11話 母の仕打ち

 月曜日、授業が終わってまっすぐ帰宅すると、その日は珍しく母が自宅に居ました。


 毎朝、自分が経営する三つの店舗のどれかに出勤し、午後六時まで仕事をしていることになっていましたが、実際には、正午頃から三時間ほどの間、お昼休みと称し、自宅に戻って休憩するのが常態化していたようです。


 それもオーナーの特権ですから、特に誰からも文句を言われるでもなく、むしろトラブルメーカーの母に居られるより、不在にしてくれたほうが、従業員さんたちも気が楽だったことでしょう。


 私が帰宅したのは午後四時前。その時間まで母が自宅に居ることは稀で、本人の用事があるか、あるいは私に何か言うことがあるときに限られます。


 案の定、『ただいま』と言った私の顔を見るなり、『お帰り』も言わず、私につかつかと歩み寄ると、



「あんた、北御門さんの所に行ったってホントなの?」



 と、何の前触れもなく、糾弾されたのです。



「行ったけど」



 否定したところで、端っからそれを信じるような母ではありませんし、逆に嘘をついたことがバレれば、なおさら厄介なことになるのは分かりきっています。



「親のいない家で、中学生の男女が何してんの!? 厭らしい!!」



 一瞬にして怒りの顔に豹変し、激しい口調で私を罵り始める母。


 なぜ母がそのことを知っているのかはさておき、こうした事態を想定して、一応それなりの言い訳は準備していました。



「別に、何もしてないよ」


「じゃあ、何しに行ったっていうの!?」


「中間テスト前に、なっちゃんから借りた参考書を、返しに行っただけだよ」


「嘘つきなさい! あの子らとは学校が違うし、参考書を貸し合うような交流なんかないでしょ!!」


「同好会の日は、帰りの電車が同じだから…」


「そんな見え透いた嘘で、お母さんが騙されるとでも思ってんの!?」



 ~ああ、また始まった。~ 



 それが私の本音でした。


 普段なら、何か母の耳に入ったところで、放置したまま知らん顔なのですが、たまたま本人の機嫌が悪かったりすると、突然それを持ちだして烈火の如く怒り出し、一旦自分がこうと言ったら最後、私の言い分など聞く耳を持ちません。


 母の中には初めから『正しい自分(母)』と『反抗的な娘(私)』という構図が出来上がっていて、些細なことや、そもそもありもしないことをあげつらっては、心行くまで私を叩きのめすことが目的でした。


 ですから、北御門宅で何をしていたかではなく、そこへ行ったという事実だけで十分。必要なのは、ストレス解消のサンドバッグにするための『躾』という大義名分なのです。


 もっとも、帰宅したときに母が家にいた時点で、だいたいこうなることは予想がついていましたし、ついでに、この先の流れも分かっていました。



「何、その反抗的な目は!? 自分にやましいことがあるから、そんな態度するわけ!?」


「別に、やましいことなんて…」



 どうやら今日は特に虫の居所が悪いようで、言葉だけでは飽き足りず、髪を掴んで床に引き倒され、



「すぐそうやって口答えする!! 昔っからあんたは、悪いことをしても反省もしない!! こういうときは何て言うの!? ごめんなさいでしょ!!」


「ごめんなさい…」


「ほーら、やっぱりお母さんが思った通りだったんだ!! 何で、あんたはいつも嘘ついて、人を怒らせることばっかりするの!? 何でっ!! 何でっ!!」



 そう叫ぶたびに、床に押さえ付けた私の頬を、何度も平手で打ち付ける母。


 否定すれば嘘つきと糾弾され、謝罪を強要されて応じれば認めたことにされ、いずれにしても結果は同じ。もうこうなると、ただただ嵐が過ぎるのを待つしかありません。


 下手に抵抗すれば、余計に母の機嫌を損ねてしまい、その腹いせに『うちの娘が他校の男子生徒宅に入り浸っている』などと学校に通報でもされようものなら、他のみんなにとんでもない迷惑を掛けることになります。


 現に、私が小学生のとき、母は当時子供たちの間で流行していた『幸福の手紙』について、私宛に届いたはがきを学校へ持参し、『こんな遊びは即刻辞めさせるべき』と、クレームを入れる事件がありました。


 一般的な匿名性の高いチェーンメールと違い、幸福の手紙の文末には、数名分の差出人の名前が遡って記載されており、次の人に出す際には、最初の一人を削除して、最後に自分の氏名を新たに加えるというシステムになっています。


 そのため、はがきに名前のあったお友達が職員室に呼び出され、注意を受ける事態になってしまい、事前に出して良いか確認したにも関わらず、私が保身のために裏切ったような誤解を受け、クラスメートたちから仲間外れにされるいじめを受けたのです。


 被害を受けた中でも、当時一番の仲良しだったお友達に至っては、信頼していただけに私を許せず、最後まで仲直りすることなく卒業し、そのまま疎遠になった悲しい過去がありました。


 母には、確固とした教育理念があるわけではなく、その時々の気分次第で行動しては、しばしばトラブルを巻き起こす癖があり、もしまた同様のことを仕出かせば、一番の被害をこうむるのは、朋華ちゃんに他なりません。


 それを回避するためなら、母の気が済むまで叩かれることなど他愛のないこと。それに、こうして叩かれ続けているうちに、この状況がまるで他人事のような感覚になり、さほど苦痛を感じなくなって行くのです。



~そのうち終わる。~



 そう心の中で呟きながらやり過ごし、何発目かの平手を受けた時、すぐ傍で叫んだ祖母の声に、現実に引き戻されました。



「もう、いい加減になさい! こうちゃんは、何も悪いことなんてしてないでしょう!」


「お義母さんは黙ってて! 子供の教育に、口出ししないで!!」



 私に馬乗りになったまま、止めに入った祖母にまで喰って掛かる始末。さらに打とうとした母に向かい、



「私が、こうちゃんに頼んだのよ! ちいちゃんに渡して欲しいものがあったから!」


「またそうやって、こうめの肩を持つ!」


「そうじゃないでしょう! こうちゃんは、初めから用事があって出掛けたって言っているのに、それを聞こうともしないで!」


「分かるもんですか! いつも嘘ばっかりついて! だいたい、何で北御門の家なんか行くのよ! 私に対する嫌がらせのつもり!?」


「ご本を返す用事があるって言うから、私がお願いして、一緒に北御門の家まで持ってって貰ったのよ! 文句があるなら、こうちゃんを叩かずに、私におっしゃい!」



 いつになく激しい祖母の言葉に、母の動きが止まりました。


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