは微笑ましそうに尋ねました。



「それにしても、君たち三人、本当に仲が良いよね?」


「そうよ。私にとって、こうめちゃんと木の実ちゃんは、正真正銘の親友で、恩人でもあるんだから」


「恩人?」


「私ね、一年の時、退学になるかも知れなかったの」



 その言葉に、夏輝くんは驚いた表情で見詰めました。


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