夏の章

18話 ネグレクト

 6月最後の土曜日、北御門家での三度目のジュース・デーは、夏輝くんと冬翔くんのバースデー・パーティーを兼ねての開催でした。


 キッチンでは女子三人が、お料理とケーキの準備で大忙し。前日に焼いておいたスポンジ部分に、ホイップした生クリームをたっぷりと塗り、美しくカットしたフルーツで飾ります。


 今回、トッピングを担当するのは朋華ちゃん。調理機具を使うホイップやカットの工程は完了した状態ですから、スポンジとクリームとフルーツが相手なら、怪我の心配はありません。


 ここ数日、イメージトレーニングに余念がなかっただけあり、木の実ちゃんのデザインした図案通りに綺麗に飾りつけ、本人もご満悦の様子。


 朋華ちゃんにケーキを任せ、私と木の実ちゃんは、残りのお料理を担当。盛り付けが終わったものから、聖くんがテーブルへ運び、最後に完成したケーキを真ん中に据えて、準備完了です。


 慣例に倣い、朋華ちゃんの伴奏で、全員でハッピーバースデーソングを歌い終わると同時に、ケーキに灯した14本のろうそくを、兄弟一緒に吹き消しました。



「夏輝、冬翔、14歳の誕生日、おめでとう!!」


「ハッピーバースデー!」


「ありがとう!」



 一斉に湧き上がる拍手とお祝いの言葉に、嬉しそうにお礼を言うふたり。



「生まれてから今までの誕生日の中で、今日が最高だよな!」


「うん。こんなゴージャスなパーティー、初めてだよ! みんなホントにありがとうな!」


「それじゃ、始めますか! ふたりの誕生日と、三回目のジュース・デーに乾杯!」



 いつも通り、聖くんの掛け声で、パーティーの始まりです。





 何といっても、今回のメインはバースデーケーキ。主役ふたりのリクエストに応え、桃とサクランボの他に、イチゴ・キーウィー・バナナ・ブルーベリー・オレンジ・リンゴ・マスカット・メロンなど、10種類ものフルーツが使われています。


 何故、中学生の私たちに、そんな高価な果物を使った贅沢なケーキが作れるのかというと、それは木の実ちゃんの母親、楢葉征子さんの職業と関係していました。


 料理研究家である征子さんには、常時食材を購入しているお店がいくつもあり、その大半は月末に一括清算することになっています。


 また、娘の木の実ちゃん自身、『お料理の天才少女』というキャッチフレーズで、その業界ではちょっとした有名人であり、母親同様、彼女が食材を仕入れることも、お店との間で了解済みでした。


 但し、何を使って、何を作ってもOKですが、出来上がったお料理は必ずレシピを作って写真に撮り、味見のための一口分を取り分けておくことが条件。それを参考に、さらにアレンジして、征子さんのレシピとして出すこともあれば、木の実ちゃん本人の作品として発表することもありました。



 一見、良好に見える母娘関係ですが、実際には大きな問題を抱えていた楢葉家。



 お料理のことになると、娘というより、一人の料理研究家として対等な立場で意見を求め、時間を忘れるほど夢中で語り合う征子さんでしたが、ひとたびその話題から離れた途端、それまでとは打って変わって、まったく興味を示さなくなるのです。


 たとえそれが大切な学校関係のことでも、『任せるから、適当にしておいて』と娘に丸投げし、後に仕事が入れば、平気でドタキャンする有り様。


 私の母もかなりの自己中で、三者面談の希望日を、絶対に無理な日にのみ『×』を付けるところ、自分の希望日以外のすべての日に『×』を付け押し切るという伝説の持ち主でしたが、それに負けず劣らずといった感じです。


 また、小学生の娘が風邪やインフルエンザで寝込んでも、仕事だからと平気で泊まり掛けで出掛け、食事の作り置きもしなければ、心配の電話の一本も入れないというネグレクト状態。


 一度など、無断欠席が続いたため、連絡がつかない母親の代わりに、学校から父親に連絡が入り、ふたりが住むマンションへ様子を見に行くと、そこにはかなり衰弱した状態で、たった一人でベッドに横たわる木の実ちゃんが。


 すぐに病院へ搬送し、肺炎を起こしていたため、そのまま入院したのですが、そこでも征子さんは、シッターさんを雇って身の回りのお世話を丸投げし、自分はお見舞いにも訪れず、さすがにその状況を見かねた父親が、一時的に娘を引き取ったほどでした。


 もともと、木の実ちゃんのお家は、両親と二つ上の兄、五つ下の弟の五人家族でしたが、五年前に両親が離婚し、兄と弟が父に引き取られてからは、母親と二人で暮らしています。


 離婚の理由も、征子さんが料理研究家という仕事を優先するあまり、自宅では一切食事を作らないという、何とも本末転倒なもので、家事一切は父親とまだ幼かった木の実ちゃんが担当していたほど。


 五歳下の弟に至っては、ミルクもおむつも離乳食までも、生まれてからずっとノータッチだった母親に代わり、木の実ちゃんが育てたと言っても過言ではありません。


 離婚の際、子供たちの親権は父親が持ったものの、木の実ちゃんだけが母親のもとに行くことを希望。さすがに母子家庭になれば、少しは子供に目を向けるかと思いきや、夫の干渉が無くなった分、さらに自由に拍車が掛かっただけでした。


 病院を退院する際、父親から『ずっとこっちに居てもいいんだぞ』と言われましたが、その申し出を断り、自分の意思で母親の元へ戻った木の実ちゃん。父親も仕事で多忙のため、一人タクシーに乗り自宅に戻ると、そこは見るも無残な汚部屋に成り果てていたのです。


 元々料理以外の家事一切が苦手だった征子さん。木の実ちゃんが入院したことで、片付ける人がいなくなり、自宅は荒れる一方でした。勿論キッチンもその例外ではなく、この状態ではとても仕事(料理)など出来ません。


 そんなわけで、一時的に別の場所にキッチンを借り、そこで仕事をしていましたが、元夫から木の実ちゃんが退院したと連絡があり、必ず様子を見に行くようにときつく言われ、渋々様子を見に自宅に戻ると、荒れ果てた室内はすっかり片付けられていました。


 綺麗になったキッチンを見て、早速料理を始めた征子さん。そして、病み上がりにも関わらず、山のような洗濯物を干す木の実ちゃんに言ったのです。



「片付けてくれたんだ。おかげで、仕事が捗るわ。ねえ、木の実も一緒に作ってみない?」


「え…? いいの?」


「勿論! ほら、自分が思った通りに、好きな物を作ってごらん?」


「うん!」



 多分それが、彼女にとって生まれて初めて母親に掛けられた『労い』と『感謝』の言葉、そして、『料理』という媒体を通しての、母親から娘へのアプローチでした。


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