12話 祖母と妹

 それ以上反論出来なくなった母は、腹いせに振り上げた手を握ると、ゴツンという鈍い音を立てて私の頭に振りおろしました。



「そうならそうと、最初から言えっ! ホントに、腹が立つ!!!」



 それでもまだ腹の虫が治まらず、忌々しそうに舌打ちして立ち上がり、



「だいたい、何のためにあんな高い授業料の学校に通わせてるか、分かってんの!? おかしなことして退学にでもなったら、今までの月謝が全部無駄になるじゃない! あんただけのために、高い金払ってるんじゃないんだからね!!」



 そう吐き捨てると、乱暴にドアを閉め、自宅を出て行きました。気の毒なのは、お店の従業員さんたちです。消化不良のまま仕事に戻った母の八つ当たりを受ければ、また辞める人が出るかも知れません。





 ようやく母から解放され、ゆっくりと起き上がった私に、優しい口調で話し掛ける祖母。



「大丈夫? 痛いところはない?」


「うん、大丈夫。それより、ありがとう。庇ってくれたんだよね?」



 そう、さっき言ったことは、すべて祖母のアドリブでした。


 『ちいちゃん』というのは、祖母の又従姉で、夏輝くんたちの祖母である千鶴子さんのことです。母は、はっきり物を言う彼女が苦手で、何度か口論になったこともあるらしく、母にとっては天敵の一人でもありました。



「だって、こうちゃんのこと信じてるもの。お母さんが言ったようなことするような子じゃないことくらい、赤ちゃんの時からずっと見てるから、おばあちゃんは分かってるわよ」


「うん」



 この家で、私があの毒母に耐えて来られたのは、常に味方でいてくれる祖父母の存在があったからと言っても過言ではありません。



「なっちゃんと、ふうちゃんは、元気?」


「うん。ふたりとも元気だよ」


「そう。なっちゃんは、その…?」


「今も、病気は治ってないけど、ちゃんとコントロールして生活してるから、心配しなくても大丈夫だって」


「そう」



 祖母は懐かしそうに微笑みながら私に頷き、



「それじゃ、何かアリバイの品物を用意しないとね」


「え? アリバイ?」


「次に北御門のお家へ行くとき、手ぶらじゃ具合が悪いでしょ? 何せ、おばあちゃんは共犯者だもの。お母さんに何か言われたら、堂々と『おばあちゃんに頼まれた』って言っておやりなさい」


「ありがとう、おばあちゃん」


「小さかったこうちゃんたちが、大きくなっても仲良くしてくれてて、とっても嬉しいわ。ふうちゃんたちのお話も、聞かせて頂戴ね」


「うん」


「さてと、ちいちゃんに渡してもらう物を持ってくるわ。何がいいかしらねえ?」



 私に少し待つように言い、一旦、渡り廊下で繋がった別棟へと戻って行った祖母。


 帰宅してすぐ母に捕まり、制服のままだった私は、祖母が戻るまでに着替えようと思い、床に投げ出された鞄を拾って自室のドアを開けると、なぜか妹のゆりが私のデスクに座っていました。



「ゆり? 私の部屋で、何してるの?」



 私の声掛けに悪びれもせず、チラッとこちらに目を遣っただけで、再び視線は机の上に固定されたまま、返事もしないゆりを不審に思い、横から覗き込んで驚きました。


 妹が夢中で読んでいたのは、私の日記帳だったのです。



「ちょっと! 何、勝手に読んでるのよ!?」


「いいでしょ、別に~」



 そう言うと、ゆりは日記帳を抱えて逃げ出し、それを力尽くで取り返そうとした私と、引っ張り合いになりました。





 はっきり言って、私は妹のゆりが嫌いでした。


 幼い頃から『姉』というだけで、母から理不尽な扱いを受けてきた私とは対照的に、何をしても叱られず、何もしなくてもただただ褒められることが当たり前で、甘やかされて育って来た妹。


 末っ子で長男の弟、桃太郎に至っては、さらにそれに輪をかけて、上げ膳据え膳で溺愛されており、同様に大嫌いです。


 さっき、母が吐き捨てるように言っていた『高い月謝』というのは、言わずもがな、私が通う藍玉中等科の授業料のこと。そもそも、何故あのドケチな母が、長女の私を私立中学に通わせているのか、ということですが。


 もともと藍玉女学園への入学は、その前身である旧制藍玉高等女学校のOGだった祖母が、幼稚園か初等科での受験を提案したのに対し、母から『私立なんて、授業料の無駄』と大反対され、この話は一旦立ち消えになっていました。


 ところが、私が5年生のとき、突然母から藍玉中等科を受験するように命令され、『何が何でも絶対に合格するように、不合格になったら承知しない』とのお達しでした。


 その時は、祖母と『どういう風の吹き回し?』と不思議に思っていたのですが、母には打算があったのです。そう、すべては、ゆりのため。


 そのゆりですが、コイツは自分が嫌だと思ったことは、絶対にやらないタイプで、中でも勉強が大嫌い。常に成績表は、『運動会ならどんなに良かったか』という数字の羅列でした。


 彼女がそうなったのも、単に母が甘やかしたからに他ならず、今からでも叩き直せば良いものを、『無理強いしたら、可哀想』と庇うものですから、本人も調子に乗って堂々と勉強を放棄する始末。


 それ故、このままではゆりが自力で合格出来る高校がないという危惧が、徐々に現実味を帯び始めて来たのです。


 そんな折、私立には『推薦入学』や『一般入学』の他に、受験生の身内に在校生や卒業生がいる場合、優先して入学出来る『縁故入学枠』があることを知った母。


 藍玉女学園の場合は三親等以内、つまり姉の私が合格すれば、二親等のゆりは無試験で入学し、後はエスカレーター式に進学出来るという計算です。事実、そうして彼女は中等科から大学まで在籍していました。


 ちなみに、私たち姉妹からみて、祖母も二親等ですが、旧制高等女学校の卒業生は、縁故枠には含まれず、母に至ってはまったく無関係。よって母は、不出来な妹のために、それほど出来の良くない姉の私に重責を課したという次第です。


 中等科の倍率は、記念受験を含め、毎年概ね3~4倍。多い時では5倍を超えることもある難関です。高等科に至っては本気受験で3倍。万が一私が高等科の受験に失敗すれば、ゆりの高校進学は絶望的になるため、保険を掛けての中等科受験だったのです。


 私自身、特に成績優秀でもなければ、何でもサクサクこなす器用な子でもなかったため、受験のために諦めたものもあり、必死で努力して勝ち得た合格でした。


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