春の章

2話 春の夕べ

 五月中旬になると、西日の入る音楽室は夕方四時半を過ぎてもまだ明るく、お喋りに夢中で、すっかり時間の感覚を失っていた私たち三人。


 『校内に残っている生徒は、速やかに下校するように』とのアナウンスにハッとして、急いで帰り支度を整えると、職員室にピアノの鍵を返却して、学校を後にしました。


 『藍玉女学園前駅』という駅名通り、利用者の9割以上が本校の学生と関係者で占められる駅から、学校の正門に続くわずか200mほどの沿道には、綺麗に植栽された街路樹とともに、20台の監視カメラが設置されており、その映像は常時守衛室で監視され、何かあれば即座に警備員が駆け付けるシステムになっています。


 そこまで学校が神経を尖らせるのも、女子校ならでは故のこと。世間には良からぬことを考える輩がいるもので、各家庭からお預かりした大事なお嬢様に、何かあってからでは取り返しがつきません。


 特に下校時になると、駅前ロータリーで待ち伏せして声を掛けるといった行為がちらほら見受けられるため、放課後には必ず警備員が駅前に立ち、最後の一人が下校するまで見届けているのです。



「ごきげんよう~」


「はい、ごきげんよう。また明日!」



 いつものように駅前にいた警備員さんと挨拶を交わし、タイミングよくホームに滑り込んで来た電車に乗りました。





 私たちが通う私立藍玉女学園は、明治時代に旧制の高等女学校から始まり、終戦後の学制改革により、新制高等学校の発足後は、幼稚園から大学まで擁する女子校として存続し、創立から100年を超える歴史ある学園です。


 モットーは、『聡明・勇敢・沈着』。創立以来、一貫して女性の社会的地位の向上や自立を理念とする教育方針で、独自のカリキュラムを推奨。


 基本的にはエスカレート式ですが、幼稚園、初等科、中等科、高等科、大学の、すべての段階から入学が可能で、由緒ある女子大付属学園というブランドから人気が高く、毎年受験は熾烈を極めます。


 母親の意図により、半ば強制的に中等科を受験させられ、辛うじて合格し入学した私でしたが、ここで生涯の親友となる、笹塚朋華ちゃん、楢葉木の実ちゃんのふたりとの、運命的な出逢いが待っていたのです。





 朋華ちゃんの母親は、笹塚小夜子さんという著名なピアニスト。その母親の指導の下、将来、娘である彼女も一流のピアニストになるべく、2歳から英才教育を受けてきたサラブレッドです。


 ピアニストにとって、指は命の次に大切な『商売道具』ですから、母親からは、学校生活で極力手を傷つけない配慮をして欲しい旨、学校に対し強く要請しており、初等科から私立に在籍させていたのも、公立では難しいそうした要望を、徹底させるためでした。


 体育での球技や、鉄棒などの機具を使うスポーツ全般はNG、理科の実験、美術(図工)の彫刻刀、調理実習の包丁など論外で、その他にも、同年代の子供たちが普通に経験する多くのことを諦めなければならなかったのも事実。


 自宅に居る時間の大半をピアノのレッスンに費やし、少しでもそれ以外のことに興味を示そうものなら、即座に母親の制限が掛かり、それは友達関係も例外ではありません。


 物心つく前から、ピアニストになることだけを宿命づけられ、朋華ちゃん自身、頭では重々承知していても、ときに気持ちがオーバーフローすることもあり、それを受け止めることも、親友である私たちの大切な役目の一環でもありました。





 一方、木の実ちゃんの母親は楢葉征子さんといい、冷蔵庫の残り物で手軽に作れ、そのうえオシャレで美味しいというレシピで、幅広い層の女性たちから絶大な人気を集める有名な料理研究家でした。


 母親の仕事柄、木の実ちゃんも小学生の頃から『お料理の天才少女』として度々メディアに出る環境にあり、娘という立場上、仕方なくやってはいるものの、本人は目立つことが好きではありませんでした。


 また、料理研究家の仕事を優先するあまり、家庭では一切家事をしないことが離婚原因という本末転倒な状況にも関わらず、世間が作り上げた『楢葉征子』の家庭的なイメージだけが一人歩き。


 母子家庭になっても家事育児は二の次で、自分のことは自分でせざるを得なかった木の実ちゃんにとって、そんな母と暮らす自宅は、孤独との共存を余儀なくされる無味乾燥な場所でした。


 対外的には『一卵性母娘』を装いつつも、実情はネグレクト=育児放棄といえる母親に対して、強い違和感やストレスを抱いていたものの、本心を出すことなく、自分の感情を押し殺すことで堪え続けて来たのです。





 そして、私の母親は、祖父が経営する会社の出資で、インテリアや手芸などのお店を3店舗経営する実業家でしたが、仕事を理由に、家庭のことをしないタイプの女性でした。


 母の特徴を一言で表すなら『守銭奴』という言葉がしっくりくると思います。というのも、我が家は祖父の代から会社を経営しており、どちらかといえば裕福な家庭であったにも関わらず、とにかく自分でお金を出すことが大嫌いで、子供の私から見ても、異常なまでにお金に執着していた母。


 常に損得勘定で動き、元々が自己中心的で無責任な性格に加え、何かあれば他人に責任を転嫁するので、周囲とのトラブルが絶えませんでした。


 はっきり言って、母には商才も人望もないため経営者には向いておらず、お店も赤字が膨らむ一方で、その補填をしなければならない祖父からは、いい加減見切りを付けるよう忠告されていたものの、人一倍プライドだけは高い母に、経営者の地位を手放す気などさらさらなく。


 子供の教育に関しても、自分勝手な価値観で中途半端に口を出し、後先考えない言動でしばしば問題を起こしては、そのとばっちりを受けるのが娘の私。クラスメートやその親から、仲間外れなどの陰湿ないじめを受けたこともあり、今でも母だけがそのことを知りません。


 また、長女の私と弟妹とではまるで扱いが違い、弟妹がしでかしたことも、すべて姉である私の監督責任だと、理不尽に怒られることは日常茶飯事、しかもその時々の感情で激高して当り散らすため、常に母親の顔色を窺いながら行動することが常態化していたのです。





 一般的な母娘の関係性では、『お母さん大好き』という子が大半を占める中、母親が嫌いであることを公言するのは、自殺行為と言えました。


 母親に対する不満や悩みを打ち明けたところで、必ずといっていいほど返って来るのは、



「それは、あなたの考え過ぎじゃない?」


「全部、あなたのためを思ってしていることだから」


「そんな捻くれた捉え方をせずに、もっと親に感謝したほうがいいよ」



 と、逆に自分の人格を否定されるような文言ばかり。


 そして極め付きは、



「親になれば、いつかあなたにも分かる日が来るよ」と。



 それを言われると、まだ子供だった私たちには返す言葉がなく、結局は気持ちを理解されないばかりか、余計にストレスを増やすだけで、いつしか、何も言わないことが心の均衡を保つための必須アイテムになっていたのです。





 そんな中、藍玉中等科に入学して、クラスメートとなった私たち三人。


 『過干渉』『無関心』『自己中』という違いこそあれ、それまで黙殺して来た『毒母』という共通の敵に対する苦悩を分かり合える存在に巡り逢えたことは、まさに『暗闇に差した光明』そのもので、この三人が強い友情で結びつくのに時間は掛かりませんでした。


 中等科2年生になった今では、顔を見ただけで、前日に何があったか分かるまでになり、ただでさえ多感なこの時期にあって、心のバランスを保つにはなくてはならない存在になっていたのです。


 昨晩も、母親と派手に言い合いをしたという朋華ちゃん。少しでも長くレッスンの時間を確保するために、母親自ら毎朝夕、学校まで車で送迎すると言い出し、大喧嘩になったのだとか。


 放課後、その愚痴に付き合っていて、こんな時間になった次第です。


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