第6話
学校から帰ってくると、その日の出来事を報告するのが習慣になっていた。
唯ちゃん呼びになってから、結愛はますます姉に接するように甘える。
唯都と結愛の仲が深まったからといって、いじめの件が根本的に解決したわけではなく、唯都は毎日結愛の様子を注意深く見守った。何かあれば、結愛に黙ってでも、その男子を懲らしめてやろうと思っていた。
そうこうしているうちに、結愛がいつもの無表情――唯都には分かる幾分晴れやかな顔をして――で、嬉々として報告した。
「唯ちゃんあのね、意地悪する男子にがつんと言ってやったの。そうしたらね、今日の帰りはもう何も言ってこなかったんだよ」
ランドセルを背負ったまま、ぴょんぴょんとはねる。
「あら! すごいじゃない結愛、頑張ったのね! 何て言ってやったの?」
唯都の腰にじゃれついている結愛の頭を撫でてやる。
「唯ちゃんが言ってくれた通りに言ったんだよ。私には唯ちゃんがついているんだから! 私の方があんたのこと嫌いなんだからね! って」
唯都は何かあったら自分を頼るように言ってあった。それから、無視するのが効果的なこともあるが、結愛の場合は、一度はっきりと気持ちを伝えた方がいいかもしれない、とも言った。嫌なら嫌だと言って、それでも止めてもらえず結愛が悪いというのなら、その時は唯都も黙っていないからと。
「“唯ちゃんって誰だよ”って言われたから、私の大好きな人だよ、すごくかっこよくて優しいんだよ、唯ちゃんだけは私の味方だから、あんたなんか怖くない! って言ったら、言い返さないで帰っちゃったの。きっと唯ちゃんに、おそれをなしたんだよ」
おそれをなした、という言い方が、何だかドラマの台詞をそのまま意味も分からず使ったような、言いなれていない発音だった。
結愛のことだから、意味は分かっているのだろうが、覚えたての言葉を使った感じが、何とも微笑ましい。唯都は目じりを下げて、結愛の髪をわしゃわしゃと撫で回した。
何より、大好きで、かっこよくて、優しいと言われた事が嬉しくて堪らなかった。
「結愛は本当に可愛いわね~」
あれほど、口にしてはいけないと思っていた言葉を、何の抵抗もなく言う事が出来る。
結愛はぎゅっと抱きついて、頭をこすり付けた。
「唯ちゃんのほうがかっこいいよ~」
結愛の表情は分かりづらいが、たまに誰から見ても分かる笑顔を浮かべることがある。
その時に八重歯を見せる無邪気な顔が、唯都は好きだった。
恐らく今もそんな顔をしているのだろうと、何となく分かったが、結愛を引き剥がしたくなかったので、顔を見るのは諦めた。
「唯ちゃん、大好き」
抱きつく体はそのままに、結愛は顔だけ上げて、にっこりと八重歯を見せた。
何だか得した気分になって、唯都も結愛を抱きしめ直す。
「私も大好きよ、結愛」
小学校と中学校では、少し時間がずれてしまうけれど、もうすぐ学年が変わる。
結愛は中学生になったら、唯都と毎朝一緒に登校したいと言っていた。
唯都はそれを断るつもりは無かった。
「早く中学生になりたいなあ……あの男子とも、クラス離れると思うし、唯ちゃんと一緒に学校行けるし、楽しみしかないよ」
「一年間だけどね」
「高校まで追っかけるもん」
「小学生なのに、もう高校のことまで考えているの?」
「唯ちゃんと同じ学校行きたいから、頑張って勉強するね。分からない所は教えてね、唯ちゃん」
これは、兄が下手な成績を取るわけにはいかないなと、唯都は気を引き締めた。
元々学校の成績は良いが、妹に良い所を見せたいものである。
「そうね……結愛をいじめる男子も、同じ中学かしら」
「私がどこに行くのか聞かれたから、答えたら、“俺も同じだ”って言っていたよ」
「そう……結構話すのね?」
「私は話したくないけど、向こうが意地悪するんだもん」
「……何か引っかかるわね~」
唯都は顎に手を当てて唸った。
(結愛は中味も勿論可愛いけれど、外見もお人形さんみたいだもの、女子に妬まれるのは分かるけど……)
「結愛、学年は違うから、助けてあげられないこともあるわ。ちゃんと、信頼できるお友達を、中学でも作るのよ」
「うん」
「結愛が助けてあげたいと思って、相手もそう思ってくれる子じゃないと駄目よ。結愛は優しいから、誰でも助けてあげたいかもしれないけど、結愛が困っている時に見捨てるような子は、本当の友達じゃないわよ」
「うん。……唯ちゃんにも、学校に仲良しさんいるの?」
結愛が、少し声を落として聞いた。
言われて、唯都は一瞬言葉に詰まる。
友人はいる。だが、今結愛に説明したように信頼できる関係を築けているかというと、自信が無かった。
唯都の一番の秘密を、打ち明けてもいいという相手はいない。
「友達はいるけれど、私のこの口調は知らないの。私の一番の仲良しさんは、今のところ結愛ね」
「私しか知らないの?」
「そうよ。結愛しか知らないの。叔母さんも叔父さんも知らないから、二人だけの秘密よ」
「二人だけの秘密ね!」
結愛は明るい声で繰り返した。
嬉しそうだ。
一番仲が良いと言われて喜ぶ結愛を見て、唯都の顔から表情が消える。結愛と目が合う前に、無理やり笑顔を貼り付けたが、密着している体を、やんわりと離して、結愛と距離を取った。
「さあ、そろそろ叔母さんが帰ってくるわ。宿題済ませちゃいましょう」
「はあい」
上機嫌で、体の向きを変えると、結愛がぱたぱたと階段を上っていく。
後ろに続きながら、唯都の耳元には、嫌に大きい音が響いていた。
どくん、どくん、という音。
妙な不安が、唯都の笑顔を剥がした。
良くない兆候だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます