26話 お盆

 朝起きて、シンと静まり返った人気のないリビングに行くと、大きく欠伸をしながら、パジャマのままソファーに寝転がり、テレビのリモコン片手にザッピング。


 昨日から、両親と弟妹は母の実家へ帰省中で、自宅には、渡り廊下で繋がった別棟に住んでいる祖父母と私の三人しかおらず、ささやかな自由を謳歌中です。


 ここ数日、やたらと機嫌が良かった母。楽しそうに旅支度をしながら、同行しない私に、『一緒に来れば良いのに』と、普段私には向けたこともないような笑顔で声を掛けて来ました。『独りで留守番なんて淋しいでしょ』と。


 が、そんな言葉を真に受けて一緒に帰省しようものなら、後々大変な思いをする羽目に。今はどんなに機嫌が良くても、帰宅する日が近づくにつれ、どんどんご機嫌斜めになって行き、最終日ともなると当り散らされること必至。勿論、そのターゲットは私です。


 小6の夏休み、受験勉強を理由に祖父母と留守番した際、母がいないとこんなにも平和だということに味を占めて以来、母の帰省には同行しなくなりました。


 いずれにしろ、帰宅した途端八つ当たりされる運命に違いありませんが、それでも完全に母から解放されるこの数日があるだけでも、気分的には天と地ほどの差でした。





 とはいえ、そうそうぐうたらしているわけにも行きません。お盆ですから、それなりに行事が目白押しで、着替えを済ませ、祖父母と一緒に朝食をとった後、お墓参りに出掛け、その足で祖母の実家へ。


 祖母の実家は、街外れの、やや鬱蒼とした木々が両脇に続く坂道を上り、その突き当りに開けた広い敷地にありました。元は代々続く旧家で、海軍士官だった祖母の兄が戦死、妻と長男も空襲で亡くなり、今は長女の実花子さん一家が跡を継いでいます。


 幼い頃から、祖父母に連れられて、よくここを訪れていた私。この屋敷には、古い蔵と大きな鳩小屋があり、それ故、私はこの場所を『はとぽっぽ』と呼んでいました。


 今ではペットとして飼育されている鳩たちですが、かつては軍用の伝書鳩として用いられていたそうで、そのお役目を終えた今も、時間帯によって、小屋から放たれる鳩たちが一斉に上空に舞い上がり、大きな円を描いて羽ばたく様は圧巻で、まだ幼かった私は祖母に手を引かれ、それを眺めていたことを記憶しています。


 当時は、祖母の実母である曾祖母(はとぽっぽのおばあちゃん)も健在で、シェパードのポチと、三毛猫のミーもいて、動物好きだった私にはとても魅力的な場所でした。


 その曾祖母も、私が幼稚園のときに他界。ポチとミーも虹の橋を渡り、今は数を減らした鳩たちがいるだけ。古い蔵の横に目印として置かれた石の下に、ここで飼われていた動物たちが眠っており、庭で摘み取ったお花を供え、そっと手を合わせました。



「こうちゃんは、幾つになったの?」


「13歳。中二だよ」


「ついこの前、小学校に上がったばかりだと思ったのに、早いわ~」


「やだな~、中学に入学したとき、みっちゃん、お祝いしてくれたじゃない?」


「ああ、そうだったわね~」


「ちょっと、しっかりしてよ?」


「何だか最近、時間感覚がやたらと早くなっちゃって~」



 そう言うと、祖母に良く似た声で笑う実花子さん。


 ジャーナリストだったご主人を早くに亡くし、すでに成人している一人息子も実家を出て、今ではこの広い家に一人で暮らしています。幼い頃に両親を亡くしている彼女にとって、祖母は母親代わりでもあり、彼女も私をとても可愛がってくれました。


 父の従姉で、父よりも年上でありながら、見た目も考え方もとても若々しく、私にとってはお姉さんのような存在の実花子さんですが、そんな彼女も、もうすぐ50歳を迎えます。





 4人で軽い昼食をした後、祖母たちはもう少しここにいるというので、私だけ先に帰ることに。午後から、夏輝くんと会う約束をしていたからです。


 子供の頃、随分急に感じた坂道や、遠かった駅までの道のりも、中学生になった今ではあっけなく感じるのは、自分の身体が成長した証なのでしょう。


 電車を乗り継ぎ、もうすっかり通い慣れた北御門家へ向かう途中も、どんどん雲が厚みを増し、今にも雨が降り出しそうなお天気。約束の時間より少し早く到着した私を、笑顔の夏輝くんが迎えてくれました。



「ふうちゃんは?」


「どっかにいると思うけど?」


「どっかって?」


「自分はお邪魔虫とか言ってたから、気を利かせてるんじゃない?」



 今日ここへ来たのは、初めて二人で会う約束をしたからで、いってみれば私たちの初デートです。気遣い屋さんの冬翔くんのこと、私たちを二人きりにしてくれたのでしょう。


 というわけで、いつものリビングではなく、2階にある夏輝くんの部屋へ通された私。何年かぶりに上がった2階の様子に、子供の頃に遊んだ懐かしい記憶が蘇ります。


 几帳面に整頓された室内には、小さめの丸テーブルと椅子があり、テーブルの上にはお茶とお菓子の用意がされていたのですが、



「あ、しまった! お湯を忘れた。すぐ取ってくるから、ちょっと待ってて!」



 そう言うと、急いで階下へ行ったものの、すぐに戻って来て、



「ごめん、バニラエッセンス切らしてたから、買って来る」


「バニラエッセンス? それ、今要るの?」


「紅茶に入れると、すっごい美味しいんだ。それをこうちゃんにも飲んで貰いたくて」


「でも、雨が降りそうだし、雷も鳴ってるよ?」



 窓の外には、私がここへ来た時よりも、さらにどす黒い雨雲が垂れ込め、遠くでは雷鳴も聞こえています。



「二つ先の角の店だし、すぐ戻って来るから、待ってて!」


「あ、ちょっと、なっちゃん! 傘持って行った方が…!」


「大丈夫! 僕、晴れ男だから~!」



 自信満々にそう言うと、ダッシュで玄関を飛び出して行った夏輝くん。


 はとぽっぽを出た時には、汗が吹き出すほど蒸し暑かったのに、時折、窓から吹き込む冷たい風がカーテンを揺らし、ポツリポツリとまばらに落ち始めた雨粒が、もうそこまで来ているであろう豪雨を予感させ、ガラス窓を閉めました。


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