16話 AC(アダルトチルドレン)
親から虐待を受けている子供の中には、他者から訊かれても、その事実を否定するケースが少なからずあります。親に捨てられたら、生きて行けなくなる恐怖を本能で感じるため、幼ければ幼いほど、嘘をついてまで親を庇うのだそうです。
これ以上親に嫌われることを恐れるあまり、虐待されるのは自分が悪い子だからとか、そうされることが親の愛情なのだと思い込むことで、親からの暴力を甘んじて受け入れることしか出来ません。
また、年齢が上がるに従い、子供にもプライドが芽生え、自分が
私の母の場合、スイッチが入れば公衆の面前だろうが構わず激高するため、知らない人ならまだしも、学校のお友達や知り合いに見られるのは本当に屈辱的で、同時に、母親がそういう人間だということを知られること自体も恥でした。
母に限らず、毒親本人には悪いことをしているという自覚がなく、それを誰かに注意されたことで、怒りの矛先が子供に向かい、何倍、何十倍にもなって返ってくることも多々あるため、ある程度知恵がついてくると、自己防衛のために隠そうとするようにもなります。
中途半端な干渉は悪戯に事を悪化させるため、確実に助け出してくれる確約がなければ、虐待の事実をカミングアウトするのは難しく、一人で抱え込むうちに、その苦痛と恐怖から逃れようと、心が壊れてしまう人もいるほどなのです。
その点で、私には彼らがいてくれて、ラッキーだと言えました。確かに、彼らにこの状況から私を救い出す術はなく、実質的には何も出来ないものの、こうして言葉にして話を聞いて貰えるだけで、気持ちは全然違って来ます。
相談できる相手には、ある程度条件があり、『口が堅いこと』『話に共感出来ること』『ありのままを受け入れて、味方になってくれること』そして『本人以外の当事者とは直接の利害関係がないこと』など。
彼らの場合、私がコンプレックスとする『惨めな自分』に対し、とても親身になって慰めつつも、あまり深刻になり過ぎないところが、不必要にプライドを傷つけられることのない程よい距離感であり、お互いの関係性という部分でも、絶妙なバランスが取れていたのだと思います。
「そうだ、忘れないうちに、渡しとくよ。これ、この前撮った写真」
「どれどれ?」「見せて~」
「お~! よく撮れてるな~!」
「かなりの弾数を撃ったからね」
パーフェクトのこの一枚を撮るのに、いったい何枚フィルムを無駄にしたことか、たった一週間前の出来事が、もう随分前のことのように思えます。
人数分焼き増しした写真を、私にも手渡そうとした冬翔くん。
「こうちゃんの、どうする?」
それは、私の母や妹を牽制しての問いかけでした。ゆりのことですから、また勝手に見つけ出して、母に見せに行く可能性は高く、そう考えると、必然的に私が持つのは危険です。
「こうめのは、私が預かる」
そう言って、私の分の写真を受け取った木の実ちゃん。
「うちなら、まず見られることもないし、もしうちのおっかさんが見たところで、何~んにも訊かれないから」
「うちのママと、足して二で割ってくれないかしらね? そしたらちょうど良くなるかも知れないのに」
「シャッフルして、悪いとこだけ濃縮されたのが、うちのお母さんかもよ?」
「化合途中で、何か変な化学反応を起こしたのかも?」
「うちのオカンも嫁姑の化学反応で、世界一可哀想な自分妄想で、周辺被害ハンパねー!」
「いっそ、その二つを混合してみたらどう?」
「やめて~!」「混ぜるな危険!」
「うちみたいに初めからいないと、子供は楽だよな、冬翔?」
「だな!」
それぞれにいろんな事情を抱えながらも、こうして寄り添える仲間がいるというのは、とても幸せで。
「そういえば、来週の木曜日、夏樹くんたち、お誕生日じゃない?」
「バースデー・パーティーやろうよ! 二日遅れだけど、土曜日に」
「それじゃ、一丁私が腕を振るって、ケーキを作りますか!」
「木の実ちゃんのケーキ、すっごい美味しいのよ! ね、こうめちゃん!」
「うん! 去年の私のお誕生日は、オレンジのタルトだったの。今年の朋華ちゃんのイチゴのムースも最高だったよね!」
「じゃ、じゃ、リクエストしていい!? フルーツをたくさん載せて!」
「桃とサクランボは必須で、生クリームたっぷりのお願い!」
「ブルーベリーも入れて!」
「ちょっと~! 聖くんは、主役じゃないでしょ?」
「いいじゃん! ねえ、ブルーベリーも入れて、入れて、入れてー!」
「って、子供か!」
「んじゃ、8月の聖の誕生日には、オードブルからデザートまで、全部ブルーベリーってことで」
「え? それは、嫌かも…」
聖くんに放った木の実ちゃんの一撃に、全員が大爆笑。
今の私たちにとって、この雰囲気が何よりも好きで、常に一緒にいられなくても、この6人でいる限り、きっとどんなことでも乗り越えられると、誰もがそう信じて疑いませんでした。
翌週の木曜日。明後日の夏輝くんたちのバースデー用のケーキを焼くため、明日お料理とピアノの両同好会を開くことになり、この日はまっすぐ帰宅した私たち。
木の実ちゃんによると、スポンジは焼きたてより、一日寝かせたほうが味や状態が安定するのだそうで、前日にケーキのスポンジ部分だけを焼いておき、当日、食べる直前に北御門家で仕上げるとのこと。
なぜなら、生のフルーツは傷みやすく、生クリームも運ぶ時に崩れやすいため、あえて二日に分けてのスケジュール。おそらくは日本で最もお料理上手な中学生だけあり、味と見た目へのこだわりに妥協がありません。
今回、機具を使わないフルーツのトッピングの一部を許可された朋華ちゃん。かねてから、自分も何か協力したいと切望していただけに、自宅のレッスンルームでピアノの前に座ってからも、イメージトレーニングに余念がありません。
頭の中で、3個目のケーキを完成させたとき、ドアをノックして彼女の祖母が入って来ました。
「朋ちゃん、ママから電話よ」
その言葉に、一気にテンションが降下します。
「国際電話だから、急いで頂戴ね」
「はあ~~い」
今に比べて、国際電話料金が馬鹿みたいに高額だった時代。おまけに、コレクトコールのためさらに料金が高くなり、あまり悠長にしてはいられません。
急いで電話口まで行くと、あからさまに、つっけんどんな口調で捲し立てる朋華ちゃん。
「もしもし、ママ? 今、すごく良い感じでイメージトレーニングしながら乗ってたんだから、邪魔しないでよね?」
そもそも、そのイメトレ自体、ピアノではなくケーキのトッピングなのにも関わらず。もちろん、そんな娘の無礼な対応に、母小夜子さんも負けてはいません。
「結果がすべての世界なんだから、あなたに実力がなければ、それまでの話よ」
「何なの? わざわざ嫌味言うために、電話掛けて来たわけ?」
「それくらい言わなきゃ、あなたはママがいないと、すぐ楽な方へ行くでしょ?」
「も、腹立つ~! 切るわよ!」
「8月11日発の航空券、今日送ったから。着く頃にまた電話するわ。じゃ、ママがいないからって、羽伸ばしてないで、しっかりレッスンするのよ」
それだけ言うと、電話は一方的に切られました。
ほとんど言い返せなかった悔しさに加え、8月11日から勉強がてらに、母のイタリア公演に同行するため、みんなと約一週間も離れなければならないことが憂鬱で、むしゃくしゃした気持ちだけが残ります。
「い゛ーーっっ!! ムカつく、ムカつく、ムカつくーーっっ!!」
そう叫びながら、鍵盤を叩き付けるように激しい曲を奏でる孫娘を見た祖母が、ぽつりと一言。
「ホント、母娘でそっくりだこと」
だ、そうです。
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