第53話
最近、メールの処理に追われている。
結愛が連れ去られた事件から数日経ち、逢坂信者から続々とメッセージが届いていた。
幻滅しました、抜けさせてもらいます――等といった話では無く、概ねこれからもファンでいます、といった宣言が多い。
わざわざ知らせてくれなくてもいいのだが、どうやら――“友人”達が離れていくのではないかと危惧して、唯都が落ち込んでいる――と吹き込んだ輩がいるらしい。
唯都は携帯電話の画面から視線を上げて、目の前にいる人物を盗み見る。
うどんをすすっていて俯いている彼女とは、目が合わなかった。
女性が咀嚼する所を、あまりじろじろ見ないように気を付けながら、津田が口に含んだ分を飲み込むのを待つ。
唯都は向かい座る津田に、愚痴を溢した。
「メールの大半はまあ、一回返信すれば済むんだけど、芥子川がしつこいのよね……」
唯都がげんなりしながら言うと、津田は「ちょっと見せてよ」と掌を出してくる。
「人のメールを見せるのはちょっと……」
「何を今更。今見せなくたって、どうせ私はどっかからそのメールを入手すると思うよ。遅いか早いかの違いだよ」
「ほんとに怖い事言うのやめて」
津田は首を傾げて待っている。手を差し出したまま、引き下がろうとしない。
顔を傾けているから、後ろで一つに纏めた長い髪が頬の横に見えた。
思えば、体調を崩して家まで送ってもらった日から、津田はずっとこの髪型をしている気がする。
彼女の事だから、唯都がその茶色い尻尾に思うところがあると、知っていてやっているのかも知れない。
髪を全部下ろして、毛先を強めに巻いているのも似合っていたが、全体的に緩くウェーブがかかった今のポニーテイルも、津田の勝気な笑顔によく似合っていた。
唯都は携帯電話を渡すのを渋る振りをしながら、少しだけ津田の事を観察する。
彼女はやっぱり、どこか母に似ている。
津田が執拗に「見られたら困る内容なのかな? ん?」と煽ってくるので、唯都はしぶしぶメールを見せた。
*
【差出人】〈芥子川〉
【件名】〈有難うございました〉
『その節は助かりました。後処理も終わって、元カノの事も何とかなりそうです。でも俺、宮藤のこと諦めませんから』
【差出人】〈自分〉
【件名】〈Re:有難うございました〉
『あげないわよ』
【差出人】〈芥子川〉
【件名】〈Re:有難うございました〉
『まだチャンスはあると思うんです。ちょっとでも隙見せたら、掻っ攫いますよ』
【差出人】〈自分〉
【件名】〈Re:有難うございました〉
『わざわざ言うところはお人よしよね。つまり意訳すると、「付け込む余地がない程、末永くお幸せに」という事かしら。ありがとう』
【差出人】〈芥子川〉
【件名】〈Re:有難うございました〉
『……逢坂さん、そんな感じでしたっけ。もっと根暗な感じだと思っていました』
【差出人】〈自分〉
【件名】〈Re:有難うございました〉
『まあ! オブラートに包まない子ね! 失礼しちゃうわ! 何を言われたって、他の誰にも譲らないわよ。私と結愛は二人一緒で初めて幸せなんだから』
*
津田は暫しメールを眺めた後、能面のような顔で携帯電話を返してきた。
てっきり弛んだ表情をするかと思っていたので、「それはどういう感情なの?」と聞いてみる。
「楽しそうじゃん」
「……メールが?」
「そうだよ。超仲良しじゃん。めっちゃ慕われているじゃん。芥子川君それあれだよ、逢坂君と仲良くしたくてメールしてくるんだよ。結愛ちゃんの事とか建前だって」
「何言っているのよ、芥子川の奴、未だに結愛を狙ってんのよ。油断したらまたちょっかい掛けてくるに違いないわ」
「……芥子川君、来年ここ受験するらしいよ」
「やだ! やっぱりそうじゃない! 結愛の事追っかけてくるのよ!」
「……違うと思うなあ~。芥子川君、元々志望校違うし。結愛ちゃん目当てだったら、最初からここ狙うでしょう」
津田は腑に落ちない表情で、顎に手をあてて、テーブルに肘をついた。推理しているようなポーズで、唯都の目を下から覗き込む。
彼女の作られた表情にも、少し変化が見えてきたように思う。彼女の顔には、違和感が無い。今の津田を見ても、本心なのか、演技なのか、唯都には見抜けない。
隠すのが上手くなったのかもしれないし、隠す事を止めたのかもしれない。
後者の方が何となく嬉しいので、唯都はそう思う事にした。
「というか、何故当然のように芥子川の志望校を把握してんのよ……津田さん関係無いじゃないの……」
津田は目を細めて、口の端を吊り上げた。
「ん~?」
「その笑顔が怖いわ」
唯都の引きつった表情を満足そうに見て、津田は箸を置いた。
「そういえばさ、私、最近また逢坂君とよくいるじゃない? ファンに妬まれちゃって大変よ~」
彼女は前にも「撃退した」と言っていた。
最近一緒に居る機会が増えた事から、唯都の知らない所で彼のファンに嫌がらせをされているらしい。
信者もファンも怖いね、というメッセージは、実体験から来るものだったのだろう。
津田の説明を話半分に聞いていた。
疑うつもりは無いのだが、唯都は今、素を出して生活しているため、以前と同じような好意を向けられるとは思えない。
津田が受ける印象は、厄介者を押し付けられた哀れみか、世話焼きの良い人といったところではないだろうか。
唯都は浅く交友関係を広げていたので、特定の女子と親しくしている訳では無い。
津田と一緒に居たからといって、彼女に嫉妬が集まるとも思えなかった。
「……私にファンなんているのかしら」
思ったままを口にすると、津田は「本気で言っているの?」と目を眇める。
「逢坂君って意外と自信無いんだね。私への嫌がらせが再発するくらいだもん、ファンは熱いよ。逢坂君直轄の信者じゃないから、ちょっと躾がなってないけどね」
聞いてもいないのに、津田は学校での唯都の評判についても教えてきた。
「ほら、こないだ絡んできた男子いたじゃない? あいつもさ――」
※
教室や学食で話す時も、唯都の話し方は基本的にオネエだ。
唯都はあまり自分からクラスメイトに構いに行かないので、面と向かって話し方を指摘される事は少ないが、全く無い訳ではない。
好意的な人ばかりでは無いと、分かってはいたが、からかい混じりで唯都の変化を揶揄してくる者もいる。
津田とつるむようになってからのある日、教室で男子生徒に声を掛けられた。
「急に喋り方変えて、カミングアウト? 逢坂ってそっちの人だったんだ。ずっと男が好きだったわけ?」
この手の輩は、何を言っても騒ぎそうで面倒だ。
一応一言否定だけしておいて、後は無視を決め込もう。
そう思って唯都は口を開こうとしたが、一緒にいた津田が代わりに返事をした。
「いや~ね~、アタシ彼女いるわよ!」
唯都の真似のつもりなのか、裏声で普段の話し方と変えている。
「逢坂君の真似~。似ている?」
にかっと笑って、唯都に聞いてくる。
絡んできた生徒は、呆れた顔をして、黙りこんだ。
馬鹿じゃねえの、と言いたげだ。
「似ていないし、私そんな事言ってないわよ」
唯都は毒気が抜かれて、苦笑した。
「あれ? でも彼女がいるのは本当だよね? ……えっ? まさかあれから何も進展が無い訳じゃないよね……?」
津田が「はっ、そんな!」と両手で口を塞ぐ。
わざとらしい。
どうせどこからか情報を入手して知っているくせに、と思いながら一応答えてやる。
「……ちゃんと彼女よ」
唯都の返事をかき消す勢いで、津田がからかいの声を出す。
「彼女どころか、結婚の約束もしているんだもんね~? 家族にも知られているんじゃ、迂闊に手も出せないわよねー。果たして男子高校生の理性が、いつまで持つのかしら……」
「ちょっと!? 本当にどこまで知っているのよ!!」
本当に家族しか知らない内容である。盗聴器でも仕掛けてあるのでは無いだろうか、と疑うレベルだ。
「あまりにも察しの悪い逢坂君に教えてあげよう……私は結愛ちゃんのお母さんとメル友なのだよ。昨日、『唯都が結愛をお嫁にもらってくれるんだって~』って可愛いメールが届いたわ」
「叔母さん……!」
家族を掌握されている事に、焦りを禁じえない。津田に隠し事は出来なさそうである。
項垂れる唯都の頭上で、津田が唯都に絡んできた生徒に対して、「ほら、そういう事だから。逢坂君は彼女持ちだからあんたに望みは無いよ、去れ」と手を振って追い返そうとしている。
相手の男子は、「ばっ……! そんなんじゃねーよ!!」と叫びながら走り去って行った。
※
津田がからかい返して撃退した時の話を持ち出され、唯都もその時の様子を思い出した。
「彼は明らかに私の事嫌いでしょう……」
実は周りに嫌われているという話をしたいのだろうか。
「いや~あの時の男子も含め、やっぱり逢坂君の人気は衰えて無いと思うね!」
彼も本当は唯都と仲良くしたいのだろうと、津田は言う。
唯都にはよく分からなかった。
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