オネエなおにいちゃん
三島 至
第1話
それまで母親の女手一つで育てられ、親族に会ったことはなかった。
唯都は物心つく前に父を亡くし、母親一人に育てられた。
母親は快活で、勝気な性格がそのまま現れたような、綺麗な人だ。
整った形の太い眉をきりりと上げて、はきはきとした話し方をする。
茶色く染めた髪は、癖があり、緩やかにはねている。長く伸ばして、いつも高い位置で一つにしばっていた。
日中、おろしている所は殆ど見なかった。
だから、唯都の母親のイメージは、ポニーテールだ。
茶色い尻尾を揺らし、母親が振り返る。
にかっと笑って、息子と手をつなぐ。
唯都は施設に預けられる事は無く、いつも母親にくっついていた。
近所に住む人とは、すれ違うときに会釈する程度。
小学校に入学するまで、母親以外とはめったに触れ合わずに育った。
母は、少し少女趣味なところがあって、家にいる時だけ、こっそり唯都に女子の服を着せることがあった。
頻度は多くない。唯都は男子の服を着なければ、女子にしか見えないほど、可愛らしい顔立ちをしていたので、母が着せる服はどれもよく似合った。
唯都はその行為に対して、嫌だと思う気持ちは無かった。
積極的に女子の服を着たいとは思わないが、外出時に強制される訳では無い。家でも、唯都が嫌がるようなら無理やり着せられはしなかった。
家で着て見せた時は、可愛い、可愛い、と母は嬉しそうに褒める。唯都は母を喜ばせたくて、頼まれれば断らないようにしていた。
母は一般的な女性らしい口調で話す。
唯都は自然と、その口調を真似るようになった。
子供の話すことだからか、母はさして気に留めず、話し方を改めさせようとはしなかった。そもそも、唯都は口数が少なく、騒ぐ事をしない子供だったので、目立たなかったというのもある。
小学校に入学して、同年代の子供と話すようになると、唯都は、自分の口調が他と違っていることを自覚した。
彼は一見可愛らしい女子だったが、教室では男女別に分かれて席につくので、当然周りには男子と認識される。
唯都も自分が女子のつもりはない。
唯都が、「そうかしら」「あなたもそうなの?」「難しいわね」などと、女性らしい口調で話すと、近くの席の男子が、「お前は女子なのか」と聞いてくる。「違うわ、男子よ」と答えると、「お前変だぞ」と言われた。
唯都は、初めて言われる否定的な言葉に衝撃を受けた。
その男子に悪気は無かったのだろうが、唯都はその日初めて、自分と周囲との差異を知ったのだ。
唯都は、母を真似て話しただけで、心は普通に男子だ。
自分の性別に疑問を持ったり、女子になりたいと思ったりしたことは無い。ただ、これも母の影響だが、女子らしい遊びや、可愛らしいものが好きだった。外で遊んで汚れるよりも、家の中で裁縫を教えてもらうほうが良かった。
家に帰って、母に泣きついた。
私の話し方はおかしいと言われた、私は変なのかしら、と。
母もこの時初めて気が付いたようだった。
ごめんね、私のせいね、と言って、慰めてくれる。
普通はこうやって喋るのだと、説明されても、急には直せない。学校で、友達と話す内に慣れてくるからと、母は言った。
唯都は不安だった。元々多く話す方ではなかったが、学校でも、ふとした時に女性口調が出てしまいそうで、口を閉ざすようになった。
気をつけていれば、普通に話す事が出来る。だが落ち着かない。家に帰って、母と会話する時は、以前と同じようにした。そうすると、言いたい事がするすると言える。気を張らないですむので、楽だった。
唯都は学校での自分と、家での自分を使い分けるようにして、気を晴らしていた。
成長すれば、いつの間にか普通に喋るようになるだろうと、母は思っていたようだが、同級生に心を開けない唯都が、素で男子らしい話し方をするようになることは無かった。
小学校も半ばという頃、唯都は母親の妹一家と初めて会った。
唯都から見て叔母にあたる人物は、旦那と、娘が一人の三人で暮らしていた。
娘は
それから度々、叔母の家に遊びに行った。
母は、唯都に叔母一家と仲良くしてほしいようだった。
今から慣れておきなさい、と母は言う。
唯都は、母が望む通りにするべきだと思ったが、仲良くなるというよりは、叔母一家の前ではぼろを出さないように、殊更行儀よく振舞うことしか出来ない。
叔母と話すようになって、母の事を聞いた。
母は、父が死んだ時も、あまり人を頼らなかったのだという。
唯都は、何故今になって、付き合いを始めたのだろうと、不思議に思ったが、叔母はそこまで語らなかった。
唯都を叔母一家に預けて、母が出かける事も多い。
叔母の家にもだいぶ慣れたので、唯都は母がいなくても平気だった。しかし、家で仕事をしている母が、わざわざ唯都を預けていく理由が気になっていた。
程無くして、唯都はその理由を知る事になる。
母の入院を知らされ、叔母と一緒に、病院へ向かう。
そこで唯都は、母が何を思って、自分を叔母一家に預けていたのか理解した。
母は余命幾ばくもない病気にかかっている。
もう随分前から分かっていたようだ。
唯都は最初から、叔母の家に引き取られる予定だったらしい。
唯都は母がこのまま死んでしまうことを信じたくなくて、呆然としていた。
素のままの口調で、他愛無い話を、母としたいと思った。
それがもう叶わなくなると、嫌でも分かってしまう。
一人きりになる唯都を案じた母の気持ちを理解していた。
確かに唯都は、叔母の家でもやっていけるだろう。
だが、唯都が自分をさらけ出せる相手は、母しか居ない。
唯都を襲った絶望感は、すなわち、孤独だった。
段々と、自分の家で過ごす時間より、叔母の家に預けられる時間が増えていき、やがて、唯都は叔母の家に引き取られる事になった。
元々住んでいた家は引き払った。
唯都は叔母の家で暮らし始め、毎日母を見舞う。
最初から告げられていた通りの年月だけ、母は生きた。
覚悟はしていても、母を見送った後、唯都は悲しみに暮れていた。
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