もう一つの選択肢

 しばらくして将棋ソフトのソースコードが届けられると、黒川は解析を始めた。

 Swiftという言語でタブレット用に作られたものだったので、スマホでも動かすことができる。ケイがソースコードの流れを追っている間、俺たちはそれぞれ自分のスマホでそのソフトと対戦してみたが、勝てたのはかすりだけだった。

 あと二週間で、しかも将棋より苦手なチェスで、こいつに勝てるようにならなければならない。


安場あんばさん、なんでこんな勝負受けたんだよ……」


 抗議めいた声を出すと、かすりが反論する。


「せやかて三輪、勝負を受けなくても負けても結果は同じ、勝てば部室が残るんやから、勝てる可能性が万に一つでもあるなら、受けない手はないやろ?」


 ああ、やっぱりわかってないんだこの人。


「あの場には、もう一つ選択肢があったんだよ。つまり、勝負も受けず、部室も手放さず、ひたすらゴネ続けるという選択肢が、ね」


 俺がそう言うと、彼女は「あ……」と声を漏らした。案の定、その選択肢を失念していたのだろう。かすりは最初はゴネていたにもかかわらず、向こうから勝負を受けるか否かの二択を迫られると、途端に『向こうの提案に乗らずにゴネ続ける』という選択肢を頭の中から排除してしまったのだ。


「あっは。かすり嬢はチェスのルール上での勝負に慣れているから、ルールを提示されるとそのルールの外にある選択肢を見失ってしまうんだろうね。生徒会がそこまで想定したうえで勝負を挑んできたのなら、なかなか手ごわい相手なのかもしれないな」


 ルールの埒外での駆け引き、いわゆる盤外戦に弱いあたりが、かすりが公式戦で勝てない理由なのかもしれない。


「ま、受けてしまったものは仕方がない。勝つ方法を考えよう。ケイ、ソースコードを見て何か分かったか?」


 ケイはノートパソコンとにらめっこしていた顔をこちらに向け、「まずは」と前置きしてから言った。


「このソフトは五手先まで読む。ソフト側の手番のとき、ソフト自身が次に指す手を一手目として、その次の相手の手を二手、その次のソフトの手を三手目……、そう数えた場合に、五手目までの手をほぼ総当たりに近いやり方で調べ、最も価値の高い手を打つ」


「ぷふい、だが、チェスソフトに改修するにあたって、そこは変えるかもしれんだろう。将棋のほうが複雑だから五手以上読むと時間がかかりすぎてしまうが、チェスなら時間が短くてすむから六手目、七手目まで読むとか」


 竹代が反駁すると、ケイは「それはない」と首を横に振って、画面上に示されたソースコードの一部を示した。


「マイコン部は技術力が低くて再帰呼び出しリカーシヴコールを上手く使えないらしく、五手先まで読む処理を関数化せずにベタ書きしている。これを六手・七手読むように無理に変更すると、予想外のバグを生みかねない。開発期間が限られている中でそんな冒険はしないはず」


「なるほど。リカーシヴコールとやらはなんだか知らないが、マイコン部の技術力が低いというなら、大きな変更はしてこないだろうな」


 我々としてはマイコン部がへっぽこな方が助かるのだが、ケイは素人同然のプログラマが組んだ汚いソースコードを読まされたせいでかなりご立腹だ。


「うちの石北の足元にも及ばない技術力でマイコン部を名乗るとは噴飯もの」


 『うちの石北』って、石北夫妻はケイの会社の社員かなんかなの? というつっこみは心の中にしまって、俺は言った。


「とりあえず作戦を練ろう。何試合目に誰が出るとかのオーダーを決めて、勝利を目指す人、引き分けに持ち込む人と役割を決めて、引き分け狙いの人は引き分けに持ち込む練習だけを二週間みっちりやるんだ」


 俺の提案に対し、しばし一同が無言になった。その静寂を、かすりが破る。


「――三輪が、まともなこと言うた!?」


「俺だってたまにはまともなことぐらい言うわい」


 というか、かすりみたいな優秀なツッコミ役がいない時は、俺がまともなことを言わないと話が進まないくらいだぞ。

 兎にも角にも、まずは全員総当たりで対戦して棋力を測り、それを元に戦略を考えてオーダーを決めようということになった。

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